もう、何回、何十回9.11WTCテロについて書いてきた!
でも、まだ止めない......。
この映画ZEROは、一度は視聴すべきものだ!!
日本語字幕版があった。
3回に分けて、掲載する。 その3(最終回)
子どもでも分かる、謎、と言うより、ウソの固まり。それを大の大人が、マスコミを通じて吹聴しているのだ。『9.11テロはアルカイダの所為だ!』。それは、今だに変わらない。
そのことは、よほど大人の知性が低いと言うことになる。そんなはずはない。そんなことはあり得ない。それは、明らかにウソを吐いているか、知っていても言えないか、あるいは本当に知性が干上がっているかしかないであろう。
これを謀略論だという。9.11テロこそ謀略であって、その事があまりにも明白であるが故に、真相追求そのものが、謀略論だという。内部犯行しか考えられない。が、それを言うと、それこそ陰謀説、謀略論として、一瞬に片づけられてしまう。
狂っているのはどちらで、まともなものはどちらか? 大した知性は必要ではない。先にも書いたが、子ども知性で充分であろう。嘆かわしいのは、その犠牲者達である。2800人にせよ、その遺族にせよ、心かきむしられる思いであろう。
そればかりではない。それによって、戦争が引き起こされたのである。一体、幾人がこのふざけた自作自演テロによって、生命を失ったのか? 『Remenber 9.11』はその事のためにあるのであって、戦争標語ではない。リメンバーパールハーバー、リメンバーメイン・・・・は常に戦争標語であった。
この言葉を、この標語を語るものが、自作自演テロの犯人だ。そんなことはそれこそ、子どもでも分かる論理だ。その内、リメンバー延坪島が叫ばれるかも知れない。そう言うことだ。日本では、さしづめ、リメンバー尖閣であろうか? そう言う雲行きが作られつつある。
これも簡単な理屈であるが、知性ある大の大人が、それも学のある歴々が、それを声を大にして叫ぶのを、冷ややかに眺めているのは、投稿者だけか??? そうではあるまい!
(※日本語版が、YouTubeに公開されていることは、知らなかった。熱心な情報提供コメント氏によって、知った。深謝!!)
ZERO 9/11の調査報告 7/9 日本語字幕版
http://www.youtube.com/watch?v=Nx0_LqwgbQg&NR=1
。</object>。
ZERO 9/11の調査報告 8/9 日本語字幕版
http://www.youtube.com/watch?v=Ad69wS5nWQU&NR=1
。</object>。
ZERO 9/11の調査報告 9/9 日本語字幕版
http://www.youtube.com/watch?v=4Kr4Zq7nRGg&NR=1
。</object>。
http://blog.livedoor.jp/taitai4652/archives/65517775.html
>神が人になられた事実とその理由(ルカ2:1~20)
>今日は、クリスマス・イブの聖書について考えよう。聖書は、「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た」という救い主の誕生の物語から始めている。東はインダス側、西はスペイン、イギリスにまでひろがる大帝国が生まれてまもなく、ローマ皇帝は、人口調査を命じた。ルカは、キリ二ウスがシリア州の総督の時におこなった最初の住民登録の時に、救い主が誕生したと語るのである。そこには、明らかに救い主の誕生が歴史的事実、歴史的できごとであることを強調しようとするルカの意図がよみとれる。つまり、キリスト教が、たんなる神話や、童話に基づくものではなく、また、ある一人の優れた学者や人物の思想や体験、あるいは、悟りに土台をおいていないということである。誰も否定することのできない明白なある時期に、ローマ帝国の支配下にある小さな国の小さな町で、神が人になられたという事実の上に、キリスト教のすべてが築かれていくのである。しかもそれは、私たち人間の常識からみれば、期待はずれの非常にみじめで弱々しい姿で誕生した幼子からすべてが出発するのである。ところが、長い長い旧約の歴史の中で描きつづけてきた救い主のイメージは、すべての民を支配する偉大な力に満ちたものであり、イスラエル大国をつくりあげたダビデの座を継ぐ権力者であるはずだった。
●しかし、天使たちが、救い主のしるしとして与えたものは、王の宮殿でもなく、祭司たちのはなばなしい神殿でもなく、貧しい飼い葉桶だった。今日の聖書ルカ2章12節に「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう」といわれているとおりである。人びとを救う神が、家もなく部屋もないという貧しさの中に生まれたということは、人びとの描く、救い主というイメージに矛盾していないだろうか。歴史を支配し、地上のはかなさやもろさを救うべき神の偉大なイメージを、地上の貧しさの中に、のみこまれてさまようイエスの中に見出すことは、確かに難しいことである。ところが、救い主の誕生を語る聖書は、どれも、救い主の貧しさと弱々しさを指摘している。マタイ福音書は、ヨセフとマリアがヘロデ王の野心とねたみのためにエジプトに逃げなければならなかった事実を述べている(マタイ2:13~15)。ヨハネ福音書も「人になった」とは表現せず、「肉となった」と言う(ヨハネ1:14)。肉という表現は、弱く、もろく、傷つきやすい人間全体をさすことばである。このように、救い主と救い主自身の貧しさー救い主と救い主自身の逃亡―救い主と救い主自身の苦しみ、これほど矛盾し、理解に苦しむものはないように思われる。しかし、福音書は平気でこの矛盾をおしすすめてゆく。誕生した幼子はイエス(救う方)という称号が与えられながら、やがて権力者たちにおしつぶされ、人びとの心の中にうごめいている野心やエゴイズムに圧倒されて、ついには十字架の刑を受けて、その生涯を終えてしまうのである。永遠で全能の神が、時の流れの中で、弱々しく傷ついて、その生涯を終えるという矛盾、超越者である神がこの地上のもたらすいっさいの苦しみを受けるという矛盾、この謎をとく鍵は、悪や苦しみに対する考え方にある。そのことについて少し考えよう。そして、このことについて考えることは、神が人になられた必要性と理由について考えることになるだろう。
●人間の最大の不幸、人間がそこからどうしても救われなければならない根源的な悪を、聖書は、人間の罪、エゴイズム(自己中心性)の中におくのである。病気になるとか、人間関係に苦しむとか、才能に恵まれないことなども、不幸であるにちがいない。しかし、もっと深い不幸、それは、人間が自分を世界の中心にしようとするエゴイズムなのである。ノーベル平和賞をとったマザー・テレサはこう言っている。「人間の不幸はお金がない、物がないということではなく、人を愛せないということである」と。ヨハネ第一の手紙3章14節で、「愛することのない者は、死にとどまったままです」と言っている。そうだ。人間のいちばん悲しい不幸は、愛を失ってしまうことにあるのだ。自分のことしか考えることの出来ない者は、その人の周囲の人々を皆不幸にする。家庭でも、職場でも、また広くは国、世界全体を不幸にする。そして、そのように周囲の人々を不幸にするその人自身が、いちばん不幸なのだろう。だから、人間のいちばん悲しい不幸は、愛を失ってしまうことにあるのだ。イエスさまは、この地上に深く深くしみついて、そこを支配してしまっているエゴイズムにかわる愛の息吹をそそごうとなさるのである。この地上のすべての営みの中に愛の炎を投ずるために、地上の生活のありのままを、貧しさも、苦しさも、死も、うけとりたもうのである。私たちは、キリストの上にありとあらゆる苦しみや悲しみや、憎しみを投げつけることはできるだろう。しかし、それらを受けとりたもうキリストの愛を押しつぶすことはできないだろう。また弱く傷つきやすいその肉体の生命を抹殺することはできるだろうが、それを引き受けたもう愛の力を抹殺することはできないだろう。むしろ、キリストが受ける苦しみがませばますほど、キリストの心から、より純粋な愛の炎が燃えさかることになる。そして、ここにこそ、まさに神が人になりたまわざるを得なかった必要性と理由があったといわなければならないだろう。
----------------
>Ave Maria Olga Szyrowa (Sopran)
http://www.youtube.com/watch?v=2y8ZnrNd7uE
パラレルな日本の政治状況について孫崎享さんと
対談されたようですが、わたしはまだ見ていません。
ところで、つむじ風様、わたしはどう理解していいのか
分からないくらい驚いていることがあるのです。
孫崎さんの「日米同盟の正体」という本を例によって
つまみ食いで読んだのですが、911を既定の事実
として論を進めておられることに吃驚したのです。
あれはビンラディン率いるアルカイダによる犯行だと。
その理由は、サウジに駐留する米軍が許せなかった
からだと言われるのです。
そんな理由で、あんなショボイ軍隊ともいえない組織が
超軍事大国のアメリカに戦争を仕掛けたのだと言われる
のです。もし、それが事実ならアメリカの「陰謀家」に
よる99・9パーセントの協力なくしては不可能です。
少し操縦を習った程度の民間人が、水も洩らさぬであろう
アメリカの空港セキュリティや防空システムの隙をついて
あの驚天動地の犯行を実行したと言われるのでしょうか。
事件直後から「絶対的な疑問」ともいえる疑問が続々と
噴出してきているのに、孫崎さんはそれらを一度も耳にし
目にされたことはなかったのでしょうか。
そんな本が、インテリゼェンスのプロによると銘打って書店
の店頭に並んでいるのです。
小沢さんは湾岸戦争のとき外務省の人間でひとりとして
予想したものはいなかったと言っておられました。
外務省のOBなどをテレビでみるたびにその鼻持ちならない
エリート意識に不快感を覚えますが、どうか、エリート意識も
いいですが、それに見合うインテリゼェンスを磨いてほしいと
思わずにいられません。
というか、もう政府や外務省を当てにせず、民間人による
インテリゼェンスのシンクタンクを立ち上げなくてはいけませんね。
まさに、革命的なこととして。
(もしかしたら、政治家や官僚には911への疑問を言っては
ならないという通達がでているのかもしれませんね。)
<返事>
谷間の百合 様
コメント有り難うございます。
ごもっともな見解です。こう言うのを『寸止めジャーナリズム』と、リチャードさんは呼んでいます。穿ち得る命名です。
はたして、知っているかどうかですが、知っているはずです。少なくとも、インテリジェンスの要員は知らないはずはありません。知らなければ、馬と鹿です。
云わないのは、寸止め議論をしているのだと想いますよ。
9.11テロの自作自演もそうですが、あの破壊は、核です。それになると、寸止めのさらに寸止めです。北朝鮮の核も小型核、『純粋水爆=mininuke』です。間違いありません。タングステン水爆という呼び方をする方もいます。
既に、通常の核は、その効力を失っていると想います。ですから、核廃絶を提唱しているのです。まあ、その辺りは、追い追いに明らかになるでしょう。
飄平
粗くてグズグズだったのですね。
しかし、ますます理解できなくなりました。
それにしても、なんのための寸止め議論なのでしょう。
生き残っていくためですか。読者をこれほど馬鹿に
しても生き残りたいのですね。
しかし、そうだとすると、他でいくらまともなことを
言われてもだれも信用しなくなりますね。すくなくとも
わたしはもう駄目です。
<返事>
谷間の百合 様
コメント有り難うございます。
『寸止め』は、メジャー(major)から干されるからです。マイナーで生きていくなら、それは許されます。丁度、ブログの世界のように....。
中には、本当に知らないか、疑問を払拭出来ない方もあるでしょう。
それは認識不足を指弾されても仕方がないでしょうが、まだまだ多いかも知れません。
いわゆるB層ではなく、A層に属する方で、洗脳を受ける人々ではありませんから、調べればすぐに解るはずです。私の経験で云えば、直ぐに分かることだと思っています。ちなみに、C層と言うのは、保守的で頑迷な方を云います。
このA,B,C層というのは、http://tetsu-chan.com/05-0622yuusei_rijikai2.pdf
(郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略(案))から、広く語られるようになりました。
尚、A層で、知っていても言わないのは、保身上、考えられなくもないですが、積極的に否定するのは、いわゆる偽善者の部類にはいるだろうと思います。
飄平
ご丁寧なお返事恐縮です。ありがとうございました。
くわしくは知りませんが、孫崎さんといえば反米の
言論を貫いてきた人ではなかったでしょうか。
そんな人でさえ911はタブーなのですね。おそらく
仲間内で「それを言ったらお仕舞いよ」といった
黙契ができているのかもしれません。孫崎さんにも
お役人根性が染みついていたということでしょうか。
<返事>
谷間の百合 様
コメント有り難うございます。
私が申し上げているのは、一般論です。個別については、何とも云えません。
本当に知らないのか、知っていてもスルーしているのか、それとも黙契があるのか、それは分かりません。
その懇談話を聞けば、そのどれかについて、自分なりの判断はするでしょうね。でも視聴していませんので、分かりません。それはどこにあるのですか?
飄平
よく承知しています。わたしの書き方がまずかったようです。
孫崎さんについては、わたしが著書を読んでの感想です。
なぜ911についてだけこんな酷い見解なのかが理解できない
だけなのです。孫崎さんからはいままでいい情報をもらって
いただけに余計そう思いました。しつこく書いてごめんなさい。
<返事>
谷間の百合 様
コメント有り難うございます。
いえいえ、何なりとどうぞ。孫崎さんについては、何かと注目して観察してみます。
飄平