飄(つむじ風)

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渡辺謙さん、ダボス会議スピーチ全文!!

2012-02-15 19:01:13 | NWO

『THRIVE完全版』の視聴可能は、瞬く間であった!!
その内に、正規の手続きで観覧会が出来る様にしたい。
サインアップはしたし、詳細を検討している・・。
それまで、お待ちを!


 ところで、渡辺謙さんが、あのダボス会議でスピーチしたらしい。しかも、脱原発の部分は大手メディアはシカトしたらしい。考えそうな単純思考だ。


 世の中が激しく動いているというのに、旧弊の既得権益がいつまでも続くと考えている古狸が多いと言うことだ。


 原発利権など、3.11で土台骨は完全に崩壊したが、それに気が付かないで、必死の形相で守り抜こうとしている滑稽な仕草だ。滑稽である。確かに滑稽としか言うほかない。


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 ダボス会議で、シチュエーションはどうであれ、発言したことは大きい。会議の重鎮ではないだろうから、大して注目はされない話かも知れないが、勝手に大いに注目をしたい。言うまでもなく、ダボス会議は、NWOの一つの牙城だ。


 温暖化詐欺もここで大いに盛り上げられた。


 それを盛り下げた渡辺謙さんは上等だ。本人は深い考えはないであろうが、素朴な真実の声となる可能性は高い。ことそれほど激しく動いているのである。


 それに引き換え、日本の政治状況は、混迷は分かるが、何が故の混迷かを見究めている政治家は少ない。元気の良い橋下市長の大阪維新の会に到っては、全く、世界が分かっていないのである。TPPが太平洋ユニオンの策動であることぐらいはちょっと考えれば分かる。


 それを古色蒼然たる『船中八策』などと称して、人気取りを狙うのは結構であるが、中身は本当に古色蒼然たる噴飯ものだ。何が今の世に置いて、開国などよく言えたものだ。開国の名を騙るグローバリゼーションの本当の意味を分かっているのか? 一夜にして、興ざめものであった。


 温暖化は騙りである。開国も今の世にして、完全な騙り。その内分かるだろう。アメリカが困窮しているのは、グローバリゼーションに依る。これは既に明らかになっている。グローバリゼーションは、アメリカに巣食うNWOの策動であって、アメリカ本体を貪る意味があったのである。


 それと帯同するなどと言うことは、既に古い。石頭の証左である。その前にアメリカという国家が崩壊の瀬戸際にあると言うことが見えていないらしい。


 まあ、欺されるにしても程度が低すぎるという話である。打ち上げ花火と言うにも、湿った腐れ花火と言うべきであろう。大したことはない。もう見限った。


 官僚支配からの脱却、地方分権までは正解だが、あとは全く見当違いだ。それが何であるか、自ずと判明して来るであろうが、少なくとも世の中をリードする中身は今はない。あだ花は早く開いて、馬脚を現す方が、本物の登場に寄与するであろう。


【転載開始】渡辺謙さん、ダボス会議でスピーチ 原子力からの転換訴える  【赤文字は転載者による】

2012年1月26日


 スイスで25日に開会した世界経済フォーラム年次総会「ダボス会議」で、俳優の渡辺謙さんがスピーチに立ち、各国から寄せられた東日本大震災の被災地支援への深い感謝と立ち上がる決意を語るとともに、原子力から再生エネルギーへの転換を訴えた。

 渡辺さんは、震災発生直後から、インターネットにメッセージなどで被災者を応援するサイト「kizuna311」を立ち上げ、現地を幾度も訪れるなど、支援活動を積極的に続けている。

 スピーチは現地時間25日午前(日本時間同日午後)に行われた。渡辺さんは「私たちの決意として、世界に届いてほしいと思います」と話している。

 スピーチ全文は次の通り。

 初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。

 まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。

 私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍た ち。さらには近代の軍人や一般の町人たちも。その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。役を作るために日本の歴史を学ぶこと で、さまざまなことを知りました。ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。

 その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。19世紀末の日本。そう、映画「ラストサムライ」の時代です。260年という長きにわたって国を閉 じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。そのころの日本は貧しかった。封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在 しませんでした。人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。私は教科書でそう教わりました。

 しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。し かし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。

 それから日本にはさまざまなことが起こりました。長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。

 私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川 で遊ぶ暮らしでした。冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あま り、社会は激変しました。携帯電話、インターネット、本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。物質的な豊か さは飽和状態になって来ました。文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。

 そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしま いました。電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。そこに何が残っていたか。何も持たない人間でした。しかし人が 人を救い、支え、寄り添う行為がありました。それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。それは私たちが持っていた「絆」という文化だった のです。

 「絆」、漢字では半分の糸と書きます。半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。困っている人がいれば助ける。おなかがすいている 人がいれば分け合う。人として当たり前の行為です。そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。多くの外国から支援者がやって来てくれました。 絆は世界ともつながっていたのです。人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったので す。

 いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。

 国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。しかし 度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物 質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に 頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。

 私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今まで と違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。しかし、今や らなければ未来は見えて来ません。心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。そしてこの 「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。【転載終了】

       

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