10月22日、滝廉太郎記念館を訪れました。滝廉太郎記念館はこの地で少年期、2年半だけ過ごしたときの旧家でした。不朽の名作、荒城の月を作曲し、23歳の若さで亡くなりました。日本の音楽に多大な貢献をされた方だったというのがこの記念館を見学してよくわかりました。また、岡城址や自然一杯の竹田をこよなく愛していたのもよくわかりました。
右側は洞穴の馬小屋
お正月の歌も作曲されていたのは知りませんでした。
また、キャスターだった筑紫哲也さん(滝廉太郎記念館の名誉館長)は、滝廉太郎の妹さんの孫だったそうですね。
右側は洞穴の馬小屋
お正月の歌も作曲されていたのは知りませんでした。
また、キャスターだった筑紫哲也さん(滝廉太郎記念館の名誉館長)は、滝廉太郎の妹さんの孫だったそうですね。