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融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

山本太郎、首相に直談判

2024年12月17日 | 日記

 長周新聞(紙版)に「山本太郎、首相に直談判」という記事が掲載されていました。れいわ新選組代表の山本太郎参議院議員が、6日の参院予算委員会で質問に立ち、元日の地震と9月の豪雨で被災した能登半島に豪雪の季節が訪れる前に自衛隊を投入して民有地の土砂撤去を加速させることを石破首相に直接求めた、というものです。長周新聞の12月13日号に、質疑の要旨に被災地の写真も加え、多くの字数を割いて詳細に伝えています。月々1,500円、ご購読をお勧めします。

 私の住んでいる所は、石破首相の「地元」とする場所に近いので、応援の意味で軍事オタクの首相ならではのアイデアとして、能登半島地震の被災者救援のために、自衛隊の人員と装備(空母とか輸送ヘリとか)を使って大規模に、集中して作業を展開し、半島という地方中の地方である能登の被災者のために早期復興の陣頭指揮を執ったらどうかと書きました。しかし、「地方再生」に力を入れていると言う割には、能登で何も具体的なことがなされる訳でもなく、未だに瓦礫に溢れる中に被災者を放置して、いつもの自民党議員しぐさ(手のひら返し、ぶれまくり)の石破首相を見ていると、口だけで中身のない、まんま二世議員の悪いところを見ているようです。

 とはいえ、首相は忙しいもので、首相になったばかりだから大目に見てやれという意見もあります。そうかと思いつつ、一方で地方にこだわりがあるというのが売りなならば、その得意分野で個性を発揮するのが支持を得るための近道というものではないかと歯がゆい思いがします。今の首相を見ていると、助けてあげたい気持ちになってしまいます。クリスチャンなのに、神社で出陣式をしたりと、本人も誰でも助けて欲しいと思っているに違いありません。色々と忙しいというのは、誰でも一緒です。まずは、国内の地方中の地方で一番困っている被災者を救済し、一日も早く安心して暮らせるようにすることです。それが日本全体の安心にもつながるはずだからです。やっとのことで自分のライフワークをやれる立場になったんだから。やれば。

 

 


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西洋的なものは胡散臭い

2024年12月16日 | 日記

 北海道にいたとき、鷲頭さんご夫婦には随分とお世話になっていました。ある時の話題で、お連れ合いさんが「西洋的なものは嫌いだ」という話になりました。私は西方教会の流れに属する牧師でしたし、それ以上にそもそもが西洋について知識不足・勉強不足な若造でしたので、「良いところもあるんじゃないか」みたいな話をしたような覚えがあります。

 あれから時が流れ、失敗の経験を重ね、自分の至らなさを大いに自覚できるようになり、少しは成長できたかなと思っていますが、今も恥ずかしくってお二人の前に顔を出すことができていません。いつになったら胸を張ってお会いできるようになるのかも分かりません。当分無理だ、いや一生無理かも知れません。どうか、お元気でいて欲しいと願うばかりです。

 資本主義が機能不全を起こし、富と権力を持つ者がメディアを操り、イメージ戦略を駆使するという世の中になっています。気がつけば、「ロシアはウクライナに侵略してけしからん」と考える人が多いように思います。戦争しているのはロシアとウクライナですが、ウクライナのバックには西欧諸国とアメリカがいて、武器と人員を供給して代理戦争をしています。

 ところが、この度攻撃を受けて陥落したシリアに、イスラエルが侵攻して自分たちの領土を広げています。そんなイスラエルのことを、「イスラエルはシリアに侵略してけしからん」と考える人は少ないように思います。イスラエルが侵略者であると思わせないようにするメディアのイメージ戦略があるからです。

 シリアを陥れたアルカイダというテロ集団も、イスラエルに文句を言わず、対立もしません。アルカイダは傭兵であり、彼らの雇い主は、バックにいるアメリカやイギリス、トルコなどです。ウクライナ戦争のバックにいるのも、シリア戦争のバックにいるのも、みな同じ、アメリカと西欧という似たり寄ったりの顔ぶれなのです。

 現象は同じなのに、ロシアがやったら「侵略」で、イスラエルがやったら「侵略でない」というのなら二枚舌・二重基準(ダブルスタンダード)というものです。それを平然とやってのけて成立させる「西洋的なもの」とは、実に胡散臭いものだと思います。

 ブックマークさせていただいてる「櫻井ジャーナル」さんの記事に、シリアでの状況についてコンパクトにまとめられています。大変参考になります。既にご覧いただいているかも知れませんが、ご紹介いたします。

 


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明日は礼拝です

2024年12月14日 | 礼拝のご案内

 明日12月15日(日)は、第三アドヴェント礼拝です。午前10時から礼拝が始まります。メッセージは「名前よりも愛」、賛美歌は「主を待ち望むアドヴェント」(3番)、「見張りの人よ」です。礼拝後は、祈りの一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 クリスマスが近づいて参りました。クリスマスというと、イエスさんの誕生日をお祝いする行事で、世界的な規模ですでに出来上がっているものです。一方で、イエスさんは、自分の誕生日を祝って欲しいと願っているのかというと、そのような根拠は明確に見つかるものでもありません。おそらくは、古代の政治と宗教が両輪となって国家運営されていた時代の名残で、王様の誕生日を記念してお祝いするのと同じようなものではないかと想像したりします。

 クリスマスが世界的な規模で浸透していますので、戦争中でもクリスマス休戦という考えが浮かぶようです。すごい影響力だなぁと思います。でも、イエスさんは、「私を崇めよ」と教えたのではなく、「隣人を自分のように愛しなさい」と教えたのですから、そもそも戦争などしないことを教えているのだと思うと、人間とはなかなか難しいものだと思ったりします。

 特に、今はウクライナ、パレスチナを舞台に、そしてシリアも加わって戦争が繰り広げられています。そして、台湾周辺でも紛争の準備が着々と進められています。また、胡散臭いカラー革命とらやの火種もグルジアなどでくすぶっているようです。次から次へと争いの場が広げられているようで、他人の国に干渉するのは止めてもらいたいものです。

 そのような年に、またクリスマスを迎えようとしています。なので、素直に浮かれる気持ちになれないというのが本音です。けれども、小さな子どもには、少しでも楽しい行事として過ごしてもらいたいと願っています。私も自らの歩みを振り返る歳頃になったのだなぁと思わされる今日この頃です。

 


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「全身全霊の愛」

2024年12月14日 | 聖書のお話

「全身全霊の愛」 ルカによる福音書 1章46~56節

 マリアは、天使から受胎告知を受けた際、親類である高齢のエリサベトが男の子を身ごもっていることを知らされました。マリアは、急いでエリサベトの元を訪ね、そこで大胆な言葉を語りました。それが、「マリアの賛歌」として伝えられています。しかし、マリアが語った言葉を吟味すると、賛歌と言うよりも、むしろ預言と言うべき内容です。

 マリアは、最も小さい存在を忘れない神さまの愛を高らかに称え、社会で思い上がって不正を働く権力者を打ち散らし、弱くされている人たちを高く上げ、本来あるべき社会へと政治が変えられる様子を大胆に語っています。それは、庶民で女性で、当時の父権制社会で最も小さい存在とされていたマリアが語ることが許されないような内容です。それ故に、マリアの言葉は聖霊が語らせたもの、すなわち神さまの言葉である預言と言っても過言ではありません。

 その後、エリサベトは、男の子を出産しました。夫ザカリアは、その子が社会を変革し、やがて平和へと導く使命が与えられていると預言しました。当時、男性であり祭司であるザカリアが預言するのは当たり前とされ、マリアが預言しても、それは賛歌でしかあり得ませんでした。そのような父権制社会の直中にあって、マリアがそれでもなお預言のような内容の言葉を語ることができたのは、神さまの愛に呼応し、全身全霊の愛を込めて社会の変革と平和を希求していたからに他なりません。

 


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明日は礼拝です

2024年12月07日 | 礼拝のご案内

 明日12月8日(日)は、第二アドヴェント礼拝です。午前10時から礼拝が始まります。メッセージは「全身全霊の愛」、賛美歌は「主を待ち望むアドヴェント」(2番)、「見張りの人よ」です。礼拝後は、祈りの一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 師走に入り、間もなく2024年も終わろうとしています。今、生きることができているのを素直に感謝したいと思います。ところで、世の中は、次々と問題が起こるものですね。年が明けても次々と問題が起こる予約が入っているようです。「十年一昔」と言われているように、時代が移り変わり、新しい技術の革新もあり、10年前の常識など通用しなくなっています。これからの世の中は、「知らない」ということが「騙される」というのと同じになり、命取りになってしまうのではないかと思わされています。お年寄りは過去の常識に生き、若い人たちはこれからの常識に生き、中間の世代はお年寄りからも若者からも理解されずに戸惑いながら生きているような気がする今日この頃です。

 


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