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融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2022年03月12日 | 礼拝のご案内

 明日3月13日(日)は、主日礼拝です。午前9時からの教会学校については、コロナのこともあり引き続きお休みしています。10時30分から礼拝が始まります。メッセージの題は「私の家族」、賛美歌は「ああ主は誰がため」、「十字架のもとに」です。礼拝中は、窓を空けて換気をしています。礼拝後のお茶の一時は、お休みします。ご興味のある方は、感染症対策の上、どなたでもご出席ください。一方で、町内の新型コロナ感染状況は、以前に比べると落ち着いているとのことですが、県内や周辺を含めても依然として高止まりの傾向にあるようです。礼拝の出席については、各人の体調等を踏まえて判断してください。

 とは言え、季節は春の装いが濃くなって来ました。季節の変わり目となり、冬に固くなった体を労りながら、活発に活動ができるように備えたいと思います。世界は、単純な善悪二元論では推し量ることなどできません。フェエイクや嘘情報が飛び交う中にあって騙されるのではなく、互いに相手の心の声に耳を傾けるような関係に立って、世界の平和が保たれるよう祈りたいと思います。

 


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厳しく愛する

2022年03月12日 | 聖書のお話

「厳しく愛する」 マルコによる福音書 1章40~45節

 重い皮膚病を患っていた人は、社会から隔離され、人々と礼拝を共にすることさえ許されませんでした。彼は、イエスさんのところに来て、自分が人々と共に礼拝が守れるように病気が癒やされることが神さまの「御心」なのかを問いました。イエスさんは、それが神さまの「御心」であることを示すため、「よろしい、清くなれ」と言いました。すると、たちまち彼は癒やされました。

 彼が癒やされて後、さし当たっての問題は、人々から偏見や差別を受けないで社会復帰を果たすことでした。そのために、イエスさんはモーセが定めた律法に則って手続きを行い、祭司に証明してもらい、人々に納得してもらう方法を示しました。しかし、彼は、その手続きを経ずに、人々に自分の病気が癒やされた事実を告げ、言い広めました。

 多くの人々は、神さまの「御心」を理解することができませんでした。そのため、イエスさんは公然と町に入ることができなくなりました。先の病気が癒やされた人も、人々の無理解と差別や偏見に晒されました。彼を始めとし、困難を乗り越えてイエスさんの元へと集まってきた人たちは、神さまの「御心」を信じ、決して諦めずにイエスさんの愛の教えに従おうとした人たちなのです。

 


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明日は礼拝です

2022年03月05日 | 礼拝のご案内

 明日3月6日(日)は、主日礼拝です。午前9時からの教会学校については、コロナのこともあり引き続きお休みしています。10時30分から礼拝が始まります。メッセージの題は「厳しく愛する」、賛美歌は「ああ主は誰がため」、「十字架のもとに」です。礼拝中は、窓を空けて換気をしています。礼拝後のお茶の一時は、お休みします。ご興味のある方は、感染症対策の上、どなたでもご出席ください。

 新温泉町でコロナ感染拡大のために、2月一杯礼拝をお休みしていました。状況がすっかり好転したとは言えませんが、感染症対策を徹底して、再開することにします。それぞれの健康状態や行動等により、礼拝への出欠についてはご判断を委ねたいと思います。小さな町ですので、新型コロナ感染者を出さないという思いをもって、この状況を見守りたいと思います。

 長周新聞さんのサイトから、オリバー・ストーン監督による1916年制作のドキュメンタリー「ウクライナ・オン・ファイヤー」の紹介がありました。内容は、所謂「カラー革命」についてのドキュメンタリーです。世界の出来事は、単純な正義や悪で理解するべきことではなく、プロパガンダや情報操作、工作といったものが張り巡らされていることを改めて考えさせられます。国際社会がお互いの利益を尊重することによって紛争の起こらない社会へと向かうことを心から祈念いたします。

 


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人の内に実を結ぶ

2022年03月04日 | 聖書のお話

「人の内に実を結ぶ」 マルコによる福音書 4章1~20節

 種が芽を出して豊かに実るためには、土と水と太陽の光が必要不可欠です。聖書は、土を人間が耕して良い畑にするように求めています。たとえ話は、人が土を耕し、種を蒔く存在であることを教えています。種は、人間の心の内で実を結び、豊かな恵みとなってその人を満たす神さまのみ言葉のことです。

 神さまのみ言葉は、カラスがすぐ来て食べてしまうような道端であっても、土の薄い石地で芽が出てもすぐ枯れてしまうような場所であっても、茨が覆い尽くすような場所であっても、分け隔てなく平等に蒔かれます。み言葉を自分の心の内に受け入れるかどうかは、その人に全て委ねられているのです。

 人間に求められていることは、努力を惜しまず土を耕し、心の内を良い畑にするということです。実を結ぶための水や太陽の光は、全部神さまが保証してくださいます。そうしてよく耕された良い畑に蒔かれた種は、その人の内に大きく根を張って百倍の実を結び、豊かな恵みをもたらすのです。

 


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