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融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2021年10月09日 | 礼拝のご案内

 明日10月10日(日)は、主日礼拝です。午前9時からの教会学校については、コロナのこともあり引き続きお休みしています。10時30分から礼拝が始まります。メッセージの題は「神だけを頼りにする」、賛美歌は「賜物と歌を」、「神はわが砦」です。礼拝中は、窓を空けて換気をしています。ご興味のある方は、感染症対策の上、どなたでもご出席ください。礼拝後は、祈りの一時、お茶の一時を予定していますが、いずれも参加人数が多い場合は行いません。コロナ渦にあってのお守りをお祈り申し上げます。

 ここのところ、暑さがぶり返しています。季節の変わり目の時期でもあり、体調管理が大変です。台風や地震など、コロナ渦にあって不安も耐えません。被災の状況にある方々に心からお見舞い申し上げます。コロナが下火になっているようですが、是非このまま沈静化して欲しいものだと思います。けれども、自民党総裁選挙があったり、近々衆議院選挙もあったりと、選挙対策のためにコロナの感染者のデーターを低く操作しているのではないかと、そんなことを疑わなければならない気持ちです。なぜなら、「森友問題」のように公文書偽造が平気で行われている政府だからです。そうでなければ、疑いなどしません。専門家が予想している第6派がどのようであるのか、それが一つの答えになるのかも知れません。

 


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「天からの権威」

2021年10月09日 | 聖書のお話

「天からの権威」 マタイによる福音書 21章23~27節
 
 祭司長や律法学者、長老たちは、ユダヤ社会で神さまに仕える指導者として権威を持っていました。彼らは、神殿で商人が商売することを許可していました。ところが、イエスさんは神殿から商人を追い出すという「宮清め」という行為をやってのけました。それを見ていた幼子たちが、「ダビデの子にホサナ」と言い出しました。祭司長や律法学者たちは、幼子たちの声を快く思わず、イエスさんに「子どもたちが何と言っているか聞こえるか」と言いました。

 当時のユダヤ社会は、弱く貧しくさせられた人たちが不満をため込んでいました。民の指導者たちは、ローマ帝国の顔色をうかがうばかりで、弱く貧しくさせられた民を助けようとはしませんでした。また当時の社会は、幼子たちのことを取るに足らない存在であると考えていました。そんな幼子たちが社会に不満を持ち、「ダビデの子にホサナ(ダビデの子よ、救ってください)」と言わざるをえなかった状況は、当時のユダヤ社会の行き詰まりを表しています。

 祭司長や長老たちは、「何の権威でこのようなことをしているのか。誰がその権威を与えたのか。」とイエスさんに言いました。すると、イエスさんは、バプテスマのヨハネの権威がどこから来たのか答えなさいと言い返しました。祭司長や長老たちは、保身のために「分からない」と答えました。本当の指導者とは、天からの権威を自らの保身のために使うのではなく、弱く貧しくさせられた人たちを救うために使うものであると教えられています。

 


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明日は礼拝です

2021年10月02日 | 礼拝のご案内

 明日10月3日(日)は、教会暦で世界聖餐日、世界宣教の日です。午前9時からの教会学校については、コロナのこともあり引き続きお休みしています。10時30分から礼拝が始まります。メッセージの題は「天からの権威」、賛美歌は「賜物と歌を」、「神はわが砦」です。礼拝中は、窓を空けて換気をしています。ご興味のある方は、感染症対策の上、どなたでもご出席ください。礼拝後は、祈りの一時、お茶の一時を予定していますが、いずれも参加人数が多い場合は行いません。役員のみの10月定例役員会は行います。コロナ渦にあってのお守りをお祈り申し上げます。

 コロナが少し収まっていますが、それは東京の数字が減少したことが大きいようです。まさか、自民総裁選挙をお膳立てするために小池知事が数字を小さく見せたわけではないと思いますが、おかげで週末の繁華街も大盛況とのことです。このまま自然に減少すれば万々歳ですが、感染者偽装なら再び感染拡大が予想されます。いずれにしても、コロナ終息をと祈っています。

 自民党総裁選では、党員の多くの民意を反故にする、一握りのバブルの中で不正に甘い汁を吸っていると疑われる上級国民の力をまざまざと見せつけられました。しかし、一つの組織とはいえ、組織内の大多数の民意が一握りの人たちによって反故にされるというのは、その組織にとって決して良いことではないように思われますので、犯罪のない健全な組織になって欲しいものだと思います。老婆心ならぬ、老爺心ながら・・・。

 


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「先にいる者が後になる」

2021年10月01日 | 聖書のお話

「先にいる者が後になる」 マタイによる福音書 20章1~16節
 
 イエスさんは、「天の国は次のようにたとえられる。」と言って、「ぶどう園の労働者」のたとえ話をしました。ぶどう園の主人が夜明けに広場に行き、一日につき1デナリオンの契約でそこにいた労働者を雇いました。その後も主人は、9時頃、12時頃、15時頃、17時頃にも広場に行き、雇われることなく立っていた労働者に賃金を明示せずに雇いました。18時になって労働時間が終わってから、主人は後から来た労働者から順に1デナリオンの賃金を渡し始め、最初に雇われた労働者にも1デナリオン渡しました。すると、最初に雇われた労働者がもっともらえるはずだと考え、「最後に来たこの連中は、1時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと同じ扱いにするとは。」と不平を言い出しました。

 確かに主人は、最初に雇った労働者と一日1デナリオンの契約を交わしたのですから、彼らに何ら不当なことをしてはいません。けれども、最初に雇われた人は、朝から晩まで汗を流して働いたのですから、1時間しか働かなかった人に1デナリオンの賃金を渡されたのを見て、「もっともらえるはずだ」と考えたのは無理もないと思います。しかし、9時頃、12時頃、15時頃、特に17時頃になっても雇われることなく広場に立っているしかなかった労働者は、高齢であったり、怪我をしていたりと、働きたくても雇ってもらえなかった人たちなのです。高齢でも、怪我をしていても、どんな人であっても生きるために一日1デナリオンが必要ならば、だったら「もっともらえるはずだ」ではなく、「みんなもらえて良かったね」と思えるのが「天の国」なのです。

 


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