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融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

東日本大震災・被災者/被災地を覚える但馬の集い

2017年06月25日 | 日記

 本日午後2時から、「東日本大震災・被災者/被災地を覚える但馬の集い」が豊岡教会を会場にして行われました。浜坂教会からは、それぞれ都合や予定があって、私だけの出席となりました。

 集会では、「被災地の今」~東日本大震災・大津波から6年を経て~と題して、柴田信也さん(前兵庫教区長田センター主事・元香住教会牧師)がお話をされました。柴田さんは、2015年4月から2017年3月まで、日本基督教団東北教区被災者支援センター・エマオでスタッフとして支援活動に従事されていました。

 柴田さんは、何か難しことを話すというのではなく、ご自分が活動されてきたことについて分かり易く丁寧に報告するという形をとられました。そのことを通して、馴染みの薄い遠い地域の出来事といった捉え方ではなくて、自分の身近で起こっている出来事のように受け止めて欲しいと考えられたのではないかと思いました。

 そうして、ご自分が関わったことを伝え、共有・共感を得た上で、最後に、貧しさや弱さによって社会的な孤独、望まない孤立を強いられ、また人間の尊厳が災害によって劇的に奪われ、人の死が早められるようなことのない地域や社会を作るにはどうしたら良いのだろうかと問題提起をされたように受け止めました。

 ありがちなことですが、困った人を助けてやろうといった上から目線の考え方があり、「被災者は甘えるな」というような意見を言う人もいます。被災地のことを知らず、被災者のことも知らないで、傍観者で他人事であるからこそ言える言葉なのかも知れません。そして、そこには何の「志」もないでしょう。

 柴田さんは、災害で社会的な孤独、望まない孤立を強いられて、人の死が早められることのないような社会を作ろうとの「志」を示されました。教会の宣教も、単なる信者獲得などではなく、柴田さんの言われる「志」に共通する「志」があるように思います。その「志」を持って、地域で「愛の教え」を宣べ伝えるようでありたいと思わされました。

 

  


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明日は礼拝です

2017年06月24日 | 礼拝のご案内

 明日、6月25日(日)は、主日礼拝です。午前9時から教会学校、午前10時15分からは讃美歌練習、午前10時30分から礼拝が始まります。メッセージは「本当に必要なもの」です。讃美歌は「イェスは委ねられる」(今月の歌)、「主よ、いのちのパンをさき」、「ガリラヤの風かおる丘で」です。礼拝後は、祈りの一時、会堂清掃、お茶の一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 今日は、午前中にトウガンの苗を猫の額畑に植えました。カラスに突っつかれないことを祈ります。先週は、庭の方にプランターでトマト、ピーマン、キュウリ、ゴーヤーを植えました。活着したかな。来週は、雨の日が続くようですが、病気にならないようにと祈ります。

 ところで、前川さんという方が記者会見をなされたのですが、その会見内容から、とてもしっかりした方だという印象を受けました。前川さんは、部下に信頼される方との前評判ですが、その通りだと思いました。

 特に、会見最後のところで、個人の尊重と国民主権ということについて語られていましたが、こんな立派な考えを持ちながら国民のための仕事をされていたのかと思うと、目が覚めるような気がします。

 ご紹介しますので、御覧になってください。少し長いですが、時間を忘れて見入ってしまうほどです。 

 

【ノーカット】前川喜平前文部科学事務次官 記者会見 6月23日

 


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今日は「慰霊の日」

2017年06月23日 | 日記

 今日は、「慰霊の日」です。

 


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「喜びと真心をもって」

2017年06月22日 | 聖書のお話

「喜びと真心をもって」 使徒言行録 2章43~47節

 使徒たちの不思議な業によって、「すべての人に恐れが生じた」と伝えられています。奇跡を目の当たりにして、危機感を抱いたというのでしょうか。反対に、使徒たちの生活は、持ち物を売り払ったり共有したりして、互いに喜びと真心をもった共同生活を送っていました。その有様は、「民衆全体から好意を寄せられた」と伝えられています。恐れを生じた人たちもいれば、好意を寄せた人たちもいたということでしょうか。

 私たちにとっても大切なことは、恐れによって人を支配するのではなく、喜びと真心をもって共に生きるということではないでしょうか。喜びと真心がわき上がってくる源は、イエスさんの十字架と復活によって罪が赦されたという喜びであり、その喜びの応答として互いを赦し合い、受け入れ合うという真心ではないかと思います。自分のことは棚に上げて、他人を裁こうとする行為に、喜びや真心がわき上がって来るでしょうか、人から好意を寄せられるでしょうか。教会が在ることの意味を教えられているように思います。

 


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「平安荘」の草刈り

2017年06月21日 | 日記

 月曜日は、教区キャンプ場「平安荘」での草刈りに行って来ました。

 ちょうど5~6年前になるでしょうか、私が洲本教会の頃、「平安荘」の管理を担当し、随分と整備をしたつもりなのですが、あの頃の面影はありません。元の木阿弥です。

 ただ、元の木阿弥になるほど自然の力があるということで、それはそれで安心です。もし、整備をしたために、自然が回復できなかったということなら、別の心配をしなければならないでしょう。

 お昼御飯は、いつものように小林 聖さんを中心に作ってくださいました。この時期、単に美味しいものが体に良いとは限りません。暑い中で作業をしていますので、辛みや苦みとか、かみかみメニューとか、複雑な味や食感のものが体に良いと思います。その点、いつも良く考えておられるようで、頭が下がります。今回もまた、食べた後で体に力が沸いてくるようなメニューでした。ごちそうさまでした。

 「平安荘」で遊ぶ子どもたちの姿を思い浮かべています。

 

 


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