「確かにイエスは怒っていた」 マルコによる福音書 1章40~48節
41節には、イエスさまが「深く憐れんだ」と記されています。古い写本には、「深く憐れんだ」ではなく、「怒った」と記されているのもあるようです。いずれにしても、イエスさまは、何に対して「怒った」のでしょうか。
重い皮膚病を患っていた人のことを「怒った」のでしょうか。彼は、イエスさまに「御心」を問いました。かなり、ズケズケとモノを言ったのかもしれません。また、イエスさまが祭司のところへ行くように厳しく言い聞かせたにも関わらず、言うことを聞きませんでした。おかげで、イエスさまは、公然と道を歩くことが出来なくなってしまいました。そんな彼のことを「怒った」のかもしれません。
あるいは、律法を「怒った」のでしょうか。彼を隔離し、そのまま放置し、共同体の交わりから忘れ去られてしまうような存在に定めたのは、他ならぬ律法です。イエスさまは、そんな律法を「怒った」のかもしれません。
もしかすると、イエスさまは、自分自身に対して「怒った」のかもしれません。宣教の働きがあまりにも忙しくて、彼のところに訪ねて行くことができなかったことを後悔したのかもしれません。また、清められたのを祭司に証明してもらうしかなかった自分の力不足を「怒った」のかもしれません。
そして、これら三つとも「怒った」のかもしれません。しかし一方で、これら三つのことを怒れるような人のことを、憐れみ深い人と言うことができるのかもしれません。イエスさまが「怒った」としても、「深く憐れまれた」としても、それは同じようなことなのかもしれませんね。