「愛はあべこべ」 マタイによる福音書 20章20~28節
本気で世の中を良くしようと思えば思うほど、国会議員や総理大臣になって働いた方が現実的ではないでしょうか。いくら井戸端会議で立派な議論を述べようとも、世の中は何も変わりません。地位や権力を使うことは、効率的でもあるのです。そのように考えると、ゼベダイの息子たちの母がその二人の息子と一緒になって、「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」とイエスさんにお願いしたのは、兄弟が本気でイエスさんと一緒に世の中を良くしようと考えていた表れなのかも知れません。
しかし、これを聞いた10人の弟子たちは、この二人の兄弟のことで腹を立てました。他の10人の弟子たちも、これからイエスさんと一緒に世の中を良くするために働こうとしていました。なのに、どうして腹を立てたのでしょうか。それは、弟子たちの間で、すで世の中でよくある権力争いと同じようなことが起こっていたからではないでしょうか。このことから、権力を用いて世の中を良くするのは、現実的で効率的でもある反面、実際に権力を用いることの難しさを伝えているように思われます。
イエスさんは、世の中を良くするにあたり、世の権力者が権力を用いて世の中を良くしようとする方法を採りませんでした。なぜなら、イエスさんが用いようとした手段は、「愛」だからです。権力とは往々にして上から目線で人々を従わせる冷淡な一面がありますが、「愛」はそうではありません。イエスさんは、「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい物は、皆の僕(奴隷)になりなさい。」と言いました。愛によって世の中を良くしようとするならば、この世の多くの人たちが持っている権力ではなく、権力とはあべこべの「愛」でなければならないと教えているのです。