「共感・共鳴・証明」 ルカによる福音書 7章31~35節
楽しいときには一緒に踊ったり、悲しいときには一緒に泣いたりすることができるのが人間というものです。豊かな人間関係とは、互いのことを理解し、共感や共鳴することによって、力を合わせて何か有益なことを共同で行うことができるということではないでしょうか。
振り返って、現代に生きる私たちは、確かに楽しいときに一緒に踊ったり、悲しいときに一緒に泣いたりすることがあります。しかし、それは共感や共鳴からというよりも、権力によって強制されたり、同調圧力からそうしているというところがありはしないでしょうか。そうであるならば、何か有益なことを共同で行うことができなくなってしまうように思われます。
聖書の時代、洗礼者ヨハネに対して「あれは悪霊に取りつかれている」と言う人たちが多く、イエスさんに対して「見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」と言う人たちが多かったと伝えられています。洗礼者ヨハネによる悔い改めの教えや、イエスさんによる愛の教えを聞いても、共感や共鳴できなかった人たちが多かったことが伝えられているのです。
「知恵の正しさ」とは、人間の考えるところの精一杯の正しさのことです。洗礼者ヨハネによる悔い改めの教えや、イエスさんによる愛の教えに共感・共鳴した人たちは、人間の考えではあるけれども精一杯の正しいと思った生き方を選び、まるで神の国を実現するような愛に溢れた生き方を通して、人々に自分たちが考えて選んだ道の正しさを証明することになるのです。