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融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2023年07月01日 | 礼拝のご案内

 明日7月2日(日)は、主日礼拝です。午前10時30分から礼拝が始まります。メッセージは「愛に立ち返る」、賛美歌は「どんなときでも」、「主よ、わが身を」です。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 感染症対策にご留意の上、ご出席ください。との表現は、しないことにしました。引き続き、換気を心がけ、アルコール消毒液やマスクは設置しておきますが、それらを活用するにあたっては各自のご判断に委ねます。礼拝中、牧師はずっと喋りっぱなしのような状態で、唾を飛ばすことになりますのでマスクをするかも知れませんが、それをもってご出席の方々にマスクを強要するものではありません。あしからずご了承ください。

 今週、見ず知らずの方から教会にご献金を捧げていただき、改めて浜坂教会はたくさんの方々に支えられて運営が可能になっていることを思わされました。感謝です。同時に、後になって心苦しい気持ちにもなりました。このコロナ渦の期間、行事を自粛し、低空飛行を続けていたことから、浜坂教会に期待され、負託されている事柄に十分応えることができなかったのかも知れないという気持ちがあるからだろうと思います。

 「自粛」というのは、自分の首を絞めるような諸刃の剣であったのかも知れない、そんな風に考えたりもしています。いずれにしても、いきなり満塁逆転ホームランをかっ飛ばすようなことはできませんが、地道に送りバントをしてでも前に進み、宣教の活動において明るい話題を提供できたらと願うこの頃です。一方で、健康や体調面での不安もないわけではなく、まずは一人の地域住民としての責任を果たしながら歩みを進めつつ、ふわさしい状況を待ちたいと願っています。

 


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「愛を喜ぶ」

2023年07月01日 | 聖書のお話

「愛を喜ぶ」 ルカによる福音書 15章1~7節

 ユダヤの社会では、「罪人」と呼ばれる人たちを作り出し、その人たちを蔑んでいました。イエスさんは、そのような行為が神の民としてふさわしいことなのかを人々に厳しく問い、差別という分断と対立を乗り越えるために、神の民に与えられている神の愛を十字架で現されました。

 イエスさんは、百匹の羊を持っている人がそのうちの一匹を見失ったとき、99匹を野原に残して見失った羊を探しに出かけるという譬えを話しました。「罪人」を作り出していたユダヤ社会の状況に当てはめて考えると、99匹を野原に残して一匹を探し出そうとする行為は、神の愛を伝えています。しかし、最後の部分には、「言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない99人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」と付け加えられています。このようにまとめられたことによって、譬え話がユダヤの社会に向けて語られている言葉なのか、他の社会に向けられて語られている言葉なのかを考える必要が生じています。

 当時のローマ帝国は、99人の奴隷を働かせて一人の市民が楽をして贅沢に暮らしているような社会でした。ルカによる福音書がローマ帝国の市民に向けて語られているものであることを考えるなら、この譬え話で「99人の正しい人」とは奴隷にさせられている人たちのことであり、「悔い改める一人の罪人」とは働きもせず楽をして贅沢に暮らしているローマ市民のことです。「一人の罪人」を悔い改めへと導く神の愛を喜んで受け入れるのかどうか、そのことをローマの「市民」と呼ばれる人たちが厳しく問われているのです。

 


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