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融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2019年02月16日 | 礼拝のご案内

 明日2月17日(日)は、主日礼拝です。午前9時から教会学校、午前10時30分から礼拝があります。メッセージは「平穏な時にこそ」、讃美歌は「主の食卓を囲み」、「主よ、終わりまで」、「キリストのしもべたちよ」です。礼拝後には、祈りの一時、お茶の一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご参加ください。

 明日は、転入式が予定されていましたが、当事者が日曜出勤になりましたので、延期となりました。また日程調整をして行いたいと思います。

 疲れが溜まったのか、今週はずっと調子が悪く、木曜から酷い痛みに襲われて悶絶していました。痛み止めが効いた時だけ平常でいられ、薬が切れたら七転八倒し、また薬を飲むという繰り返しでした。

 ちなみに、癌になったらもの凄く痛いそうですが、酷い痛みが続くと精神が崩壊してしまいまうとうのは分かるような気がします。世の中で凶悪事件と呼ばれるものの中には、悩みや痛みが背景にあるのかも知れないと思わされました。犯罪は赦されることではありませんが、犯罪に至らない前に、その人の痛みに気づき、痛みに寄り添うことができたら、結果は変わったのかも知れないなどと思ったりします。

 歳を重ねるにつれ、体力の衰え、回復が遅いことを痛感しています。映画「ローガン」というのを見たのを思い出しました。チャールズが認知症になったり、不老不死のウルヴァリン(ローガン)が老化して体が動かなくなっているのが身につまされ、泣けました。いずれ私も「死に場所」を探さないといけない時が来ると思わされました。

 

 


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「安息日の主」

2019年02月16日 | 聖書のお話

「安息日の主」 ルカによる福音書 6章1~5節

 安息日とは、一切の労働をしてはならないと定められていますが、むしろ、安息日だからこそ信仰的な思いをもって過ごすことが大切なのではないでしょうか。アレやコレは違反だと言って、違反しないことばかりに気を取られているのだとしたら、信仰とは何と無味乾燥なものだと思われることでしょう。

 信仰とは、一切モノを考えず、掟を守ることなのでしょうか。掟を守れなかった違反者を見つけ出すことなのでしょうか。口汚く罵れば、天国に行けるとでも思っているのでしょうか。そうではなく、信仰とは神さまと人との相互の信頼によって成り立っている温かい交わりのことではないかと思います。

 イエスさんは、ファリサイ派の人たちから安息日を破ったと問い詰められました。それに対して、ダビデが神さまの御用に向かうにあたり、空腹を満たすために祭司しか食べてはいけないとされた備えのパンを食べたという出来事を引き合いに出しました。毎日神さまの御用にあたっていたイエスさんから、神さまとの相互の信頼こそが「掟」よりも大切であることを教えられているように思います。

 


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