「人を励まし慰めた」 コリントの信徒への手紙一 14章1~5節
パウロは、まず「愛を追い求めなさい。」と教えています。当時、「異言」という霊的なタラントがありました。言い換えれば、神さまに向かって「賛美」をするようなものですが、その際にも他者への愛情を忘れないようにしなさいと教えています。同じように、「預言」という霊的なタラントがありました。言い換えれば、共同体の仲間に向かって「教会」を作り上げる言葉を語ることなのですが、その際にも他者への愛情を忘れないようにしなさいと教えています。「異言」は個人の信仰を成長させ、「預言」は教会の信仰を成長させるもので、そのいずれにも、愛情が大切であると教えているのです。
他者に対する愛情のない「賛美」や個人の信仰なら、「騒がしいどらや、やかましいシンバル」のようなもので、厳しく言えば自己満足ではないでしょうか。同じように、他者に対する愛情のない「教会生活」(信仰共同体での生活)や「宣教」なら、それもまた「騒がしいどらや、やかましいシンバル」のようなもので、厳しく言えば自己満足になってしまいます。
イエスさんを信じる信仰者は、イエスさんの十字架によってたくさんの愛と赦しを受けた存在です。だからこそ、心から「神は愛です」と告白できるのではないでしょうか。幼子が親から愛されるように、イエスさんから愛され、赦された信仰者は、他者への愛情を忘れるはずがなく、人を慰め励ますことが当たり前なのかもしれません。それに、自己満足な生き方をするよりも、他者を愛して生きる方が、人生をより豊かに生きることができるのではないでしょうか。
