宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。
 藤田幸右 管理人

津波復興パブリックコメント

2011年10月20日 | どうなる復興計画


宮古市東日本大震災復興計画【基本計画】に対するパブリックコメント

                   
(1)「第1 はじめに」について ──基本計画はよりシンプルに

ここには宮古市東日本大震災復興計画【基本計画】の目的や、内容として「3つの柱」などが述べられているが、もっと力強く、津波被災地区の復興1本に焦点を合わせて「はじめに」強調すべきではなかったか?と思った。宮古市総合計画(平成23年3月策定)や非被災地区、また時制の異なる計画などとの整合性を追うあまり、ぜんたいに焦点ぼけの感が否めない。整合性、総花性、言葉の使い方などにエネルギーを使うべきではない。市民も意味を理解しがたいし、被災自治体が一斉に国や県に予算などの要請の声を上げるなかで見劣りがしないか心配である。まず個々の被災地区の問題を復興計画の中心にどんと据えて、充分な計画を練り、不退転の予算計画をつくり、関連する周辺計画などと区別するべきではないか、と思う。例えば市の総合計画には国や県の復興予算はつかないであろうから。

計画名そもそもが、岩手県が「岩手県東日本震災津波復興計画」と「津波」を呼称しているのに宮古市の「宮古市東日本震災復興計画」では弱い。少なくともインパクト強く「宮古3.11津波復興計画」等とするべきでなかったか。


(2)「第2 都市基盤づくりの方針」について ──パターンの検証を

この表題にそもそも違和感を覚えるのは私だけであろうか?宮古市の都市基盤とは?都市部ではなく重茂や白浜や赤前や津軽石、金浜や鍬ヶ崎や田老などの個別被災地の基盤づくりが先ではないのか?!都市基盤というより地区集落基盤が先決だ。漁村基盤が最初だ、と、ついつい思ってしまうのである。この思い込みは正しいか、かんちがいか?…

というのも、この基本計画全体に、あるパターンが潜在していて本当のことが分からなくなっている傾向がある事である。それは述べられている「都市」「減災」「多重防災」「かさ上げ」「高所移転」「防潮堤」などの計画である。国発信の計画を県が、県の計画を市が、市の計画を地区が、同じパターンで言葉を繰り返していることである。国が国の復興計画で「都市基盤づくり」を主唱する事はもちろん悪い事ではない。国にとっての最小被災地区単位は宮古市や、釜石市などを指す「都市」という言葉かもしれないが、県がそれを復唱する事、市がそれをただ復唱する事ではだめなのである。「都市基盤」ではなく「(被災)地区基盤」ではなかろうか? 国の指導、県の指導等々のパターンは大きな復興支援策とし緊急、公平、適切なものであるかもしれない。しかし、上からのパターンは、いわば指導の方向性、復興の先々の光明の糸にすぎない。そのまま被災地に適用されるはずがない。間違ったもの、あいまいなものも多いのである。被災地区の事情を無視して上から押し付けるパターンになったり、画一的なものになったりしては本末転倒である。そうなってはいないだろうか?(その事は次の段階の【推進計画】で検証されるべきものと言うかもしれないが仮説の範囲を超えて既成事実化する危険がある)。地区、地区、地区独自の多様な復興策が一番大事なのである。パターンはその妨げになってはいないだろうか?明と暗を見極めることが求められる。
例えば、田老地区の「防潮堤」についても、防潮堤それ自体の構造に欠陥があったという。長く海の景観を遮り、津波時点でも波の襲来を隠したということもいわれている。なにより強大な防潮堤ということの神話的安心感が避難の最大の妨げとなった。防潮堤のなかった鍬ヶ崎地区との比較において全壊地区人口に対する死者・行方不明者の割合があまりにも大きかった事も防潮堤の見直し必至の状況となっている。※田老地区では死者・行方不明者の割合が鍬ヶ崎地区の約3.8倍。(田老地区の死者・行方不明者229人/津波被災人口3000人、鍬ヶ崎地区の死者・行方不明者65人/津波被災人口3200人)。

また「土地のかさ上げ」は一般的に津波に対しては無効である。なぜなら津波は浸水の高さで被害をもたらすのではなく、水量と速度を伴ったエネルギーの塊(かたまり)としてかさ上げを撃ち、遡上するからである。
「住宅の高所移転」は、候補地次第ではなかろうか?アンケートなどで一般的に希望を募っても意味がない。被災者自身が候補地をさがす仕組みが求められるのでは…

国、県からのパターンの一つ一つの検証、見直しを求めたい。それがなければ被災者は納得しないし、直接住民に説明する市の担当者は難儀するであろう。


(3)「資料編」から ──委員の交代を

宮古市東日本大震災復興計画「検討委員会委員」のことについて言わざるを得ない。壊滅的打撃を受けた当該市復興計画の検討委員の人選にしては緊迫感のない、旧態依然の人選のようで、これではよい意見は出てこないのではないのか、との印象を受けた。

●被災地区からの委員の人選がないこと。少なくとも色濃く被災地区からの人選がなければおかしいのではないか。垣根を越えて例えば業界の委員でも被災者の立場で意見を言ってもらう、と言ってもそれはタテマエであり、被災者からの人選がない事は変わりがない。おかしい。
●業界の長や役員の人選は余りにもありきたりである。業界の有力者が街を代表しているという前時代的な見識では復興はおぼつかない。市井の一般人の方が良い意見を出すであろう。学生、主婦、サラリーマンなど。少なくとも、これら業界の委員の方々からは若い業界人を推薦してもらう方が、業界からの人選とすれば、理にかなっているのでなかろうか。各種団体の役職者の場合も同じである。若い人を推薦してもらうようにする。
●業界からの人選と同じように関連企業からの委員については一般人を優先してオブザーバーに位置替えしてもらうべきである。学生、主婦、サラリーマンなど一般人については公募をふくめて、自薦、他薦によりボリュームを増やすべきである。ネット時代を生きる若い人には性、年齢、職業の別なく優秀な人材が多いように思う。
●イージーな学識経験者の人選。U委員長は、宮古市港湾振興ビジョン策定委員会の座長として鍬ヶ崎防潮堤整備計画を主導した。今回の津波の経過から、端的には田老の防潮堤との比較において、また減災の観点から、かの防潮堤整備計画は大きな疑問を残したままである。ビジョン策定委員としての反省的見解がないままに、再び検討委員に選任されている事には納得しがたいものがある。
●委員は暫時、委員会若返りのため入れ替えるべきである。全市から各層万遍なくということは勿論であるが被災地区各層(年齢、男女、生業)から厚く構成する事が妥当である。企業、業界、各種団体からは主にオブザーバー委員になっていただく方がプロの特色が出るのではなかろうか。いずれにしてもこの事には宮古市長の考え方が反映される。ただの事務局案追認的人事から、復興意欲あふれた委員構成になる事を望みたい。
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