宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。
 藤田幸右 管理人

田老「第一防潮堤」の今(11=つづき)

2013年10月02日 | どうなる田老

田老「第一防潮堤」の公共工事とは?

(1)(2)より続く

 

(3)その工法は河川洪水対策用でしかない。

 

a、パラペット工法は河川・ダムに効果的


旧田老「第一防潮堤」を解体的に破壊して20センチメートルをかさ上げするという事は岩手県県土整備部を核とした政治家、官僚、設計技術者を含める工事関係者が津波防災のための工事とは何かを知らないという事である。そもそも20センチの高さを稼ぐという事が津波防災に取っては何の役にも立たないという感覚がない…。海洋で20cmの高さとは?

県土整備部の県土全土で展開する公共工事の成功例のほとんどは河川の治水工事、また貯水ダムの建設ではなかろうか? そこでは堤防の、あるいはダムの高さを20センチかさ上げすれば、上げただけの効果はあるという骨にしみ込んだ成功体験がある。

だから田老「第一防潮堤」の修復設計(修復の必要ないものを)もそのアナログコンセプトのルーティン作業として進められている。



1図 河川堤防のかさ上げ

白い矢印のように水は堤防と平行に流れ、水勢は堤防には向かわない。 


天板から70センチメートルのパラペットによるかさ上げは、実のところ、既存ブロックの隊列から、高さで20センチのかさ上げにすぎない事は前に述べたが、パラペット工法については1図のように河川堤防の増水対策にしかなっていない。天板から70センチ高くパラペットを置いた事によって70センチ分の増水に対する洪水対策効果はあるという事であろうがあくまでも洪水増水対策であって海洋津波対策ではない。

強度については、力のベクトルを図に示したように、河川の水勢の「流れによる水の力」の方向は堤防と平行して下流に向いているから力学的力は堤防にはかからず、堤防にかかる力はただ深さからくる「寄りかかりの力」だけである。かさ上げされたパラペット部分には70センチの深さという事でほとんど力はかからない。だから中途半端にヘリだけを高くしても足りる。河川が蛇行する場所の角度に比例してそれぞれの強度の増減はあるが基本的には河川の水の力は堤防にはかからない。河川災害のほとんどは深さ(増水)に関係する氾濫や溢流に起因する洪水によるものである。

要するに、河川堤防の場合はパラペット工法が十分に効果的に役立つのである。ダムの場合でも、ダムにそのような事はないと思うが、パラペットでも何でもかさ上げの場合の計算(効果)は成り立つ。

 

b、パラペット工法は津波防災に耐え得ない。


津波には計算が成り立たない。発生も突発的、規模の予測も困難というのが正直なところである。したがって防災の諸計算も成り立たない。しかしながら電離層観測や諸機器の配置、またITや人材など、宇宙フィールドから人材の育成まで、地震観測や津波防災は日進月歩のプロセスにある事もまた事実である。 岩手県県土整備部だけが停滞している。

いわゆる水害と津波災害とは比較の余地がないほど全く別々の災害なのに、県土整備部のやり方は、ただ河川工事の津波復旧工事へのアナロジー(応用)である。河川堤防パラッペット工法の田老「第一防潮堤」への応用。

その無効性は下図を見て、防潮堤に(そして「パラペット」に)どんな力が加わるか想像して判断してほしい。長い時間による劣化に、直前の地震による弛み、津波の襲撃、直後のパラペットの転落、そして防潮堤本体の崩壊…が現実である。



2図 津波の運動の力のベクトル図 


[関連記事] これでいいのか復旧工事(7)岩手県県土整備部 2012.7.29


田老「第一防潮堤」が3.11の大津波に耐え得た理由についてもすでに述べている。地域各層の合意形成への人的一体性、避難のための区画整理と防潮堤の一体性、越流容認と躯体構造の一体性、などであった。直接的には、防潮堤そのものの水も漏らさない台形の一体的な造りである。


c、県土整備部の公共工事に津波対策はない!


今回の工事の無効性は、田老「第一防潮堤」特有の一体性の欠落という事であるが、もっと本質的な問題は工事が県土整備部の問題である事である。工事は民政的ニーズによるよりも政治的・行政的なニーズ(予算主義)により大きく依存している事である。県土整備部は一貫して国土交通省、知事、県議会に対する負託を負って設計し、そちらに顔を向けて施工してきた。県下沿岸が未曾有の災害にやられても、向いている顔の方向は一瞬も変わらなかったと言える。独立性のかけらもない、沿岸県民に対する大きな行政的背任…

 岩手県県土整備部と言えば特に内陸部の河川工事、ダム工事の実績が大きく、沿岸の津波復旧工事もその流れのままに差配進行している。どのような枝葉セクションに成るのか詳しくは分からないが「河川部」ないし「河川課」が代行してやっている。河川工事と津波復旧工事はお互い代行できるものではない事を、いくら口を酸っぱくして言っても分かってはもらえない。


田老町漁協 畠山昌彦氏撮影

河川工事、ダム工事の実績と言えば、その工事の「負」の実績も大きい。政治家がらみ、業界談合、官製談合、不正入札、不正工事、等々それらが岩手県の県土整備部のダーテイイメージを作ってきた。その原因とするところから県土整備部が自力で独力で一歩も足を踏み出せないでいる。そのことも革新的かつ緊急な「津波部」ないし「津波課」を創設できないことの理由になっている。

 

d、岩手県県土整備部の解体


「負」の実績の一方で、工学や工法など災害防止の技術的・学問的側面は完全に停滞してきたのである。有史以来の多発地帯である岩手県沿岸部の津波災害への備えはそこには何もない。そのような海洋工学的研究だけでなく、歴史経緯など人文的研究の有りやなしやも聞かない、というより完全に、ないと思われる。百年一日が如しという言葉があるが、県土整備部にかぎってはその言葉は比喩ではなく、岩手県沿岸部の津波災害への備えはほとんど百年前のままである。いつも出たとこ勝負…。広報、広聴、現場マネジメント…を見れば誰れの目にも分かる…ほとんどやる気がないようだ…

 津波防災や津波復旧はただその時々の目先の政治的、行政的な必要によってまかなわれてきた。その都度、その都度、県庁河川課の棚の奥にある前例図面が引き出され、日本土木建築業界が制作した「水災害の手引き」対策マニアル本のページが開かれている。今次3.11大津波の港湾等沿岸復旧工事が全てその流れの中にある。それが 「パラペット工法」「河川かさ上げ工法の発想」である。間に合わせ工事に被災者は怒るべきである。どこのだいにこんな工事があるものか!




図は2013.3.24 web 岩手日報より

信頼感のある効果的な工事は望むべくもない。約束されるものといえば基本的に「前と同じもの」の建設である。

図の田老地区防潮堤でいえば津波を中央部に呼び寄せ津波力を(分散ではなく)集中させる設計は前と変わっていない。第1線堤を4.7メートル高くする事によるあきらかな強度減少。また景観的にも一層市街地は防潮堤の陰に沈む事になり海が遠くなる。

表面的な違いはいろいろあるが本質は変わっていない古い工事の数々の再現である。3.11以前に建設した津波防災施設は今次津波によってことごとく崩壊し地域地域に大きな災害をもたらした。その反省は全く公表されず、技術イノベーションの気配もなく、3.11以後、復旧工事、新設工事が再びことごとく「前と同じもの」として施工、計画されている。「前と同じもの」の無効性をいくら経験しても彼ら、彼女らには分からないのだ。早急に岩手県県土整備部は解体されるべきである。


[関連記事] 4、防潮堤は人の命を守れるのか? 工事の責任がない! 2013.4.24

 

 

 

(12=その後)に続く

 

(10)にもどる

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする