宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。
 藤田幸右 管理人

4、防潮堤は人の命を守れるのか? 工事の責任がない!

2013年04月24日 | 防潮堤


海岸については、岩手、宮城、福島の3県の海岸(堤防護岸延長約300km)について、ヘリ空撮映像等をもとに概略調査したところ、約190kmで堤防の全壊・半壊が確認された。国土交通省白書「東日本大震災の発生」より)


   岩手県

この破壊された護岸堤防などの沿岸施設の赤いマッピングプロットは
正確ではない。地図上の縮尺は巨大過ぎで、損壊施設数は少なす
ぎる。施設数で言えばこの数倍、数十倍はあるであろう…



国交省の緊急発進ヘリコプター等からの調査によると東北3県においてはおよそ2/3の護岸堤防が全壊・半壊したとある。図は岩手県沿岸における、全壊・半壊したその護岸堤防のほか、やはり全壊・半壊した防潮堤、岸壁、埠頭など沿岸護岸全施設を私が勝手にプロットしたものである。正確には国交省や県庁や市町村が地図表示できるはずである…(が、いまだ私は見たことがないもので…)

 

● おかしいことである

2万人の死者行方不明者が出たのを防潮堤は救えなかった。それなのになぜ復興・復旧と称して防潮堤や湾港堤防を再度つくろうとするのか? いや、なぜなのかの問いかけも聞こうとしないで、考えもしないで(結論や合意がないまま)工事を急いでいる現実がある。

工事先行の現実では2万人の死者は浮かばれない…

 

● なぜ沿岸施設は壊れたのか

今次3.11の津波は想定外の高さで襲ってきた。そのためにこのように沿岸施設が死屍累々と倒れていった、という。想定外だけではおかしいではないか? 普代村も被害にあったが防潮堤、堤防、岸壁など港湾施設は倒れなかったのだ。どこの港湾施設でも岸壁や堤防や防潮堤は津波が超えてきても(越流しても)壊れる設計にはなっていなかったはずなのだ。関係者だけでなく沿岸住民は、少なくとも港湾施設が波に洗われる事は想定内の事だったという事を思い出してほしい。それが、死屍累々として破壊されたのはなぜだ!? の声がある。被災地以外の人は「堤防も、波止場も、岸壁も、埠頭も、防潮堤までも(想定外に)波が超えてきたんだって!」と言って気の毒に思っている。役所を含め工事関係者はその国民的同情に便乗して深刻な責任問題を回避している。何度も言うが津波の越流は昔も今も将来も想定内の事なのです(むしろここに工事のあり方の重要なヒントがあるのです…)。

多くの「だれか」が「想定外」の言葉の影に隠れて責任逃れをしている


 破壊された釜石湾口のスーパー防波堤。
全長1.6km 経費1,200億円(2011.3.18 日本経済新聞より

 

● のような惨事に責任をとる人はいないのか

おかしい事がまかり通っている。上図にあるように沿岸の港湾施設、防潮堤、防波堤、岸壁などが今次3.11津波によって破壊された。見る通り港湾施設は死屍累々の様相である。ひいてはそのために死亡、行方不明、負傷した人々もいる。第一義的にこの責任はだれが取るのであろうか? 天や地の責任の話ではない。また倫理や過失などの事でもない。港湾施設の工事責任者や保守管理責任者の事である。政治的責任、行政責任、民事責任、刑事責任に抵触する責任範囲の事である。橋やトンネルなどのどこにでもある欠陥工事の責任と同じ事である。だれでもわかる単純な事である。おかしくはないですか?

世界が不思議がっているのは、責任をとらない、責任を求めない、この無責任意識なのです。平時ならともかくこのような大災害有事に、なお責任問題がむにゃむにゃなのは、世界の人が日本国民に感じている不思議でありがっかりである。

 

● 工事は始まっているが責任ある反省になっていない

まず国土交通省、県土整備部、自治体首長の責任を問いたい。釜石湾口防波堤は既に工事が始まっている。大船渡の湾口防波堤も追随していくようだ、宮古市田老の防潮堤も工事はスケジュールに入っている。公然とした工事先行の勢いですが、いずれも効果や安全性に根拠のない、少なくとも、根拠薄弱な工事であります。新湾口防波堤や新防潮堤が再び破壊されて甚大な被害が予想されるのではないですか? そうはならない根拠はあるのですか? と問うが……答えは返ってこない。工事業者は頑にノーコメントだ

答えがないのは、旧湾口防波堤や旧防潮堤がなぜ破壊されたのか、の答えがないのと同じ事なのです。その道理は小学生でも分かる事だ…

旧工事が役に立たなかった理由は、

・自然災害に対する防災思想・防災構想が間違っていたか浅かった事、

・施設の設計が思想的にも工学的にも吟味されたものではなく幼稚であった事、

・工事そのものに手抜きやごまかしがあった事、その管理ができていなかった事、

・施設を海水に漬けたままや吹きさらしのままにして何年も何十年も点検整備の義務を果たしていなかった事、

などです。

彼らは過去を、深刻に、責任を持って反省していないのです。

 

● 市民もまだ納得してない

 工事の意味を理解していないのは市民も同じです。今次3.11津波を経験して、市民は慎重になっています。猜疑的になっている向きもあると思います。岩手県の建設業界の談合体質、数えきれない不正入札事件、公務員の業者との癒着、国土交通省や県土整備部の官僚体質などを思い出しているのです。自治体や県や国が誠意を尽くして「大丈夫だ」と説明してくれれば市民も理解して納得すると思いますが、それがなされていないのです。それで市民は新工法と言われる「ねばりのある」堤防というのも理解できていない。新工法の理解というより旧堤防の破壊のショックや、責任問題、欠陥隠しのような拙速さに信用ができないのだと思います。また宮古市田老地区の防潮堤の第一線堤が、そこだけ破壊された理由、そして新第一線堤が元の位置から海側にさらに寄って計画されている理由など市民は説明されていない。手抜き工事が指摘されても責任の所在が説明されない状態では…

工事のための工事では人の命は守れない 

 

● 釜石市長、大船渡市長、宮古市長はなぜ工事を急ぐのか?

 予算が逃げていくのではないかと思っているからです。予算には当然期限があります。国の予算が消化できなかったり、もらえなかったりすれば自分の選挙に不利に働くと考えているのです。情けない考えです。防災に何が大事か、市民の合意形成を考えるより、外部の予算獲得で男を上げたいと思っているだけです。そうでなく旧田老村の関口松太郎村長のような気骨が欲しい。気骨を今風に置き換えればしっかりした市民への説明責任、不退転の合意形成という事でしょう。国交省、県土整備部の予算主義・金権主義を乗り越えるのか、屈するのか、は市民の側に立って一緒に進むかどうかにかかっています。

国や県の名誉のために言っておくが、予算は予算主義や金権のためのものではなく、災害復興に役立つよう柔軟に執行するためのものである。受け皿の末端自治体が硬直しているのであればそのように生きた予算にはならない。あくまでも末端首長や陣笠議員、また中央の本物の官僚主義が災いしている。






 

 

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