宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。
 藤田幸右 管理人

鍬ヶ崎「まちづくり便り」(6号)の感想

2012年01月13日 | どうなる住宅問題
宮古ジャーナルさんのブログやへいうんさんのブログによって地区復興会議が思ったより早いペースで進んでいることが分かった。「徒然なる漁師のブログ」(1月10日)のコメント欄のゆうこさんと国家公務員さんのやりとりを聞いて、私も急いで宮古市役所のホームページをさがしてみた。都市計画課の鍬ヶ崎地区復興まちづくり検討会の「まちづくり便り6号」を中心にいろいろな資料を読ませてもらいました。12月開催の第2回分でしたがとり急ぎ感想だけ書かせてもらいます。

感 想

国の意向か県の意向か知らないが、宮古市の役人とすればコンサルタント会社と一緒に、どうしても防潮堤をはりめぐらし、高地移転はそこそこでお茶を濁して、防潮堤の内側を元の可住地帯にして被災前の鍬ヶ崎住宅地を復旧したい、と考えているようだ。ちょっと区画整理する程度でよいし、その方が復興対策としては楽だし…国や県の方針からもそれほどそれていない、という下心が強く働いているように思った。最初の4パターン案にこうも強く固執するのは他にコンサルタントかもしれないし、訳知りの古い顔役会員かもしれないが、かなり強情であるなあ、という感想をもった。見れば見るほど前の鍬ヶ崎にどんどん戻っていく。ただ防潮堤をプラスしただけだ。言っておくけども、防潮堤をはりめぐらした津波跡地には誰も住みたくないし、企業だってそんなところには進出してこないし出て行った企業も人も戻ってこないと思う。今迷っている人は防潮堤が決まった瞬間から転出に腹を決めて、津波後の鍬ヶ崎は先細りで衰退するばかりである。30メートルの幅をとって加工屋は岸壁をなににするというのか?思い上がりでないのか? 役人も「海=魚」の事だからと手っ取り早く漁協や加工屋にお伺いするが、それって大まちがいだという事にまだ気づいていない!「海=魚」の事だからといって鍬ヶ崎にかぎらない、まちばの若者に聞いてみるのがもっともっともっと現実的なのです。また大きな復興道路を大型観光バスが通ると言っても防潮堤でなにも見えないのであれば鍬ヶ崎にとってはどんな意味もない。私は津波前の田老を何度も車で通ったが少なくとも景観的には淋しいまちだナという感想をもっていつも通り抜けていた。宮古市は鍬ヶ崎に4パターン案を示していながら県の津波シミュレーションをそのまま資料として提出している。市は最初から県の意向の枠をはめられて動いているようにみえる。もっともっと地区住民の立場で頑張ってほしい。いろいろな資料から地区住民の生(なま)の意見を読ませてもらったがこの方はほとんどが納得できる。真っ当な、切実な、かつ明晰な意見ばかりであったように思う。このような事は地元でないといえないよナ、という感想をもった。

追加)資料では復興まちづくり会の事を「自治会、消防団、商店街等から選出された構成メンバーによる検討会を立ち上げ、地区復興まちづくり計画を決定するための協議をしております」と書いていた。人選や協議の進め方についてはまだまだ固まっていないようだ、という感想も持った。
コメント (11)
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