国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

ヒップホップは誕生した時から有機質と無機質の人間像の間を大きく行き来していたのだ!

2012年02月01日 | ヒップホップについて
さて、本日も1月28日にジャズ喫茶『いーぐる』で行われた
『文化系のためのヒップホップ入門』の講演についてまとめていこう。
本日からようやく講演内容に入っていくのだが、
何分ヒップホップについては全くの門外漢であるため、
それなりに間違いや主観が入るとは思うが、そこは御勘弁願いたい。

ヒップホップは「ゲーム」であり、「競技」であるという
長谷川町蔵氏の発言はとても分かりやすいと同時に、
つまりはヒップホップを音楽的に聴いていくというのが
ちょっと難しくも思えるかもしれない。
だが、それぞれ提示された6つのセクションというのは
いわば「ゲームのルール改定期」であったと考えるといいのかもしれない。
それをふまえることで、
ヒップホップを「聴く」ことの難しさを取り払うことができるかもしれない。

ヒップホップ創世記というのはジャマイカから始まるのが定説だそうだ。
ジャマイカのサウンドシステムを用いて
ニューヨークのブロンクスでレコードを持ち寄りパーティーが日常的に開かれた。
人々が好きなレコードで特に取り上げられたのが、ジェームス・ブラウンだったのだが、
ある曲のドラム・ブレイクの部分が凄く受けが良いことに気付いたのが、
クール・ハークという人である。
そこで同じアルバムと2台のターンテーブルを用意して、
そのドラム部分だけを繰り返し流したのがヒップホップの音楽的大発明となる。

まぁ、同じ部分を流し続けて踊るというのが、僕はどうしてもつかめないのだが、
よっぽど当時のパーティーに参加をしていた人たちに受けたわけだ。
ここで大事なのだが、「同じ部分を繰り返し流す」という「ループ」という要素が
ヒップホップに欠かせなくなる。

実はジャズにもその「ループ」性がある。
元々ビ・バップは、ある曲のコードを変換したり、転調させたりしながら演奏する。
つまりやろうと思えば(アイディアが尽きなければ)、
ずっとコードをループして演奏することができるのだ。
また、リフの興奮というのもある。
同じフレーズをリフレインすることで気持ちの盛り上がりが出てくる。
こうした部分はジャズとヒップホップの要素的親和性が感じられるだろう。

受けることを当然真似るする人が出てくる。
やがてパーティーからレコーディングという流れになっていくが、
それはぜひ本を読んで追っていって欲しい。

誕生期にヒップホップを一段レベルアップさせたのが、
アフリカ・バンバータという人物である。
1982年に出した「プラネット・ロック」という曲は、
エレクトロをバリバリに使った音の上にラップを乗せている。
ドイツのテクノ・グループ、クラフトワークの曲のフレーズを使っているのだ。
それまでジェームス・ブラウンなどファンクを中心とした選曲が
一気にヨーロッパ的な曲まで手を伸ばしていったのだ。
バンバータ曰く「クラフトワークはファンキー」なのだそうだ。
大和田氏は、この言葉をトイレに貼って、本を書いている時に何度も振り返ったそうだ。

僕もYouTubeで元ネタになったクラフトワークの曲を聴いてみたが、
如何せんファンキーの概念があやふやなために、
「確かに使ってるなぁ」ぐらいで乗れたというわけではなかった。
本の中ではそれまでの身体的な感覚から
一気に機械的な無機質へと針を振り切ったように進み、
加えてその機械的な感覚が
黒人のグルーブに合っていると再解釈したという旨が書いてあるが、
僕には今ひとつバンバータの感覚が分からない。発想は面白いと思うのだが…
まぁ、実際に「プラネット・ロック」を聴いてみると、
そうした難しい理論を越えた気持ちよさがあるのも事実だ。

だが、その先端過ぎる考え方が逆にヒップホップのラフさを失わせ、
一気に近未来的な扉を開いてしまった。
当然ながら行き過ぎには揺り戻しも生まれてくる。
ヒップホップ初期の頃に流れていたぶっとく、野性的な音への…

「ヒップホップ」という場に集ったプレイヤーたち

2012年01月30日 | ヒップホップについて
長谷川町蔵氏は始めに言った。
「日和ってマッド・リブはかけたりしません。今日はヒットしたものをかけます」
この一言がすべてを象徴しているような気がする。
この言葉の裏を読めば、
マッド・リブがまずあまり売れていないという現状を感じることができる。
少なくともヒットをしているという感じでは無いことが分かるだろう。

長谷川氏と大和田氏の両名の掛け合いで、
ヒップホップの創世から現在までの流れを音原を聴きながら進んだ。
だが如何せんその歴史は来年で30周年とは決して長くないとはいえ、
それでも変容をし続けるヒップホップ史を丹念に追いかけるのは少々大変だ。
そこで6つのセクションを30分という時間配分で話し、
加えて音源もすべてを聴くわけではなく、頭の部分などを数分聴くという形で進んだ。

6つのセクションとは
「ヒップホップの誕生」・「イーストコースト」・「ウエストコースト」
「ヒップホップ・ソウル~ティンバランドのサウンド革命」・「サウス」
そして「ヒップホップの現在」である。
おおむね『文化系のためのヒップホップ入門』と同じ流れで進んでいるため
詳しいことはやはり本を読むべきだろう。

さて、僕自身のことについて少し書こう。
ヒップホップについて分からない状況があったのだが、
この本を読んでからある方法でヒップホップについて迫ろうと考えた。
それは、
「できるだけ歴史上まんべんなく音を聴く」ということである。
これはジャズの時もそうだったのだが、
音楽にはそれなりの歴史がある。それぞれのジャンルにも当然歴史が生まれている。
確かに自分の好きなものを聴けばそれなりに楽しめるのであろうが、
そもそもジャンルについて何も知らない人が、
どうやって「面白い」ものを見つけられるであろう。
大和田氏が講演始めに
『いーぐる』のマスター、後藤氏の『ジャズ・オブ・パラダイス』に書かれた
「100枚を聴くまで好き嫌いを言うな」という言葉に従って、
ジャズを勉強していた旨の話をしたが、
結局これはヒップホップにも同じことが言えると思う。

そしてヒップホップの歴史を追うようにまんべんなく音を聴いていくと、
結局はヒップホップの求めているものが少しずつ見えてくる。
そう、ヒップホップは結果として売れたものが歴史に残っていくのだ。

長谷川氏は何度も繰り返し述べていたが、
ヒップホップは音楽ではなく、「ゲーム」(競技)であるととらえるのがよいという。
つまりいかに人よりも優れた技術を持ち、
それを世間にアピールできた方が勝ちで価値のあることだ。
ということを競い合っているように考えるのだ。
では、世間の声はどう聞くのかというと「売り上げ」は1つの視点と成り得る。
売れれば売れた分、世間の人はそれに「ノって」いると言えるだろう。
もちろんそれだけではないのだが、
ヒップホップほど売り上げに対して貪欲で
かつ売れたことを心底喜ぶミュージシャン(ラッパーやDJ)はいないだろう。
何せラップでは「金」・「車」・「女」を高々としゃべっているのだから。
彼らは自分の欲望に忠実であり(実はここもミソなのだが、後日再び取り上げる)、
欲望をしゃべって、金を儲けるのが当然のことと考えているわけだ。
そのためには「場」で一番力をもつプレイヤーに成らなくてはいけないわけだ。

もちろん初めからそうではなかった。
そこには公民権運動など複雑なアメリカ情勢もあり、
ラップが批評性を持っていた時もある。
だが、ヒップホップが「ゲーム」性の高い音楽であることは
その誕生期から変わらないことを頭に置いておく必要がある。

ここら辺でだんだんヒップホップが気になってきた人は、明日本屋に走るべきだ。
そしてぜひ『文化系のためのヒップホップ入門』を読んでみてほしい。
絶対にヒップホップに興味が出てくるはずだ。

いよいよ明日からは実際の講演の内容に入っていきたいと思う。

ここら辺でちょっとヒップホップについてまとめてみよう

2012年01月29日 | ヒップホップについて
1月28日の土曜日に、ジャズ喫茶『いーぐる』で
『文化系のためのヒップホップ入門』(アルテスパブリッシング)の著者である
長谷川町蔵氏と大和田俊之氏の講演会があった。

ジャズ喫茶でヒップホップがかかるといういわば異種格闘技戦のような感じだが、
そもそもの発端は音楽評論家の中山康樹氏が
「ジャズのもっとも優れた部分が、今ヒップホップに継承されている」的な発言を
『Jazz JAPAN』誌でしたことから始まる。
(この発言はかなり注意して扱う必要があるため「的」と表現をする)
この件に関しては、今まで何度かブログでも取り上げているし、
『いーぐる』のマスターである後藤雅洋氏も興味を持っているため
何度かヒップホップ関連の連続講演を行っている。

まぁ、正直言って僕はこの中山氏の発言がなければ
一生ヒップホップを聴かなかったかもしれないほど、聴いたことがない。
イメージとして持っているのは野球帽にズボンを腰まで下げ、
ズリズリと歩くスニーカー姿のちょっと近づきたくない不良なお兄ちゃんであった。
実際に友だちとヒップホップについて話した時もこのイメージが出てきた。
つまりは全くジャンルとして意識がしたことも無いほど知らないということだ。

まず、『いーぐる』で「ヒップホップ学習会」という名で
中山氏が昨年5回の講演をゲストと共に行った。(僕は5回中4回出席)
ここで紹介されたアルバムをできる限り購入して聴いてみたのだが、
どうも一向にピンとこない。
何故かと今振り返って考えてみると、
やはり中山氏の言葉に引きずられて聴いていたため、
知らぬうちに「ジャズ→ヒップホップ」と「ジャズ≒ヒップホップ」の印象を
追い求めていたようである。

加えて中山氏は自身のストーリー上の重要な人物として
マッド・リブをヒップホップ側から出していた。
これは後藤氏も言っているのだが、マッド・リブが「あまり面白くない」のだ。
何が面白くないかというと、「頭で考えたような音楽」であると評している。
これには同感で、色々とマッド・リブの音楽を聴いてみたが、
最後まで聴けたのは『シェイズ・オブ・ブルー』ぐらいしかない。
日常的に取り出して聴こうともあまり思わない。
これはマッド・リブが駄目であるということではなく、
果たしてこれがヒップホップであるのならば、
ジャズを聴いていた方がよっぽど面白いと思ってしまうのだ。
つまりはわざわざジャズの音源をサンプリングしても、
元の作品を聴いた方が面白いということである。

ところがである。
実は僕が行けなかった回にゲストで音楽ジャーナリストの原雅明氏が来た時、
その時の音源がかなり「ピン」と来た人が多かったそうだ。
その後もう一度、原雅明氏は『いーぐる』で講演をしている。(残念ながら僕は欠席)
セットリストを見るとそれまでの流れとちょっと違うものがかけられていた。

僕自身も興味があることなのでそれなりにヒップホップを聴いてみたのが、
どうにもよく分からない。
アルバムガイドを買おうかとも思ったのだが、どうも気が進まない。
理由は連続講演で紹介されたものとかなり違うものが紹介されいるのだ。
ウィキさんで「ヒップホップ」と調べてもよく分からない。
何せ「ヒップホップにおいて、ラップ、DJ、ブレイクダンス、グラフィティは
四大要素と呼ばれている」から始まる文章は、ちょっと難しすぎる。
大体グラフィティって何?状態だ。

そんな時である。時代は呼応しているのか、
『文化系のためのヒップホップ入門』が発刊されることになる。
気付くのに遅かったが、ヒップホップ系の本というのは意外に少ない。
まして「入門」と付くものは初めてではないか?
何度も読み直し、そしてついにその著者である2人の話を
直接聴ける機会がやってきたのである。

今日からしばらくヒップホップについて続く。
そして中山氏が言わんとしていたことがどのようなことなのか
自分なりに考えてみた。
様々な部分で足りないことや間違った部分もあるかと思うが、
文責はもちろんすべてこちらにある。
あくまで僕個人のヒップホップについての考えをまとめてみよう。