さて、本日も1月28日にジャズ喫茶『いーぐる』で行われた
『文化系のためのヒップホップ入門』の講演についてまとめていこう。
本日からようやく講演内容に入っていくのだが、
何分ヒップホップについては全くの門外漢であるため、
それなりに間違いや主観が入るとは思うが、そこは御勘弁願いたい。
ヒップホップは「ゲーム」であり、「競技」であるという
長谷川町蔵氏の発言はとても分かりやすいと同時に、
つまりはヒップホップを音楽的に聴いていくというのが
ちょっと難しくも思えるかもしれない。
だが、それぞれ提示された6つのセクションというのは
いわば「ゲームのルール改定期」であったと考えるといいのかもしれない。
それをふまえることで、
ヒップホップを「聴く」ことの難しさを取り払うことができるかもしれない。
ヒップホップ創世記というのはジャマイカから始まるのが定説だそうだ。
ジャマイカのサウンドシステムを用いて
ニューヨークのブロンクスでレコードを持ち寄りパーティーが日常的に開かれた。
人々が好きなレコードで特に取り上げられたのが、ジェームス・ブラウンだったのだが、
ある曲のドラム・ブレイクの部分が凄く受けが良いことに気付いたのが、
クール・ハークという人である。
そこで同じアルバムと2台のターンテーブルを用意して、
そのドラム部分だけを繰り返し流したのがヒップホップの音楽的大発明となる。
まぁ、同じ部分を流し続けて踊るというのが、僕はどうしてもつかめないのだが、
よっぽど当時のパーティーに参加をしていた人たちに受けたわけだ。
ここで大事なのだが、「同じ部分を繰り返し流す」という「ループ」という要素が
ヒップホップに欠かせなくなる。
実はジャズにもその「ループ」性がある。
元々ビ・バップは、ある曲のコードを変換したり、転調させたりしながら演奏する。
つまりやろうと思えば(アイディアが尽きなければ)、
ずっとコードをループして演奏することができるのだ。
また、リフの興奮というのもある。
同じフレーズをリフレインすることで気持ちの盛り上がりが出てくる。
こうした部分はジャズとヒップホップの要素的親和性が感じられるだろう。
受けることを当然真似るする人が出てくる。
やがてパーティーからレコーディングという流れになっていくが、
それはぜひ本を読んで追っていって欲しい。
誕生期にヒップホップを一段レベルアップさせたのが、
アフリカ・バンバータという人物である。
1982年に出した「プラネット・ロック」という曲は、
エレクトロをバリバリに使った音の上にラップを乗せている。
ドイツのテクノ・グループ、クラフトワークの曲のフレーズを使っているのだ。
それまでジェームス・ブラウンなどファンクを中心とした選曲が
一気にヨーロッパ的な曲まで手を伸ばしていったのだ。
バンバータ曰く「クラフトワークはファンキー」なのだそうだ。
大和田氏は、この言葉をトイレに貼って、本を書いている時に何度も振り返ったそうだ。
僕もYouTubeで元ネタになったクラフトワークの曲を聴いてみたが、
如何せんファンキーの概念があやふやなために、
「確かに使ってるなぁ」ぐらいで乗れたというわけではなかった。
本の中ではそれまでの身体的な感覚から
一気に機械的な無機質へと針を振り切ったように進み、
加えてその機械的な感覚が
黒人のグルーブに合っていると再解釈したという旨が書いてあるが、
僕には今ひとつバンバータの感覚が分からない。発想は面白いと思うのだが…
まぁ、実際に「プラネット・ロック」を聴いてみると、
そうした難しい理論を越えた気持ちよさがあるのも事実だ。
だが、その先端過ぎる考え方が逆にヒップホップのラフさを失わせ、
一気に近未来的な扉を開いてしまった。
当然ながら行き過ぎには揺り戻しも生まれてくる。
ヒップホップ初期の頃に流れていたぶっとく、野性的な音への…
『文化系のためのヒップホップ入門』の講演についてまとめていこう。
本日からようやく講演内容に入っていくのだが、
何分ヒップホップについては全くの門外漢であるため、
それなりに間違いや主観が入るとは思うが、そこは御勘弁願いたい。
ヒップホップは「ゲーム」であり、「競技」であるという
長谷川町蔵氏の発言はとても分かりやすいと同時に、
つまりはヒップホップを音楽的に聴いていくというのが
ちょっと難しくも思えるかもしれない。
だが、それぞれ提示された6つのセクションというのは
いわば「ゲームのルール改定期」であったと考えるといいのかもしれない。
それをふまえることで、
ヒップホップを「聴く」ことの難しさを取り払うことができるかもしれない。
ヒップホップ創世記というのはジャマイカから始まるのが定説だそうだ。
ジャマイカのサウンドシステムを用いて
ニューヨークのブロンクスでレコードを持ち寄りパーティーが日常的に開かれた。
人々が好きなレコードで特に取り上げられたのが、ジェームス・ブラウンだったのだが、
ある曲のドラム・ブレイクの部分が凄く受けが良いことに気付いたのが、
クール・ハークという人である。
そこで同じアルバムと2台のターンテーブルを用意して、
そのドラム部分だけを繰り返し流したのがヒップホップの音楽的大発明となる。
まぁ、同じ部分を流し続けて踊るというのが、僕はどうしてもつかめないのだが、
よっぽど当時のパーティーに参加をしていた人たちに受けたわけだ。
ここで大事なのだが、「同じ部分を繰り返し流す」という「ループ」という要素が
ヒップホップに欠かせなくなる。
実はジャズにもその「ループ」性がある。
元々ビ・バップは、ある曲のコードを変換したり、転調させたりしながら演奏する。
つまりやろうと思えば(アイディアが尽きなければ)、
ずっとコードをループして演奏することができるのだ。
また、リフの興奮というのもある。
同じフレーズをリフレインすることで気持ちの盛り上がりが出てくる。
こうした部分はジャズとヒップホップの要素的親和性が感じられるだろう。
受けることを当然真似るする人が出てくる。
やがてパーティーからレコーディングという流れになっていくが、
それはぜひ本を読んで追っていって欲しい。
誕生期にヒップホップを一段レベルアップさせたのが、
アフリカ・バンバータという人物である。
1982年に出した「プラネット・ロック」という曲は、
エレクトロをバリバリに使った音の上にラップを乗せている。
ドイツのテクノ・グループ、クラフトワークの曲のフレーズを使っているのだ。
それまでジェームス・ブラウンなどファンクを中心とした選曲が
一気にヨーロッパ的な曲まで手を伸ばしていったのだ。
バンバータ曰く「クラフトワークはファンキー」なのだそうだ。
大和田氏は、この言葉をトイレに貼って、本を書いている時に何度も振り返ったそうだ。
僕もYouTubeで元ネタになったクラフトワークの曲を聴いてみたが、
如何せんファンキーの概念があやふやなために、
「確かに使ってるなぁ」ぐらいで乗れたというわけではなかった。
本の中ではそれまでの身体的な感覚から
一気に機械的な無機質へと針を振り切ったように進み、
加えてその機械的な感覚が
黒人のグルーブに合っていると再解釈したという旨が書いてあるが、
僕には今ひとつバンバータの感覚が分からない。発想は面白いと思うのだが…
まぁ、実際に「プラネット・ロック」を聴いてみると、
そうした難しい理論を越えた気持ちよさがあるのも事実だ。
だが、その先端過ぎる考え方が逆にヒップホップのラフさを失わせ、
一気に近未来的な扉を開いてしまった。
当然ながら行き過ぎには揺り戻しも生まれてくる。
ヒップホップ初期の頃に流れていたぶっとく、野性的な音への…