東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

亀岡

2021-09-30 22:33:45 | 日記
 東日本大震災の後、岩手県沿岸から、わざわざ島根県の出雲大社に行ってきた人がいたけど、神頼みなのか知らんけど、行くなというと行くんだよね、こういう人たちは。
 
 ま、誰にも命令されたくないのかもしれないけどさ、この人は。それに、沿岸の人にも呪い苦しめられる俺。
 
 東日本大震災のボランティアに来た人にも変な人がいたしさあ。なんだったんだろう?。
 
 結局、1人で東日本大震災の被災地を巡って、沿岸の寺や神社を巡って手を合わせ、復興祈願といって東北の寺社を巡り、月命日のたびに中尊寺に行ってたけどさ。新型コロナウイルスで、そういう行為も自己満足だったんだなというか、意味の無いことに思えてきた。
 
 岩手県奥州市の水沢の羽田というところには坂上田村麻呂と戦った蝦夷の長のアテルイの拠点といわれる場所があって、田茂山という丘のような山で、出羽神社があって坂上田村麻呂の創建ということになってます。奥のほうに愛宕神社があって、古塚があります。
 
 ここが大国主ということになってる人の墓所の気がしたけど、どうなんだろうなあ?、本当に。奥州市の人たちも敵みたいだし、日本中の人たちが敵みたいに思えてきた。
 
 京都市右京区にある愛宕神社が愛宕神社の総本社のようだけど、亀岡市には元愛宕といわれる愛宕神社があるらしい。愛宕神社では火の神のカグツチか火産霊命を祀ってると思ったけど、愛宕神社の祭神はイザナミで、本地仏に勝軍地蔵を祀ってたらしい。本当か知らない。
 
 愛宕山に愛宕神社があるようだけど、愛宕山の西側には出雲大神宮があるんだろうか?。
 
 京都府亀岡市にある出雲大神宮は丹波国の一宮で大国主と三穂津姫を祀っていて、元出雲といわれるらしい。出雲大神宮の御神体の御蔭山には国常立尊が祀られているらしく、国常立尊の磐座もあるようです。
 
 国常立尊は古事記と日本書紀の最初のほうに書いてあるらしい天地開闢の話に登場するらしく、日本書紀では一番最初に現れた神ということになっていて、古事記では最初に別天津神といわれる五柱の神が現れ、次に神代七代といわれる十二柱の神が現れ、国常立尊は神代七代の最初に現れたことになっているようです。
 
 出雲大神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

水沢

2021-09-30 22:18:36 | 日記
 奥州市の水沢の街の人たちは敵みたいだもんなあ。奥州市は本当に地獄みたいだ。
 
 ま、新型コロナウイルスで、世の中の人たちにも不信感を感じるようになったけどさ。前は、ただ単に天皇と神道が自分の不調の原因と思ってたけど、より詳しいことがわかってきた気もする。
 
 岩手県奥州市の水沢の羽田というところには坂上田村麻呂と戦った蝦夷の長のアテルイの拠点といわれる場所があって、田茂山という丘のような山で、出羽神社があって坂上田村麻呂の創建ということになってます。奥のほうに愛宕神社があって、古塚があります。
 
 ここが大国主ということになってる人の墓所の気がしたけど、自信が無くなってきたなあ。大国主ということになってる人は誰なのか?もわからなくなってきた。
 
 坂上田村麻呂の征夷の話は嘘の気がするけど、まさか、明治維新の話まで怪しいなんて思ってなかったもんなあ。
 
 後藤新平も斎藤実も本当に奥州市の水沢の出身かわからないし、ボーイスカウト姿の後藤新平と少年の像なんて、前は出羽神社の近くの山中にあったらしいからなあ。今は出羽神社の目の前にある新幹線の水沢江刺駅の前にある。後藤新平はフリーメイソンらしい。
 
 羽田というところは南部鉄器の工場が集中してる場所だけど、九州から東北に来た人たちがいたみたいだけど、どうなんだろうなあ?。
 
 岩手県奥州市の水沢の街に日高神社という妙見宮だったらしい神社があって、境内に留守氏の祖霊社の瑞山神社があります。日高火防祭か知らないけど、火と水だってさ。
 
 日高神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

伊勢

2021-09-30 20:48:29 | 日記
 疲れたなあ。
 
 明治維新の後に九州と山口県では士族の反乱があったようだけど、明治7年(1874年)に佐賀県で佐賀の乱があって、明治9年(1876年)には、熊本県で神風連の乱があって、福岡県で秋月の乱があって、山口県で萩の乱があったみたいです。西南戦争は明治10年(1877年)にあったみたいです。
 
 佐賀藩の最後の藩主の鍋島直大は佐賀の乱の頃はイギリス留学していて、明治11年(1878年)に帰国したようだ。鍋島直大は明治13年(1880年)には公使としてイタリアに住んで、明治15年(1882年)に帰国したようだ。その後は元老院議官や宮中顧問官などを務め、日本の近代化政策に関わったようだ。鍋島直大は皇典講究所の3代目の副総裁で4代目の所長らしい。
 
 鍋島直大の娘の鍋島伊都子という女性はイタリアの都で生まれたので伊都子と名付けられたようだ。ウィキペディアに、そう載ってる。
 
 鍋島直大の妻は鍋島榮子という女性で、広橋家の出身らしい。広橋賢光という人と藤波言忠という人は鍋島榮子の兄弟らしい。
 
 藤波言忠は広橋家から藤波家に養子にいったみたいだけど、藤波家は江戸時代は伊勢神宮の祭主を務めていたようだ。本当か知らない。
 
 明治維新の後、久邇宮朝彦親王から皇族の人が伊勢神宮の祭主を務めるようになったらしいけど、太平洋戦争の後は天皇の娘が伊勢神宮の祭主を務めるようになったらしく、今の伊勢神宮の祭主は上皇の娘の黒田清子さんらしい。
 
 久邇宮朝彦親王の息子の梨本宮守正王は鍋島直大の娘の鍋島伊都子を妻にしたようだ。梨本宮守正王は太平洋戦争の終戦前の伊勢神宮の祭主らしい。梨本宮守正王と鍋島伊都子の娘は大韓帝国の最後の皇太子の人の妻になったようだ。
 
 三重県伊勢市にある伊勢神宮の内宮は皇大神宮というらしく、御神体は八咫鏡のようです。天皇の祖先は天照大神ではない気がするし、伊勢神宮の内宮で天照大神を祀ってるのか知らないけど、なんで、そういうことになってるんだろう?。
 
 伊勢神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

佐賀

2021-09-30 20:38:44 | 日記
 俺は何をやってるんだろう?。
 
 江戸時代の藩も怪しいし、明治天皇の前に天皇が本当に日本にいたのか?ってことを書いてた気がするけど・・・。
 
 佐賀県にあった佐賀藩の藩主は鍋島氏で、蓮池藩と小城藩と鹿島藩は佐賀藩の支藩だったみたいです。
 
 佐賀県にあった唐津藩の藩主は小笠原氏で、小笠原長行という人は藩主ではなかったようだけど、幕末に幕府の政治に関わってたみたいです。
 
 幕末に尊皇攘夷派の人たちが京都に集まっていて、徳川幕府の14代目の将軍の徳川家茂は京都に行ったまま、京都に留められていたようだ。小笠原長行は自分の藩の船だけじゃなく、イギリスからも船を借り、千人以上引き連れ、京都に行って徳川家茂を救出しようとしたようだけど、幕府の関係者や徳川家茂からも反対され、計画を断念したようです。詳しく知らないので、ウィキペディアで調べて書いてます。
 
 小笠原長行は第二次長州征伐でも幕府の側で戦ったようだけど、第二次長州征伐は幕府の側の敗北だったみたいです。唐津藩は新政府軍に降伏したようだけど、小笠原長行は東北に行って奥羽越列藩同盟に加わり、函館まで行ったみたいです。小笠原長行は明治維新の後に現れて自首したみたいです。
 
 戊辰戦争の話も怪しいんだけど、どうなってんすかね?。
 
 天皇ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

高野

2021-09-30 20:27:33 | 日記
 また話が迷宮入りしてきたなあ。
 
 松浦小夜姫伝説は佐賀県の話が有名なようだけど、松浦小夜姫の恋の相手は大伴狭手彦という人のようです。
 
 松浦水軍の松浦氏が長崎県にあった平戸藩の藩主になったらしいけど、本当か知らない。松浦氏は嵯峨源氏の渡辺氏の系統の氏族ということになってるみたいです。
 
 真言宗の開祖の空海上人の庇護者が嵯峨天皇ということになってる。空海上人は佐伯氏の出身で、幼名は佐伯真魚というそうです。大伴氏と佐伯氏は祖先が同じ氏族ということになってるんだろうか?。
 
 和歌山県伊都郡高野町に金剛峰寺があって、金剛峰寺は高野山真言宗の総本山のようです。高野山の奥の院は空海上人の御廟のようです。
 
 金剛峰寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか