東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

伊勢

2021-09-30 20:48:29 | 日記
 疲れたなあ。
 
 明治維新の後に九州と山口県では士族の反乱があったようだけど、明治7年(1874年)に佐賀県で佐賀の乱があって、明治9年(1876年)には、熊本県で神風連の乱があって、福岡県で秋月の乱があって、山口県で萩の乱があったみたいです。西南戦争は明治10年(1877年)にあったみたいです。
 
 佐賀藩の最後の藩主の鍋島直大は佐賀の乱の頃はイギリス留学していて、明治11年(1878年)に帰国したようだ。鍋島直大は明治13年(1880年)には公使としてイタリアに住んで、明治15年(1882年)に帰国したようだ。その後は元老院議官や宮中顧問官などを務め、日本の近代化政策に関わったようだ。鍋島直大は皇典講究所の3代目の副総裁で4代目の所長らしい。
 
 鍋島直大の娘の鍋島伊都子という女性はイタリアの都で生まれたので伊都子と名付けられたようだ。ウィキペディアに、そう載ってる。
 
 鍋島直大の妻は鍋島榮子という女性で、広橋家の出身らしい。広橋賢光という人と藤波言忠という人は鍋島榮子の兄弟らしい。
 
 藤波言忠は広橋家から藤波家に養子にいったみたいだけど、藤波家は江戸時代は伊勢神宮の祭主を務めていたようだ。本当か知らない。
 
 明治維新の後、久邇宮朝彦親王から皇族の人が伊勢神宮の祭主を務めるようになったらしいけど、太平洋戦争の後は天皇の娘が伊勢神宮の祭主を務めるようになったらしく、今の伊勢神宮の祭主は上皇の娘の黒田清子さんらしい。
 
 久邇宮朝彦親王の息子の梨本宮守正王は鍋島直大の娘の鍋島伊都子を妻にしたようだ。梨本宮守正王は太平洋戦争の終戦前の伊勢神宮の祭主らしい。梨本宮守正王と鍋島伊都子の娘は大韓帝国の最後の皇太子の人の妻になったようだ。
 
 三重県伊勢市にある伊勢神宮の内宮は皇大神宮というらしく、御神体は八咫鏡のようです。天皇の祖先は天照大神ではない気がするし、伊勢神宮の内宮で天照大神を祀ってるのか知らないけど、なんで、そういうことになってるんだろう?。
 
 伊勢神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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