東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

岩城

2022-06-18 19:22:37 | 日記
 明治維新の話は嘘の気がするけど、隠蔽工作が凄いんですけど・・・。
 
 岩手県奥州市は江戸時代は伊達藩で、奥州市の江刺には岩谷堂伊達氏の岩城氏がいて、ウィキペディアで調べると、幕末の頃の岩谷堂伊達氏の人は亘理伊達氏から来た人のようだ。明治維新の後に伊達氏から岩城氏に戻したようだけど、その後がわからない。
 
 江戸時代の秋田県由利本荘市にあった亀田藩の岩城氏と奥州市の江刺にいた岩谷堂伊達氏の岩城氏は同族ということになってるらしい。岩城氏は戦国時代は福島県いわき市にいたことになってるらしい。亀田藩の岩城氏は明治時代の終わり頃に岐阜県にあった郡上藩の青山氏の人が継いだようだ。
 
 福島県いわき市には江戸時代に磐城平藩と湯長谷藩と泉藩があって、磐城平藩の藩主は安藤氏で、湯長谷藩の藩主は内藤氏で、泉藩の藩主は本多氏だったみたいです。
 
 いわき市にある白水阿弥陀堂は奥州藤原氏と関係あるみたいだけど、それで、どうなってるんだ?。
 
 奥州市の江刺に光明寺という曹洞宗の寺があって、岩谷堂伊達氏の岩城氏の墓所があります。光明寺の山号は大蔵山です。岩城氏の人たちは本当に明治時代に江刺にいたんだろうか?。明治時代に寺を奪って墓地を整備して菩提寺にしたなんて、有り得るんだろうか?。けど、それしか考えられないんだよなあ。
 
 光明寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

八幡

2022-06-18 19:15:53 | 日記
 神社本庁の総長は石清水八幡宮の人のようだけど、神社の人たちは自分たちの罪は水に流して消えるって本気で思ってるんでしょ?。
 
 岩手県奥州市の江刺に豊田館跡があって藤原経清の居館跡だそうです。藤原経清は宮城県の亘理郡の辺りにいた人で、亘理権太夫といわれるみたいです。豊田館跡の近くに藤原経清の墓所の五位塚があります。奥州藤原氏の初代の藤原清衡は江刺で生まれ育ったことになっていて、藤原清衡は藤原経清と安倍貞任の妹の息子だそうです。
 
 岩手県奥州市は江戸時代は伊達藩で、奥州市の江刺には岩谷堂伊達氏の岩城氏がいて、ウィキペディアで調べると、幕末の頃の岩谷堂伊達氏の人は亘理伊達氏から来た人のようだ。明治維新の後に伊達氏から岩城氏に戻したようだけど、その後がわからない。
 
 亘理伊達氏の伊達邦成という人は明治維新の後に北海道に移住して北海道の伊達市の辺りの開拓に携わったようだ。伊達邦成は日本基督一致教会というところの信者だったようだ。
 
 平安時代に岩手県にいた安倍氏の人たちは前九年の役で源頼義と源義家に討たれたことになっていて、藤原経清も安倍氏の人たちと一緒に戦って、首を刎ねられたことになってます。源義家は京都府八幡市にある石清水八幡宮で元服したので八幡太郎といわれるみたいです。八幡神社が本当に明治時代の前に日本にあったとは思えないんだけど、殺人鬼みたいだなあ、この人たちは。
 
 石清水八幡宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

留守

2022-06-18 19:05:23 | 日記
 疲れたなあ。
 
 岩手県奥州市の水沢の街に大安寺という臨済宗の寺があって、水沢伊達氏の留守氏の墓所があります。大安寺の山号は太白山です。日高火防祭か知らないけど、火と水だってさ。
 
 大安寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

水沢

2022-06-18 18:03:38 | 日記
 もう、なんか、疲れたよ、俺は。
  
 福岡県福岡市にある志賀海神社では綿津見三神を祀ってるみたいです。志賀海神社は安曇族の神社で、海神の総本社や龍の都といわれるようです。福岡県大川市にある風浪宮も安曇族の神社で、風浪宮の摂社には安曇氏の祖神の安曇磯良が祀られているみたいです。
 
 地元の人もほとんど知らない人みたいだけど、岩手県の金ヶ崎町の出身の志賀和多利という人は弁護士だったようだけど、政界に進出したようだ。志賀和多利の妹の孫が志賀節という人で、志賀節という人は第一次海部内閣で内閣官房副長官と環境庁の長官を務めたようだ。

 本当に岩手県奥州市の水沢の出身か知らないけど、椎名悦三郎という人は岸信介と一緒に満州国の運営に関わったり、太平洋戦争の後は政治家になって、岸内閣では官房長官に就き、池田内閣では通商産業大臣と外務大臣に就き、佐藤内閣でも通商産業大臣と外務大臣に就いたようだ。田中角栄と三木武夫が総理大臣だった時は自民党の副総裁だったようだ。
 
 椎名悦三郎は小学4年の時に上京して、志賀和多利という人の書生を務めたようだ。中学を卒業した後に水沢に戻ってきて、仙台の高校を卒業したようだ。ウィキペディアで調べて書いてるんですが、これでいいんでしょうか?。
 
 椎名悦三郎は後藤家の出身で、後藤新平の姉の嫁ぎ先に養子に入って椎名悦三郎と名乗ったようだ。後藤新平は血縁の無い叔父らしい。椎名悦三郎の父は後藤広という人で、後藤家に婿養子に入ったようだ。後藤広という人は胆沢川の水利権を得たらしく、胆沢川の水力発電が軌道に乗って経済的に余裕ができたとウィキペディアに載ってる。後藤広という人は岩手県議会議員になり、その後に水沢町長を10年間務めたようだ。
 
 奥州市の水沢の街に日高神社という妙見宮だった神社があって、境内に留守氏の祖霊社の瑞山神社があります。本当に妙見宮だったのか知りませんけど・・・。日高火防祭か知らないけど、火と水だってさ。
 
 日高神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

京都

2022-06-18 17:45:14 | 日記
 明治維新の話は嘘の気がするけど、よく、こんなに話が作れるよなあ。
 
 明治維新の後に岩手県奥州市の水沢の街には胆沢県庁が置かれたらしく、安場保和という人が大参事という役職に就いたみたいだけど、本当か知らない。安場保和は熊本藩の出身で、水沢の地元の少年から選んで仕事をさせてたらしく、後藤新平も斎藤実も安場保和に見出された少年ということになってるらしい。後藤新平は安場保和の娘を妻にしたみたいだ。
 
 安場保和の安場家は熊本藩の家老の家柄で、安場家の祖先は赤穂事件の時に大石内蔵助の切腹の介錯をしたらしい。大石内蔵助は江戸にあった熊本藩の細川家の屋敷で切腹したことになってるようだ。
 
 浅野内匠頭は江戸にあった田村家の屋敷で切腹したことになってるらしい。
 
 東京都港区にある曹洞宗の寺の泉岳寺には赤穂藩の藩主だった浅野内匠頭と赤穂浪士の墓があるらしい。泉岳寺の山号は萬松山のようです。泉岳寺のHPを見ると、明治時代に義士宝物館が建てられ、関東大震災で義士宝物館が崩壊したらしいけど、再建されたようだ。大石内蔵助の像も大正時代に泉岳寺に移されたみたいです。
 
 滋賀県大津市にある佐久奈度神社の祭神は祓戸四神のようだけど、佐久奈度神社は大祓詞のもとになった中臣大祓詞の創始の地のようです。佐久奈度神社のある大石というところは大石内蔵助の大石氏の発祥の地らしい。佐久奈度神社のHPに、そのようなことが書いてある。
 
 忠臣蔵の話も作り話の気がするけど、神社の人たちは自分たちの罪は水に流して消えるって本気で思ってるの?。
 
 京都に法住寺という天台宗の寺があるらしく、法住寺には赤穂浪士の四十七士像があるらしい。法住寺の本尊は身代わり不動明王像のようだけど、大石内蔵助は法住寺の身代わり不動明王像に祈願して討ち入りを成就させたみたいです。
 
 法住寺には後白河天皇の墓所があるようです。後白河天皇は譲位した後に院政を行ったことになってるらしい。後白河上皇の時代には平家の栄華があり、源氏と平家の戦いがあって平家が滅び、奥州藤原氏も源頼朝に滅ぼされたことになってるみたいです。源氏と平家の話も奥州藤原氏の話も作り話の気がするけど、誰なんだろう?、この人は。
 
 法住寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか