東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

京都

2022-06-16 23:57:18 | 日記
 明治維新の話は嘘の気がするけど、小野氏が謎なんだよなあ。
 
 岩手県奥州市には掃部長者伝説という昔話があって、鎌倉時代の話ということになってるけど、松浦小夜姫が奥州市に来たそうです。掃部長者の屋敷跡は墓地になってるけど、周りに田んぼや民家があって、高山稲荷があります。
 
 明治時代に今の社殿が建てられたみたいだけど、この辺りは佐倉河という地名の場所で、ウィキペディアで調べると、明治22年(1889年)に佐倉河村ができて、昭和29年(1954年)まで佐倉河村が存続したようだ。
 
 ウィキペディアを見ると、佐倉河村ができた時の最初の村長さんは小野さんって人らしいけど・・・。
 
 京都にある祟道神社の境内に小野神社があるらしく、小野妹子と小野毛人を祀っているようです。小野毛人は小野妹子の息子らしく、ウィキペディアで調べると、山中に小野毛人の墓があるらしい。
 
 祟道神社では祟道天皇(早良親王)を祀ってるみたいです。早良親王は桓武天皇の兄弟で、平安京遷都の前の長岡京遷都の時にあった藤原種継暗殺事件で無実の罪を着せられ、無実を訴えるために食を絶ち、配流途中に亡くなったようです。亡くなった後に祟道天皇の名が送られたみたいです。
 
 祟道神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

京都

2022-06-16 23:54:01 | 日記
 カルト仏教の人たちの残虐性っていうの?、なんか、凄いよなあ。
 
 大正天皇は明治天皇と柳原愛子という女性の息子らしい。柳原前光という人の妹が柳原愛子らしいけど、柳原家は柳原前光の息子の柳原義光の頃から柳原白蓮という人を含め、スキャンダルまみれになってったみたいです。
 
 柳原氏は日野氏の系統の氏族らしい。浄土真宗の開祖の親鸞聖人は日野氏の出身らしいけど、ウィキペディアで調べると、日野氏は明治時代に柳原前光と柳原愛子の兄弟の日野資秀という人が継いだんだろうか?。
 
 京都にある六角堂は紫雲山頂法寺という天台宗の寺で聖徳太子の創建ということになってるようだけど、六角堂のHPを見ると、六角堂は、いけばな発祥の地らしく、華道の家元の池坊と関係あるみたいです。小野妹子を祖とする坊の池坊があったみたいです。浄土真宗の開祖の親鸞聖人は六角堂に百日参籠をして、お告げを受け、浄土宗の開祖の法然上人のところに念仏の教えを受けに行ったようです。
 
 六角堂ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

財閥

2022-06-16 23:38:03 | 日記
 酒ですか・・・。
 
 ウィキペディアで調べると、明治時代や大正時代や昭和の初め頃の酒税の税収は国の税収の中でも、かなりの割合を占めてたらしく、日露戦争の後に何度も酒税の増税が行われたみたいだけど、明治32年(1899年)から昭和10年(1935年)まで国の税収の1位だったらしい。明治35年(1902年)には酒造税だけですべての国税収入の42%も占めたらしい。
 
 明治36年(1903年)に岩手県酒造組合ができたみたいだけど、これにも酒造税の増税が絡んでるらしい。酒造組合を作って政府が管理することで増税に対する酒造家の反抗を抑えようとするのが狙いだったようだ。大正3年(1913年)に酒造りをする人たちによって南部杜氏組合ができたようだ。
 
 南部杜氏の発祥の地は紫波町らしいけど、南部杜氏は日本最大規模の杜氏集団で、組織的になったのは明治時代になってかららしい。南部杜氏の始まりには小野組という近江商人の系統の豪商が関わってるらしい。村井権兵衛という人の本姓は小野らしく、村井権兵衛という人が江戸時代に清酒を造ったのが南部杜氏の始まりらしい。ウィキペディアで調べると、小野組は江戸時代は井筒屋を名乗っていたようだ。小野家の人は京都に進出して鍵屋と号し、商売を始めたようだ。
 
 古河財閥の創業者の古河市兵衛という人は京都の出身らしいけど、盛岡に来て小野組に勤め、古河家の養子になったようだ。小野組が明治時代の初めに破綻して、その後に独立して鉱山業に関わっていったらしい。本当か知らない。小野組の破綻のことはウィキペディアに載ってる。
 
 秋田県湯沢市にある院内銀山は明治維新の後に工部省に経営権が移って、明治17年(1884年)に古河市兵衛という人に最新式の採掘機器と一緒に払い下げになったようだ。秋田県北秋田市にある阿仁鉱山も古河市兵衛という人の手に渡ったようだ。
 
 明治時代に足尾銅山鉱毒事件があったみたいだけど、足尾銅山には古河財閥が関わっていて、ウィキペディアで調べると、昭和49年(1974年)に、やっと古河鉱業が自分たちの責任を認めて賠償金を払ったようだ。
 
 ウィキペディアの古河グループのところを見ると、富士通とか横浜ゴムとかみずほ銀行だったり、俺でも知ってるような会社がある。明治維新の話は嘘の気がするけど、政治家と財閥はグルだったみたいだし、この人たちも、やっぱり中国人か朝鮮人なんだろうか?。
 
 古河財閥ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

浄土真宗

2022-06-16 23:38:01 | 日記
 明治維新の話は嘘の気がするけど、浄土真宗で極楽浄土へGOみたいなことなのかな?。
 
 岩手県奥州市の胆沢に本浄寺という浄土真宗本願寺派の寺があって、本浄寺も親鸞聖人の高弟の是信房上人が開いたことになってる。本浄寺の山号は願性山のようです。本浄寺は明治23年(1890年)に今の場所に移ったみたいです。岩手県の寺の本に、そう載ってる。本浄寺には隠し念仏を広めたということで処刑された山崎杢左衛門の碑がある。昭和23年(1948年)に建てられたみたいです。
 
 隠し念仏は江戸時代に山崎杢左衛門という人が京都の鍵屋というところから教えを受けてきて、山崎杢左衛門は宝暦4年(1754年)に邪宗を広めたということで処刑されたそうです。その後に、違う人が京都の鍵屋に行って、また教えを受けてきて、役人に見付からないように続いていたらしいです。隠し念仏は本願寺からも邪宗扱いされていたみたいです。
 
 南部杜氏の発祥の地は紫波町らしいけど、南部杜氏は日本最大規模の杜氏集団で、組織的になったのは明治時代になってかららしい。南部杜氏の始まりには小野組という近江商人の系統の豪商が関わってるらしい。村井権兵衛という人の本姓は小野らしく、村井権兵衛という人が江戸時代に清酒を造ったのが南部杜氏の始まりらしい。ウィキペディアで調べると、小野組は江戸時代は井筒屋を名乗っていたようだ。小野家の人は京都に進出して鍵屋と号し、商売を始めたようだ。
 
 隠し念仏も明治時代になってから始まったんだろうか?。
 
 大正天皇は明治天皇と柳原愛子という女性の息子らしい。柳原前光という人の妹が柳原愛子らしいけど、柳原家は柳原前光の息子の柳原義光の頃から柳原白蓮という人を含め、スキャンダルまみれになってったみたいです。
 
 柳原氏は日野氏の系統の氏族らしい。浄土真宗の開祖の親鸞聖人は日野氏の出身らしいけど、ウィキペディアで調べると、日野氏は明治時代に柳原前光と柳原愛子の兄弟の日野資秀という人が継いだんだろうか?。 
 
 浄土真宗本願寺派の法主だった大谷光瑞の妻は大正天皇の皇后の貞明皇后の姉らしい。大谷光瑞は大谷探検隊でインドに行って、お釈迦様が法華経を説いた場所といわれる霊鷲山を見付けてきたようだ。当時の浄土真宗本願寺派はチベットと交換留学もしていたようだ。大谷家は巨額の負債を抱え、教団の不正もあって、大谷光瑞は法主を退いたみたいです。大谷光瑞は、その後は台湾で農業経営に携わったり、太平洋戦争の戦時中には政治にも関わったようだ。詳しく知らないのでウィキペディアで調べて書いてます。
 
 大谷光瑞の次の浄土真宗本願寺派の法主の大谷光照は昭和天皇の従兄弟らしい。大谷光照は浄土真宗の僧なのに国家神道を推進したようだ。浄土真宗本願寺派は太平洋戦争の終戦の後にGHQの指導のもと、宗教改革を行ったみたいです。
 
 京都には西本願寺と東本願寺があるようだけど、西本願寺は浄土真宗本願寺派の総本山で、東本願寺は真宗大谷派の総本山のようです。浄土真宗本願寺派も真宗大谷派も教団のトップは親鸞聖人の子孫の大谷家の人ということになってるみたいだけど、親鸞聖人の御廟も西本願寺と東本願寺で別々にあるようですが、詳しく知りません。
 
 西本願寺と東本願寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

浄土真宗

2022-06-16 23:27:03 | 日記
 明治維新の話は嘘の気がするけど、浄土真宗で極楽浄土へGOみたいなことなのかな?。
 
 大正天皇は明治天皇と柳原愛子という女性の息子らしい。柳原前光という人の妹が柳原愛子らしいけど、柳原家は柳原前光の息子の柳原義光の頃から柳原白蓮という人を含め、スキャンダルまみれになってったみたいです。
 
 柳原氏は日野氏の系統の氏族らしい。浄土真宗の開祖の親鸞聖人は日野氏の出身らしいけど、ウィキペディアで調べると、日野氏は明治時代に柳原前光と柳原愛子の兄弟の日野資秀という人が継いだんだろうか?。
 
 岩手県の金ヶ崎町で地域の修験道の企画展をやった時に作成した小冊子を持ってる。月光院という羽黒派の修験寺院があったらしいけど、他の修験寺院には仏像や法具があったみたいだけど、ここのことは説明があるだけで、後は修験道の祈祷所だった家の間取り図が描いてあるだけで、明和4年の棟札があるらしい。永徳寺村の柳原道光屋敷というところにある朝倉家だそうだ。東北の民家探訪日誌という昭和の中頃に出版された本にも紹介されてる家らしい。
 
 俺は今住んでるところが実家で、生まれた時から住んでたわけじゃないけど、地域に隠し念仏の風習があって、俺もやった。隠し念仏ではなく、仏さん拝みといってた。金ヶ崎町の図書館に地域の隠し念仏を取り仕切っていた家の人が書いた本があって、西暦2000年頃まで隠し念仏が続いてたらしい。導師なのか教祖なのか、そういう人がいたらしく、後継者がいなくて解散ということらしい。
 
 朝倉さん・・・。
 
 金ヶ崎町の隣の奥州市の胆沢に本浄寺という浄土真宗本願寺派の寺があって、本浄寺も親鸞聖人の高弟の是信房上人が開いたことになってる。本浄寺の山号は願性山のようです。本浄寺は明治23年(1890年)に今の場所に移ったみたいです。岩手県の寺の本に、そう載ってる。本浄寺には隠し念仏を広めたということで処刑された山崎杢左衛門の碑がある。昭和23年(1948年)に建てられたみたいです。
 
 隠し念仏は江戸時代に山崎杢左衛門という人が京都の鍵屋というところから教えを受けてきて、山崎杢左衛門は宝暦4年(1754年)に邪宗を広めたということで処刑されたそうです。その後に、違う人が京都の鍵屋に行って、また教えを受けてきて、役人に見付からないように続いていたらしいです。隠し念仏は本願寺からも邪宗扱いされていたみたいです。
 
 浄土真宗本願寺派も真宗大谷派も法主は親鸞聖人の子孫の大谷家の人ということになってるみたいだけど、大谷家は天皇家と繋がりがあるみたいだし、総本山を自分たちのものにしてしまえば、あとは自分たちのものみたいなことなのかな?。
 
 浄土真宗ですか・・・。
 
 
 火をつけるか