仁和寺の法師ですか・・・。
宮崎県日南市にある鵜戸神宮の祭神はウガヤフキアエズのようです。鵜戸神宮のHPを見ると、海のそばにあるみたいだけど、洞窟の中に本殿があるみたいです。鹿児島県鹿屋市に吾平山上陵があってウガヤフキアエズの御陵らしいけど、鹿屋市にも鵜戸神社があるみたいです。ウガヤフキアエズの息子が初代天皇の神武天皇ということになってるらしい。
鵜戸神宮は江戸時代は鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺といって、真言系の神道の両部神道の一大道場だったみたいです。ウィキペディアで調べると、仁王護国寺は京都にある仁和寺の所管だったみたいです。本当か知りませんけど・・・。
京都にある仁和寺は真言宗御室派の総本山のようだけど、明治以降の仁和寺の門跡はウィキペディアに載ってる。釈雲照という僧は高野山で密教を学び、戒律の仏教を提唱したようだ。釈雲照という僧は十善会という会を発足したようです。次の仁和寺の門跡の泉智等という僧も高野山で学び、真言宗の布教のために日本各地を巡り、仁和寺の門跡や天皇の江戸時代の菩提寺の泉涌寺の長老になり、高野山派管長や金剛峰寺の座主にもなり、真言宗連合総裁になったようです。
次の仁和寺の門跡の土宜法龍という僧は釈雲照を補佐し、十善会には久邇宮朝彦親王や小松宮彰仁親王も教えを受けに行ったようだ。土宜法龍はシカゴで行われた万国宗教会議に日本代表として行ったり、西域やチベットを旅行して密教学研究の基礎を築いたみたいです。土宜法龍は仁和寺の門跡や真言宗御室派の管長や高野山真言宗の管長や真言宗連合総裁を務めたようです。
真言宗が今のようになったのも明治時代になってからの気がするけど、明治時代の密教の僧で一番著名な僧は仁和寺の僧の土宜法龍という僧のようだけど、どうなんだろうなあ?。
仁和寺ですか・・・。
火をつけるか
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