東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

神道

2021-09-28 20:24:46 | 日記
 う~ん・・・。このブログにゴールなんて、あるんだろうか?。
 
 明治15年(1882年)に皇典講究所ができて、皇典講究所は神職養成の中央機関で、國學院大學の前身の國學院が皇典講究所に設立されたみたいです。國學院は国史と国文と国法の研究機関として設立されたようだけど、太平洋戦争の後に國學院大學になったみたいです。日本大学は、もともとは皇典講究所の中の国法を専修する教育機関だったようだ。
 
 皇典講究所は太平洋戦争の終戦後の昭和21年(1946年)に解散し、大日本神祇会と神宮奉斎会と一緒になって神社本庁に統合されたみたいです。
 
 皇典講究所の総裁には皇族の人が就いたようだけど、有栖川宮幟仁親王が皇典講究所の初代総裁らしい。皇典講究所の初代副総裁は久我建通という人で、2代目の副総裁は佐佐木高行という人で、3代目の副総裁は鍋島直大のようだ。佐佐木高行と鍋島直大は皇典講究所の所長も務めたようだ。
 
 皇典講究所の2代目の副総裁は佐佐木高行という人で、皇典講究所の所長も務めたようだ。佐佐木高行という人は工部省のトップの工部卿に就いて、工場や鉱山などの民間企業への払い下げを推進したようだ。その後は宮中顧問官になり、枢密顧問官という天皇の諮問機関にいたようだ。
 
 神社本庁ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

金融

2021-09-28 20:15:45 | 日記
 俺は何を考えてるんだろう?。
 
 明治維新の後に大分県日田市は日田県になったみたいだけど、松方正義という人が日田県知事に就いたようだ。松方正義は別府港を築港して別府温泉の発展の礎を築いたようだ。ウィキペディアに、そう載ってる。日田でも明治維新の後に一揆や騒動があったようだ。
 
 松方正義という人は日本の総理大臣を2回務め、その後は元老として政界の重鎮のような存在になったみたいだけど、松方正義は大蔵大臣を長く勤め、日本銀行を設立したらしい。
 
 松方正義は大蔵卿に就き、政府資金調達のために官営工場の民間への払い下げや増税を行ったようだ。その結果、農村の貧困を引き起こしたようだ。農村を離れて都市に出てく人が増えたり、資本家のもとで労働者になったり、自作農から小作農になる人もいたようだ。農地の売買で広大な土地を手にする人もいたようだ。松方デフレというらしい。
 
 松方正義はフランスに滞在してフランスの大蔵大臣の人から助言を得て日本銀行を設立したようだけど、その人の紹介でフランスのロスチャイルド家の人とも会ってるようだ。日露戦争の前に日英同盟が結ばれたようだけど、松方正義はイギリス国王に会ったり、イギリスのロスチャイルド家の人にも招かれたようだ。ウィキペディアで調べて書いてるんですが、こんなかんじでいいんでしょうか?。
 
 ロスチャイルド家は日露戦争の頃に日本に巨額を貸し付けたり、関東大震災の後の復興融資をしたようだ。
 
 ロスチャイルド家のルーツはフランクフルトにいたユダヤ人で、フランクフルトは昔は神聖ローマ帝国のヘッセン=カッセル方伯領で、ロスチャイルド家は宮廷ユダヤ人だったようだ。
 
 ロスチャイルド家ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

津和野

2021-09-28 20:05:15 | 日記
 俺は何を調べようとしてるんだろう?。
 
 明治維新の後に大分県日田市は日田県になったみたいだけど、松方正義という人が日田県知事に就いたようだ。松方正義は別府港を築港して別府温泉の発展の礎を築いたようだ。ウィキペディアに、そう載ってる。日田でも明治維新の後に一揆や騒動があったようだ。
 
 大分県日田市は江戸時代は幕府の直轄領で西国郡代の役所があったみたいだけど、日田市に永山城という城跡があって、丸山城や月隈城ともいわれるらしい。そこが西国郡代の役所になったみたいだ。日田市には日隈城という戦国時代の城跡もあるようだ。
 
 出雲大社は天日隈宮とも記述されてるようだけど、これだけでは、わからんよなあ。
 
 明治維新の後に神道が日本の宗教になるように宣言されたみたいだけど、ウィキペディアの神祇官のところを見ると、島根県にあった津和野藩にいた国学者の人たちが主導したみたいに載ってる。福羽美静という国学者が津和野藩にいたようだ。
 
 津和野藩には大国隆正という国学者がいて、石見国に大国主の古跡を見付け、自分の名字を大国に変えたようだ。
 
 津和野藩の藩主は亀井氏だったみたいだけど、江戸時代の藩も怪しいんだよなあ。
 
 ウィキペディアの日本のフリーメイソンリーのところを見ると、明治時代の後半や大正時代の頃には日本にもフリーメイソンの存在は知られていたようだ。
 
 ウィキペディアで調べると、西周という人が日本で最初のフリーメイソンらしい。西周は津和野藩の出身で、明治維新の後に様々な省の官僚を歴任し、軍政の整備や軍の精神の確立を行った人のようだ。西周は啓蒙家で、西洋哲学の翻訳や紹介をしたり、哲学の基礎を作ったり、様々な和製漢語を作ったようだ。
 
 「哲学」という言葉は西周が作ったみたいだけど、ウィキペディアを見ると、「理性」「意識」「知識」「概念」「心理学」も西周の作った言葉らしい。「芸術」や「科学」も、そうみたいだ。
 
 津田真道という人も最初のフリーメイソンらしいけど、西周と津田真道は明六社という啓蒙思想の団体の初期メンバーの10人の中に入ってるようだ。福沢諭吉も明六社の初期メンバーの1人らしい。
 
 啓蒙思想っていうのは迷信や妄信に囚われず、理性で物事を考えて、科学的に判断しようみたいなかんじでいいんでしょうか?。
 
 フリーメイソンですか・・・。
 
 
 火をつけるか

賀茂

2021-09-28 19:49:57 | 日記
 大国主と大己貴命は違う気がするけど、大分県が怪しいんだろうか?。
 
 大国主の国譲りの話では大国主には息子に事代主と建御名方命がいたことになっていて、国譲りは大国主から事代主に託され、事代主は国譲りを承諾して自分から海に沈み、大国主は出雲大社に引き籠ったことになってるようです。建御名方命は出雲から諏訪に逃げたことになっているようです。
 
 島根県松江市にある美保神社では事代主と三穂津姫を祀っていて、えびす宮の総本宮といってるようだけど、美保神社では国譲りの話を再現した青柴垣神事が行われているようです。
 
 水の中?。
 
 奈良県御所市にある高鴨神社は賀茂神社や加茂神社の総本社で、アジスキタカヒコネを祀ってるみたいです。アジスキタカヒコネも大国主の息子ということになってるみたいです。
 
 高鴨神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

中津

2021-09-28 19:46:00 | 日記
 担ぐ神輿は軽いほうがいいと言った人がいたとか・・・。
 
 八幡宮の総本宮の大分県宇佐市にある宇佐神宮では応神天皇と神功皇后と比売大神を祀っていて、応神天皇は神功皇后の息子で八幡大神ということになってるみたいです。
 
 大分県中津市にある大貞八幡宮といわれる薦神社は宇佐神宮の祖宮らしい。薦神社には三角池という池があるらしく、池が内宮で神殿が外宮らしい。意味不明だ。
 
 奈良時代の隼人の反乱の時、隼人の反乱を鎮めるために八幡神に祈願し、三角池に自生する真薦で枕を作って、薦枕を神験にして神輿に載せ、宮崎県や鹿児島県のほうまで担いで行ったようだ。これが日本で最初の神輿らしい。よくわからないが、宇佐神宮のHPに、そのようなことが書いてある。
 
 薦神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか