すなば たかひろ

「元気で人に優しい鳥取」を取り戻すため、県議になった元新聞記者の挑戦記。みんなで鳥取の未来像を考えましょう!

沖縄で思う戦争体験継承の大切さ

2015年07月27日 | 日記

おはようございます。 
県議は落選しましたが、県議会会派希望は存続しており、様々な政治活動は続けています。会派総会の中で、横山会長が「戦後70年、今の政治状況を考えると、もう一度、先の大戦について学び直すべきだし、戦争体験の継承は大きな教育の問題だ。広島、長崎、沖縄などで勉強したい」と提案され、川部県議、伊藤前県議会議長と私で昨日’(26日)から沖縄に来ています。
沖縄はサンゴ礁が隆起した島ですから、たくさんの自然洞窟があり、ガマと呼ばれていますが、そこが防御陣地や野戦病院、住民の避難場所として使われ、様々な悲劇を生みました。まず訪れていたのは糸数のアブラチガマです。
体制が整備された平成14年からずっとガイドをされている當山菊子さんからガマを案内いただき、お話を伺いました。
このガマには風原陸軍病院の分院が置かれ、約600人の傷病兵をひめゆび舞台の16人がお世話をされましたが、その後、摩文仁に移動しましたが、動けない傷病兵らはガマに残され、ガマから生きて出たのは傷病兵7人、住民約50人だったそうです。このガマではたくさんの人が絶望の中でなくなったが、菊子さんのお母様を始め、このガマがあったから生き残れた人もいるとのこと。長さ270メートルの巨大な暗黒の暗闇、歩けないほどゴツゴツつした床、そして、落ちてくる雨水……。ガマに入った修学旅行生たちは言葉を失い、出てきたときには涙を流す子も少なくないそうです。「正直、このガマは慰霊の場所で入って欲しくないという思いも強いが、しかし、伝えていかなければならないとの思いも強い」と話されました。センターは市から委託を受けた地元自治会の手で運営されています。ここは撮影はできませんが、一度訪れるべき場所だと思います。ただ、そうした地元の皆様に暴言を吐く人も絶えないそうで、心が痛みます。

この後、平和祈念資料館に行きましたが、沖縄処分から展示が始まることに沖縄の人々の思いがあるように感じましたし、こどもたちのための展示室があることにも感動を覚えました。

平和の礎は沖縄戦の戦没者の名前を刻んだ石碑が並びますが、その数の多さに改めて心が痛みます。

鳥取県出身者の名前の前で手を合わせ、さらに、鳥取県出身戦没者を祀る「因伯の塔」に移動し、献花をしてきました。因伯の塔の台座には、県内各市町村の石がはめ込まれています。立派な施設ですが、案内板もなく、整備の必要があるように思いました。

安全保障法制を議論する国会議員の皆さんには、ぜひ、ガマに入っていただきたいし、この平和の礎に刻まれた人の名前を前にして同じことが言えるのかと問いたいと思います。国会審議や沖縄への発言を聞く當山さんら沖縄の人たちに思いを致して欲しいと思います。そして、戦没者は沖縄だけでなく、全国におられますし、空襲などで全国の多くの市民も戦禍に倒れていることも忘れてはならないと改めて思いました。
今日は辺野古へ行き、基地移設に反対する皆さんからお話を聞いていきます。

こうして当事者の皆様から声を聞くことから、すべてのことは始まるし、始めないといけないと思います。

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