すなば たかひろ

「元気で人に優しい鳥取」を取り戻すため、県議になった元新聞記者の挑戦記。みんなで鳥取の未来像を考えましょう!

今一度、島田等さんとハンセン病隔離策を想う

2011年10月16日 | 日記
 皆さんは長島愛生園を知っていますか。瀬戸内海に浮かぶ小さな島にある国立のハンセン病療養所です。ここで暮らす人々の証言を集めたドキュメンタリー「80年目の証言」を観る会が、昨晩(15日)、鳥取市用瀬町屋住の集会所で開かれ、呼んでいただいたので妻と一緒に参加しました。17世紀から街の中で療養生活をおくれるようになったノルウエェーと、1960年代まで国際批判を浴びながらも強制隔離政策を続けた日本の違いを吉永小百合さんのナレーションで綴る番組で、BSSの制作です。
 番組は、ハンセン病と闘いながら愛生園で暮らした島田等さん(1926~1996)が残した元患者のみなさんの証言テープを基に構成されています。私が愛生園を訪れたのは、朝日新聞京都総局に勤務していたとき、論樂社という小さな出版社を経営する虫賀さんに誘われて、一緒に出かけたのが最初でした。そして、島田さんとお会いします。1993年12月のことでした。

 島田さんはハンセン病の歴史を研究されて著述を続けておられましたが、島田さんの著作は、日本の歴史、思想性、国民性など実に深い考察をされており、そこから、極めて緻密な論理構成で、なぜハンセン病患者が忌み嫌われ、差別的な処遇を強いられたを解き明かされていましたし、その半面、島田さんの詩は、悲しみの中から紡ぎだされた言葉で綴られており、私のような感性の鈍い人間でも、大きく心を動かされました。私は日本を代表する思想家、哲学者であり、詩人であると思っています。
 そんな島田さんが私にふともらした言葉があります。「一度でいいからね、あかちゃんを抱いてみたいな」。ハンセン病の伝染力が極めて弱く、普通の栄養状態であれば感染することはありません。しかし、それでも、十分にその知識があっても、やはり、お母さんたちは躊躇してしまうのでしょう。私は「ええ、うちには赤ちゃんがいますから、連れてきますよ」と答えたのですが、なかなか家族の予定と合わず、さらに第2子が妊娠したこともあって、生まれて首が座ったらとか思ってるうちに、時間が過ぎ、島田さんは逝ってしまわれました。訃報を聴いたとき、本当に痛恨の極みでした。そして、月日が流れ、また、画像で島田さんとお会いした次第です。

 時代が流れ、エイズが社会問題として登場してきたときに、いち早く、病気に対する偏見をなくすために積極的な情報提供が必要だと声を上げられたのがハンセン病と闘ってこられた皆さんでしたし、カンパ活動などで支えられました。悲しみを知っているからこそ、優しくなれるのでしょう。そう思いました。今、長男は大学3年生、長女は高校3年生、そして、二男は中学1年生となりましたが、まだ、長島愛生園には連れていっていません。長男が学窓を巣立つ前には、家族そろって訪れる機会を作りたいと思いました。
 
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