40になっても今未だ女っ気なしの男やもめ『紀男』
翌朝
今日は朝から雨、気温はもう既に28度を超えて蒸し蒸しとした暑さだ
こんな時期の鉄工場の仕事は体にかなりこたえる
朝一に工場の鍵を開けるのは班長の紀男の仕事、2年前に自己都合で辞めた人の代わりとして社長から頼まれ班長となった
今この朝日鉄工所の従業員は現場が10名と事務が2名の全部で12人、大半が地方の出身者だ
「社長、おはようございます、今日も暑いですね」
「暑いな〜」
「おはようございます」と次に出勤してきたのは郁夫だ
「暑いっすね」
「暑いな〜、仕事中は十分水分を摂ってくれよ」
「はい」と、郁夫は持ち場に向かった
そして次々と従業員が出勤し、工場は本格的に始動した
紀男は旋盤の担当で猛烈な火花を浴びながら鉄の加工をする仕事、だからゴーグルをつけている以外の顔は煤だらけになり、昼頃にはアンタ誰?って言うほど真っ黒になる
工場は火を使うため扉や窓は開けっぱなし、だからあちこちに大きな扇風機が置かれているがさすがにこの暑さの中ではその風も生暖かく、午前の作業が済むと一旦下着を着替えないと汗でびしょびしょになる
そしてサイレント共にようやく昼飯の時間
この地域は中小企業が多く集まっているので昼の12時にはこの辺り一体にサイレンが鳴り響き昼を知らせる
そして午後の1時と夕方の5時にはまたサイレンが鳴り仕事の始まりと終わりを告げるのだ
「さ〜昼飯どこに行く」
「決まってるだろ」
「よっちゃんだよ」
「正解、あそこの焼き鯖定食最高なんだよな」
「俺は、唐揚げ定食」
「紀さんは?」
「僕は弁当だ」
「いいな〜、俺なんて弁当が作れないからな」
「だったら彼女にでも作ってもらえよ」
「そんなのいねえよ」
「だったら僕が作ろうか」
「えっ、紀さんが」
「ただし500円」
「500円、よっちゃんとこだったら定食450円だよ、ちょっと高いんじゃないの」
「いいよ、別に作るとなったら2個も3個も一緒だと思っただけさ」
「おい、早く行かねえといっぱいになっちまうよ」
「紀さん、だったらよっちゃんとこが休みの日は頼んでもいいかな」
「いいよ、そのかわりキャンセルは罰金取るからな」
「罰金?」
「そう、1000円、それが嫌なら作らないからな」
「わかった」
「じゃ〜俺も」
「僕もお願いします」
話の流れで引き受けてしまったものの、いざこれからよっちゃんが休みの日に四人分作るとなったら朝もちょっと早めに起きないといけない、でも料理を作る事は嫌いじゃ無いので逆にどんな弁当を作ってあげたら喜ぶだろうかとそこに楽しみを感じる紀男
おまけにあいつらよっちゃんで毎回同じ定食ばかり食ってるから好き嫌いというか食わず嫌いがあったらちょっと困るかもな
そのあたりをちょっと工夫しないと
さ〜今晩にでも献立を考えるとするか
そうだ、残したら罰金と付け加えておけばよかったな〜と紀男は思った
そしてサイレント共に昼が終わり午後の仕事が再開した
紀男の実家
「あなた、来週のお爺さんの50回忌、紀男は帰ってきますかね」
「お前電話したんか」
「この前も電話したけどいつも留守番電話、でもかかってきた事は紀男もわかってるはずやからね」
「それやったら帰ってくるやろ、どうせ紀男がおってもおらんでも親戚だけで集まってするんやしな」
「ま〜そうかもしれへんけど、そしたら取り敢えずお弁当は紀男の分も注文しときますわ」
「ところで紀男、あいつなんぼになったんや」
「確か今年で40のはずですわ」
「40か、いつになったら結婚するんやろな〜、妹はもう二人も子供ができてるというのに一生結婚せ〜へんつもりかな」
「なかなか出会いがないん違います、そやしあの子、口下手で不器用やさかいに自分から女の人に声をかけるなんてできひんのと違う」
「そやから前から見合いせ〜と何回言うてもせ〜へんしな、こうなったらもうほっとかなしゃ〜ないな」
「ま〜なるようになりますやろ、そしたら私、仕出し屋さんへ電話入れときます」
朝日鉄工所
午後5時の終業のサイレンが鳴った
従業員達は作業を終え持ち場の片付けをした後一旦事務所に入り順番にタイムカードを押す
すると社長が必ず一人一人に
「お疲れさん」
「ご苦労さん、ゆっくり体休めて明日も頼むで」と声をかけてくれる
「失礼します」
「お先で〜す」と、従業員達は順に会社を出てゆく
「さ〜風呂に行こか」
社宅住まいは4人、それ以外はみんな通勤
社宅には風呂が無いので歩いて10分のところにある銭湯まで行く
その間には一級河川の清崎川が流れていて、冬の時期は障害物も無いので冷たい風が吹きつけ、銭湯で暖まった体も橋を渡るだけで一気に冷えてしまう
だからその橋を渡る時は小走りに抜けるんですが、たまに寒さのあまり道が凍っている時もあり、ツルッと滑って尻餅をつき仰向けに転がる事もある
私は銭湯を出てまっすぐ社宅に戻るが、郁夫ら3人はいつもよっちゃんで一杯飲んでから帰ってくる
社宅に戻るとまず電球を灯し、冬だったらストーブと炬燵のスイッチを入れる
社宅の壁は薄いのでなかなか温まらず、毛布をかぶってストーブの前でしばらく部屋が温まるのを待ち、それからようやく晩飯の準備に取り掛かかる
今日の晩ご飯は先日買っておいた鯖を塩焼きにして、ちょっと大根おろしを添え、ご飯は多めに炊いて冷凍してたのをレンジで温め、汁物だけはインスタントのお味噌汁
「頂きます」
ご飯を食べながら紀男は携帯を見た
実家から何度も電話がかかっている
どうせまた「帰って来い」だの「いつ結婚するんや」と説教じみた電話だろうと無視した
そして紀男は携帯をテーブルに置きテレビの電源を入れた
するとちょうど気象予報士が天気の概況を解説しているとこだった
「明日も朝から気温は高く、今週いっぱいこの状況が続く予想です、またところどころで急な雷雨があるでしょう」と、しばらくはまだこの蒸しっとした日が続きそうでため息が出た
晩ご飯も終わりかけの頃、ドアをコンコンと叩く音がした
誰かと思えば社長が尋ねて来た
「こんばんは、紀男君、おるか?」
「あ、はい、今すぐ開けます」と、ちゃぶ台の食器を片付けテレビを消して座布団の用意をした
「すまんなくつろいでるところ」
「あ、いえいえどうぞ」
「紀男君は部屋をいつも綺麗に使ってくれてるな、それに比べ郁夫の部屋はいつも散らかってる、ま〜そんな話は置いといて、紀男君、昨日の件やけどな、考えてくれたかな」
「すんません社長さん、なんやバタバタしてまだちゃんと考えてないんです、早よ返事せんとあきませんか」
「ま〜そんな事はないんやけどな〜」
「すんません」
「ま〜君が謝ることはないんや、ただワシもこれはえ〜縁談やと思ったからな、ところで紀男君は結婚したいという気持ちはあるんやろ」
「は〜、ま〜無いこと無いんですが〜」
「ほな何か理由でもあるんか」
「理由なんて無いです」
「それやったら・・・、ま〜、無理に押し付けるのもな〜」
「・・・・・・・」
「相手さんもすぐ返事くれとは言うて無いんでな、もしここ数日で気が変わるような事があったら返事してくれるか」
「すいません」
「ほなくつろいでいるのにすまんかったな」
「あ、いえいえ、失礼します」
紀男は社長が尋ねて来るまではこの事は全く忘れていた
正直、自分には全く縁のない話と思い、また逆に相手さんにも迷惑になりかねないと諦める以前の事だと思っていた
一体どう返事をしたものか思案する紀男であった
つづく
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