夏目漱石の後期三部作と言われる『彼岸過迄』『行人』『心』。
いずれも中核に据えられているのは同じようなタイプの学者、知識人。勉強し過ぎて、研究し過ぎて、まじめで、考え過ぎて、孤独感に苛まれて、ちょっとおかしくなってきちゃった…というような人物だ。
そのおかしくなってきちゃった度合というか、いかれ具合がもっとも大きいのが、この『行人』に出てくる一郎だと思う。
一郎は物語の最後まで生きているので、『心』の「先生」よりはマシかも知れないが、混迷の深さは救いようがなく、そこから先、幸せに暮らしていけるとはとても思えない。
ハッピーエンドとはほど遠いエンディングを迎える。
とは言え、私はこの『行人』が漱石の作品の中では一番好きだ。
悲劇が好きなわけじゃないし、どちらかというとハッピーエンドの方が好きだし、第一、一郎にさほど共感もできないのだけれど、なぜか読んでいると『行人』が面白いと感じる。
2016年から刊行開始された岩波書店の『定本 漱石全集』。
その第八巻に『行人』が収録されている。
これを図書館から借りてきてパラパラと眺めてみた。
私が持っている全集本(1993~)とそれほど大きな違いは無かった。
しかしながら、月報に収録された中脇初枝の『百年前の使者』には感じ入るものがあった。
一郎とは、漱石自身を投影した人物であろうと想像される。
以下は『百年前の使者』からの抜粋。
『……わたしをどれだけ励ましてくれたことだろう。
自分が幸福でないものに、他を幸福にする力がある筈がありません。
自分が幸福でないものに、他を幸福にする力がある筈がありません。
彼はこう書いた。たしかに妻との仲は険悪で神経衰弱に苦しんでいた漱石は幸福ではなかっただろう。けれども、幸福ではなかったであろう彼の書いた作品のおかげで幸福になれた人は、わたしばかりではないはずだ。
……』
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