小説を読み終えて、結局、著者は何を言いたいんだろうか? と思うことは多々あって、この『街とその不確かな壁』はまさにそうだった。
でも、別に批判しているわけではない。
村上春樹の小説はだいたいいつもそうだし。
小説家には二つのタイプがいると思う。
小説を書く前に、自分が何を書きたいのか(言いたいのか)を予め明確に認識していてそれを書いていくタイプ。
逆に、認識していないけれど、書いているうちに自分が何を書きたいのか(言いたいのか)が抽出されていくタイプ。
村上春樹は後者だろう。
たぶん。
ただ、両者の間の壁は「不確か」だ。
何を書きたいのか(言いたいのか)が明確だったのに書いているうちに揺らいでくることもあるだろうし、書く前も書き終わってからも何も抽出されないこともあるだろうから。
それでその…最初に戻る。
『街とその不確かな壁』を読んだのだけれど、著者が何を言いたいのかはよくわからなかった。
村上春樹の小説にはよく絶対的な関係性の、あるいは少なくとも一方が絶対的な関係性であると信じているような男女が出てくる。
例えば「ノルウェイの森」の僕と直子、「海辺のカフカ」の佐伯と昔の恋人のような。
『街とその不確かな壁』にもそれが出てくる。
主人公と、主人公が「きみ」と呼ぶ少女だ。
「街と、その不確かな壁」
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」
「街とその不確かな壁」
と書き重ねられて行って、それを読み、よくわからなかったけれど、感じたのは、その「絶対的な関係性」のようなものも所詮は幻想?
ということだ。
最後に、それ以外何も感じなかったのか? 面白くなかったのか? というと、別にそういうわけではない、とだけ言っておこうと思う。
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