the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 

名前  




GITANESはジターヌだろうけどジタンでも通る。
しかし南方君、ジタネ ではない。
それとは無関係に・・・。

至れり尽くせりなイメージのある、そして実際
至れり尽くせりな某店へ所用で行った。
提案書や何やら色々見せられて、それらの悉くに
私の名前が○○○○様と印字されている。

惜しい。
漢字(苗字の)が間違っている。
常用漢字外の文字が使われているから
無理もない。と思うようにしている。
このように、
自分の名前の漢字を間違われることに
まったく無頓着なのである。
例えば私の姓が「齋藤」であるとして、
自分でも書くのが面倒だから
「斉藤」と書いてしまうほど拘りがない。
場合によっては「再投」でもいいんじゃないか
とすら考えるほどである。

また、ファーストネームの方も非常にレアなので
パッと見て無茶苦茶な認識をされることも
しばしばある。ふりがながなければ
正しく読めた人など1割程度である。
ということで、フルネームが見たこともないような
漢字の組み合わせになったり、
手書きの場合なんて、それぞれの文字も
西夏文字じゃなかろうかと思えるような
こともあった。
そして、たいていの場合訂正するのが面倒くさいので
※伝えることも面倒だ、謝られるのも面倒だ
そのまま放置する。

このように、名前を間違えられることには
非常に大らかなのでそもそも姓名判断占いなど
欠片も信じていない。


ずっと古代に
名前がなかった時代にも
個人識別のための呼び名はあっただろうし
そっちのほうには興味がある。
オオカミと踊る男
とか
マンモスと歌うやつ
とか、
木登りが早い者
なんて呼び合っていた時代があったとしたら
それは素敵なことだ。
呼び名がその人間の多くを語っている
からである。
今の名前がどう呼び間違えられても
間違えられた人間の存在そのものには無関係である。
無論、誰かと混同されたら不便この上ないのだが。


という訳で、
その店が言う○○○○様は
まったく私ではなかった。
「それ、誰やねん」と呟きながら
店をあとにした。






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