エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

禍福は糾える縄のごとし

2007-01-16 | 日々の生活
                 《真冬に咲くシバザクラ》

 禍福は糾える縄のごとしである。
 正月早々に、病状の点検で幾種かの検査をしてもらった。
ずいぶん忙しいお正月の始まりだった。検査結果はとりあえず異常はなく、安堵した。

土曜日は大安で、愚息の結納だった。末娘の運転で、新雪の中を郡山へ向かった。先方の娘さんはいわきなので、二人で結納式、結婚式も郡山に設定したようだ。
 今年は雪が少ないし、毎日でも少しづつの降りなので助かっているが、この新雪は二人の新しい門出にふさわしく思えた。
       待ち待ちし二人の門出雪さやか
 7月を予定している結婚式の会場でもあり、会場や式の様子などを案内してもらった。
親族書や婚約指輪を交換して、二家族の幾久しいお付き合いをお願いした。会食も、和やかな思い出に残るひとときとなった。

 一段落した翌日は、暮れからの予約で、妻と恒例の温泉旅行で飯坂へ行った。
 途中、福島市内の福島市古関裕而記念館や県立図書館へ立ち寄り、いつもの感激を持つことができた。
 会津を抜けると中通り地方は雪はほとんどなく、温かい冬の陽ざしが緑の畑に降り注いでいた。今更のように、雪の会津との不公平を思った。
 無理にならないように、すっかり温泉を楽しんだ。翌朝は医王寺を訪ねた。雪の季節は初めてなので楽しみだったが、日陰にうっすら残る程度で朝の寒気もさわやかだった。
 紅い山茶花が満開で、同じ色のシバザクラがいっぱい咲いていた。我が家でも、庭の雪の下ではつぼみが膨らんでいるのだろうか。

昼過ぎに帰宅すると、悪い知らせである。隣のご隠居が亡くなられたのだ。
 おじいちゃんは散歩が日課で、数年前までは小一時間は歩いてきたと思う。ときどき道で世間話を交わしていた。でも、最近は寒いしほとんど家にいたようだ。あまりに突然で、おばあちゃんが気の毒だった。今朝の雪は細かい。悲しみをいっそう強くしているように降りしきっていた。お顔を拝見し、線香を手向けた。今日がお通夜、明日がお葬式で、隣組でお伝いになった。
 
 正月は、元旦、初詣、書き初め、七草、鏡開き、歳の神、団子射しと伝統行事が続いた。
我々はこうした長い歴史と風土の中で生活していることを実感している。
 そして、良いことばかりは続かない。不幸や苦しみの度に立ち止まって生き方を考える。それが人生だ。
 昨日、結納で新しい若い二人を祝福し、今日、ご近所の逝かれた人の教えを思う。
 「禍福は糾える縄のごとし」を痛感している。

コラム
《「日本経済新聞」 春秋(1/16)より》

 きょうは藪入(やぶいり)。年末から年始にかけて、大掃除や掛け取り、初荷、初売りで大忙しの奉公人が、小正月の翌日、16日に暇をもらって生家に帰る昔の正月休みだ。草深い田舎の実家に戻ることから、この名が付いたという。「宿入」が転じたという説もある。

▼公式行事が続く大正月の次には、15日から女性や奉公人が一息つく女正月、小正月を迎える。農村では、月の満ち欠けに基づく農業の事始め、望(もち)正月でもある。今やその実質的な意味は薄れたとはいえ、季節と暮らしを区切る歳事としての存在感は大きい。「成人の日」という形でそれは残ったはずなのに……。

▼3連休づくりのため、成人の日は1月の第2月曜日となり、伝統の歳事と実生活をつなぎ留めていた暦の縛りは、消えかけている。今、憎悪がふくらんだ家族内の惨劇が連日報じられている。暦がいや応なしに運んでくる数々の行事で、人はすれ違った心を癒やし、ささやかな幸せを得てきたのではないか。

▼「女正月つかまり立ちの子を見せに」(中野三允)「やぶ入の寝るやひとりの親の側」(太祇)

▼働き方も、暮らし方も、家庭のあり方さえも時代とともに変わる。変わらないのは、親子、夫婦、兄弟のきずなが、成功や資産よりも、平凡な時と歳事の積み重ねに依拠していることだろう。