エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

孫と夕方の散歩

2009-12-30 | 日々の生活


 孫を夕方の散歩に連れ出した。武琉くんは四六時中DSに興じている。ポケモンダイヤモンドの分厚いクリアーブックを離さず持ち歩いている。困ったものだ。
 もう休みに入り1週間、寒いこともあるが家にこもりっぱなし。運動不足もあり多少太り気味だ。食事はいつも一品のおかずでご飯をおかわり。ママはシチューやカレー、ハンバーグで野菜嫌いをカバーしている。毎日工夫しているが、散歩に連れ出すことにした。

 約1キロほどのスーパーへ、道すがら初めての道沿いを彼は目を輝かせながら歩いた。
いろいろ話しながらあるいた。店の2階の本屋さんで読書。1年生の武琉くんはかなりの読解力だ。じいが本棚を回っているうちに.彼は数冊を読み切ってしまう。豪華な絵本がいっぱいある児童書コーナーは、好きな本を持ってきて読めるなかなかいい環境だ。お店には悪が、遠慮がちにも大いに利用させてもらいたいと思った。

 店を出るとすでに日は山の端に隠れ、黄昏の空の色が美しく広がっていた。しばし見つめた。黒づんだ飯盛山の上に月が煌々と冴え渡っていた。今夜は冷え込みそうだ。
 月のこと、地球のことなどの彼の不思議に答えながら、暮れなずむ道を家に向かった。 いつの日か、じいちゃんと歩いた散歩道を思い出すことがあるだろうか。

(2009.12.29)
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 暮れの墓参り

2009-12-29 | 日々の生活
     【二の丸付近の内堀 この先がお墓】

   今年も押し詰まったが、そんな気がしない。大晦日から元旦は大雪で大荒れの予報、嵐の前の静けさか、気温は低いが穏やかな1日だった。
 みんなが暮れの買い物に出かけた後、一人お墓参りに出た。何年か前から年末の墓参りをすることにした。我が家には仏壇はない。でもお墓は城の南口にあり、父や母に会いたいときにいつでも行ける。
 道に雪はなく、運動がてら自転車を走らせた。アノラックにスキーズボンをはき、手袋にスノー帽と完全防寒でゆっくり自転車をこいだ。
本通りは絶え間ない車の通行量で、何となく暮れの気ぜわしさが感じられた。
 風雅堂前を通って、三の丸から西出丸へ向かう内堀を南へ、程なく豊川墓地だ。そのすぐ南に湯川が流れている。天然の外堀だ。
 父や母には彼岸やお盆にも会えるが、暮れはこころからの話ができるような気がする。
 今年1年の報告をし、また来年のご加護をお願いした。また、来年の幸せを見つめていて欲しいと。叶わぬことだが、もう一度父と母と話がしたいと思った。
 お参りした後のなんとすがすがしいことか。来た道をゆっくり、師走の空気に触れながら家に戻った。


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ふるさとから餅届く

2009-12-27 | 日々の生活
       【雪をとかす】



 穏やかな寒い一日だった。午後、息子家族が3人でお歳暮に来た。普段離れている孫も1ヶ月ぶりだったが、また成長していた。膝で歩く得意技で、こっちの孫たちと仲良く元気に遊んでいた。



 夕方、もう一軒残っていたお歳暮回りを済ませた。どこも伯父や叔母はとうに亡く、線香を手向けると過ぎし日の元気な顔が浮かんできた。従兄弟たちも元気だが、最近、皆が歳を取ったことを静かに受け入れている。

お正月を前に、今朝一番で妻の実家からお餅が届いた。ありがたい。思えば、新婚から39年の間、絶えることなく毎年お餅を送ってもらっていた。今は亡き父や母が、臼でついたお餅をのばしている光景が目に浮かんだ。今は兄と姉に代が変わり、同じように沢山のお餅を送ってくれる。熨した切り餅を一臼分あるだろうか、切り端も残らず入れてくれる。ダンボール箱の空いたところには、孫たちの好きそうな袋菓子が詰められていた。あるときは妻の懐かしいふるさとの菓子が入っていたものだ。
 昼に早速焼いてご馳走になった。納豆、大根おろし、きなこ、そしてつゆ餅にして美味しくいただいた。妻の里のみんなを思いながら、感謝で胸がいっぱいになった。


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雪の中の圓蔵寺

2009-12-24 | 日々の生活
 

   今年もあと一週間を残すのみとなった。毎年数軒にお歳暮に伺う。夕方、柳津の従兄弟宅を訪ね、伯父伯母に線香を手向けた。ついでに帰りに雪の中の圓蔵寺にお参りし、月見ヶ丘で温泉に浸かって来るのが常だ。
 お正月のごちそう作りを始めていた。できたばかりのお正月になくてはならない棒鱈の甘露煮を沢山いただいた。何日もかかってじっくり煮込んだものだろう。妻は従兄弟から黒豆の煮方を詳しく聞いていた。

 雪の中の圓蔵寺を参拝した。今年1年、健康な日々を過ごせたことを感謝して、来年もよろしくご加護をとお願いした。妙にこころがすっきりした。
 山門からの階段を上りきった両脇に、本堂菊光堂に向かって左に丑、右に寅の石像が座っていることに初めて気づいた。丑寅の守り本尊としても信仰を集め、またこの丑と寅を撫ぜると福と知の無限のご利益があるとされている。境内の撫で牛を撫でた。



境内の只見川を望む鐘突堂の脇に「良寛禅師行脚之地」の碑があった。解説板を読みながら、また良寛を思った。



境内で頼三樹三郎の詩碑が目に入った。暇がなく通り過ぎたが、今度、碑文をよく見てみたいと思った。
 ----【頼三樹三郎】文政8(1825)~安政6(1859)、幕末に生きた尊王攘夷派の志士であり儒者である。「日本外史」を著した史家・頼山陽の子でもあり、柳津を訪れその美しさに感銘を受けた一人である。彼は、柳津の景色を「北州の名勝」と讃え、詩を残した。彼は安政の大獄で捕らえられ斬首されている。----

【頼三樹三郎の詩碑】

月見ヶ丘町民センターの温泉は貸し切りだった。高台の湯船からすっかり暗くなった只見川にかかる雪をかぶった橋桁が見えた。凍えそうな冬の雪道に車のライトが冷たく光った。いよいよ今年も暮れるという実感を覚えた。

 何となく賑やかなクリスマスイブの食卓にシャンパンを開けた。孫たちの好きなフライドチキン、食後は昨日の残りのケーキを味わい、サンタさんのプレゼントの話で盛り上がった。我が輩は、戴いてきた郷土料理の棒鱈の甘露煮で冷酒がはこんだ。
 明日の朝の孫たちの喜ぶ顔を想像した。
 


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クリスマスケーキ作り

2009-12-23 | 日々の生活
         【雪に赤い実 ツルヤブラン】
   寒いが、穏やかな一日だった。
終日、音楽を聴きながら読書、ラジオからはあと10日ほどに迫った暮れの慌ただしさを伝える中継放送が流れていた。

  クリスマスは我が家では昔からケーキの日、そして孫たちへのサンタ代わりのプレゼントの日だ。
 萌ちゃんとママは、クリスマスイブには1日早いがケーキ作りだ。サイズの大きいスポンジにクリ-ム、イチゴ、チョコレートで飾っていた。武ちゃんはケーキ作りは関心なし、ポケモンにはまって、分厚い攻略本「パーフェクトクリアブック」をにらみながらDSだ。細かい字を隅々までじっくり読んでいる。じいはDS小僧と呼んでかまっている。
 大分前から萌ちゃんと飾り付けたクリスマスツリーも部屋を明るくしている。



夕方、遅ればせながら1日遅れのゆず湯に浸かった。湯船でゆずを回しながら、1年を振り返る年の瀬を思った。
 


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 朝日に輝く新雪

2009-12-22 | 自然観察


 今朝は息を吹けば飛ぶような雪が5,6センチ積もっていた。
雪の結晶が朝日に輝いてとてもきれいだった。虫めがねでしばし観察した。結構きれいに見えるものだ。
 雪の結晶の基本形は6角形、水分子が凝集していくときに,水素結合をする酸素の周りの3つの水素が等価になって結合の角度が120度になり六角形の基本構造を作るそうだ。
 樹枝に伸びた部分や針状の結晶がよく見えたが、きれいな6角形は見つけにくかった。でも透明な6角形の板状結晶を見ることができた。
中谷宇吉郎博士は「雪の結晶は天から送られた手紙である」と言ったが、雪の結晶の形は主に温度で決まるらしい。綺麗な結晶ができるのは-10℃から-15℃位で、低すぎると、結晶が成長せずに細かな雪になってしまうという。
今朝の気温は-5℃、雪の状態も結晶の観察にはベストではないだろうか。しばらく厳しい寒さの中で神秘的で美しい雪を観察できた。
 一週間続いた寒波もひとまず終わり、青空に桐の枝が凛と伸びていた。






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 寒い一日

2009-12-21 | 日々の生活
寒い一日だった。ずっと氷点下ではなかったろうか。結露した北側の部屋の湿気を取ろうと開け放っていたサッシが凍り付いて動かなかった。
 久しぶりに人界に降りた。凍てついた雪道を歩いて、近くのスーパーへお買い物。
娘の簡単レシピを見ていて、思い立って材料調達に行った。ついでに頼まれた妻の本を2階のTSUTAYAで求めた。
何ヶ月ぶりだろうか。書店を一回り、いやいや陳列本の多さに驚いた。分類された雑誌のたぐい、年少向けのクリスマスプレゼントの本など、なんと豪華なことか。レンタルビデオ・DVDも見物した。いかに世の中を知らなかったか痛感させられた。すごい世の中になったものだ。旧態依然の蔵書を繰り返し広げている身としては、取り残されているような感覚を覚えた。

 食品売り場へ、目的はコーヒー豆と生イカとマイタケ、買い物は3分で済んだ。
途中、ときどき雪が冷たく頬を打っ中を、ラックと毎朝歩いていた散歩道を家に戻った。思えばラックが逝ってから散歩に出たことはなかった。4ヶ月ぶりに通る道は彼女を思い出し、切なかった。肯えないがこれが現実だと言い聞かせた。

 ついぞしたことのない料理もどきは、キャベツとイカのトマト煮と、油揚げとまいたけのピリ辛炒め煮だ。
 イカを裁いた。1パイは輪切りに切って、1パイは皮を剥き刺身にした。キャベツを大きめ切ってイカとトマトの缶詰で煮る、確かに簡単レシピだ。味付けは塩コショウ。
まいたけは油揚げに刻んだ赤唐辛子を入れフライパンで炒めるだけ。どちらも少しお酒が入り、お酒が飲むだけでないことを知った。
 刺身以外はお昼ご飯に食卓を飾った。
 ときどき、酒の肴くらいは自分で作ってみたいと思った。

 夕方、ようやく日が覗いた。明日も寒いようだ。





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ありがたい 孫の学級通信

2009-12-20 | 教育を考える
       【鮮やかな残りカリン しんしんと降る雪】



 孫の1年生武琉くんのクラスでは、毎日担任のM先生から通信が届く。A5判の「エトセトラ」だ。クラスや学校での様子に、今日の配布物、宿題、明日の学習計画、持ってくるものなどが、毎日欠かさず書かれている。じいもときどき目にしているが、今日の通信は倍のサイズで、カラー写真が5枚、お楽しみ会「お店屋さんごっこ」でのグループ毎の活動が、みんな写るように載っていた。
 通信「エトセトラ」は、初めて学校に出した親にとっては、どんなにかこころ強かったかしれない。ありがたいと思っている。

 4月、学校に通い始めた頃、先生に連れられて家の近くまで集団で下校していた頃を思い出した。あれから9ヶ月、ピカピカの1年生もずいぶんたくましく成長したものだ。
 普段の様子はあまり話さない孫だが、運動会あり、学習発表会あり、この前は保護者面談があったようだ。学校の様子はよくわかる。最近は新型インフルエンザが蔓延し、学年の他の何クラスかで学級閉鎖になったりしたが、武琉は風一つ引かずに元気で通った。
 22日で2学期が終わる。慈しみ育てる孫を見つめながら、学校でもさぞかし先生方にお世話になっているだろうと、感謝の気持ちでいっぱいだ。
 
この前、じいちゃんの画いた磐梯山のスケッチを孫に持たせた。私の大好きな絵を2Lサイズに印刷して額に入れた。厳寒の崎川浜に浮かぶコハクチョウと遙かに聳える秀峰のスケッチだ。子供たちに郷土の秀峰磐梯山や猪苗代湖、美しい自然を心の隅に残してやりたい思いだった。
 折り返し先生から娘宛にお礼の返事があった。教室の先生の机の上に飾られた小さな自然を、子供たちが時折眺めている教室の様子が目に浮かんだ。




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優雅なクラリンドウ

2009-12-19 | 自然観察
  

フラワーセンターでクラリンドウなる花を初めて見た。枝からフジの花のような花房が垂れ下がり、華麗な花だった。 【別名を《クレロデンドロン・ウオリキー》。高さが1~2mの直立性の低木で、枝の先から垂れ下がるように花を咲かせる。花房は長いと35cmも伸び、白い蝶のような花がたくさん咲き誇る様は優雅で魅力的。葉もツヤツヤとして光沢があり、花の咲かない時期でも観葉植物として観賞できる。株元からは新芽が良く出て、成長が早いもの楽しみ。秋から冬にかけて花を咲かせ、室内を素敵に演出してくれる。】

鉢植えされた一株から、4本の枝が伸び、それぞれの枝先に約30センチもの黄色いつぼみが垂れ下がっている。華麗な花が開くのを心待ちにしている。


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鶴ヶ城の雪景色

2009-12-18 | 日々の生活

昨晩まで雪がなかった。今朝起きてびっくり、大雪だった。久々の雪景色に元気が出た。
物置から長靴やブーツを出して、しばらく履けないズック類をしまった。娘たちの車の雪を落とし、すぐに子供たちの道を付けた。じきに防寒の衣類も脱ぐほどの汗をかいた。久々に身体を動かしたせいか、朝食もすがすがしい気分で美味しくいただいた。
 孫たちが家を出る7時半頃、雪はかなりの降りで、落としたばかりの車のフロントガラスに見る間に雪が積もった。昼過ぎまで降り続き、積雪は40センチを越えたのではないだろうか。
 雪の重みでたわわに曲がったクロチクや、きれいに咲いていたサザンカをすっぽり覆った雪を雪はねで揺すって落として歩いた。た。昨日まで寒さに耐えて咲いていたサルビアや背の低い緑はすっかり雪に隠れてしまった。もはやこれまで、春までしばしのお別れだ。
 
 萌花ちゃんの幼稚園は今日で終わり、午前中に元気に帰ってきた。明日から約3週間の長い冬休みに入る。また忙しい日々になるか。萌ちゃんは会津ユネスコ幼児画展の賞状をもらってきた。どんな絵を描いたのか、午後からママとばーちゃんと萌花ちゃんを乗せて文化センターまで見に行った。
萌花ちゃんの絵は4歳児の部に虹と遊ぶ子供たちがカラフルに描かれていた。一年前の作品だろう。最近は、しょっちゅう女の子の絵を描いているが、賞状をもらい励みにもなるらしく、絵には関心が高い。。休み中、一緒にいろいろ画いてみようと思っている。



みんなを降ろして、じいは急ぎ足で隣の雪のお城へ向かった。季節を問わずに美しい鶴ヶ城だが、雪吊りされた多行松とお城の写真を撮りたかった。。やはりお城の雪景色はすばらしかった。









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暖かい貧しさ

2009-12-17 | 文芸
      【デンマークカクタス】

最近、NHKアーカイブス「あの人に会いたい」で水上勉を視聴できた。
あの穏やかに語る若狭での貧しい少年時代やお母さんへの思いに涙がこみ上げてきた。
 「ありがたいことに貧困だった。」と、目を潤ませながら語っているような気がした。
 「貧のしつけ」も人間が置き忘れたものなのだろう。

いつも雑誌「サライ」に連載された「折々の散歩道」を愛読していた。1991年に長野県北佐久郡北御牧村(現・東御市)に庵を構えて、陶芸や絵画、竹紙漉き、野菜作りなどの生活を送っておられた。その頃からの画と、何よりも優しいまなざしを読ませてもらった。
 水上作品はあまりないが、いま本棚にあった『閑話一滴』(PHP文庫)を読み返している。どの文章を読んでも、切ない気持ちになりこみ上げてくるものがある。幼い日のふるさとの若狭でのこと、お母さんの思い出、こころに切なく迫ってくる。
 書棚の「良寛」、『一休」など、もう一度、水上作品を読んでみようと思っている。
そして、自分自身置き忘れてきたことことを考えてみたい。
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「良寛和尚像と詩碑」

2009-12-16 | 文芸
         【良寛像と詩碑 向こうに圓蔵寺 :月見ヶ丘から 2009.3.19】
 

 短大図書館に会津史学会の機関誌『歴史春秋』を見に行った。前に来館したとき、その新刊(第70号)に「良寛和尚と柳津」という記事を見つけていた。

 小川茂正氏の研究発表 《良寛和尚像と詩碑》で -2編の長詩を考える- と副題が付けられていた。良寛和尚が約190年も前の秋に、柳津を訪れ残した長詩について、柳津詣でがいつであったか、またその目的は何であったかを興味深く考察しておられた。そこには良寛の残した長詩と解説が述べられ、あらためて往時の美しい柳津の景観や良寛の感懐に触れることができた。
 また、月見ヶ丘にある良寛禅師詩碑建立を機に、柳津町良寛会が発足し、交流研修を重ねておられることを知った。

 いままで、この機関誌『歴史春秋』を見る機会はなかった。たまたま目にとまってみた機関誌だが、会津の歴史についての多方面にわたる内容だった。私自身、幕末、戊辰戦争の頃の時の流れや徳一の頃の恵日寺仏都会津などに関心を寄せてはいたが、これを機会に、もっと深く郷土の歴史を学びたいと思った。


(参)以前に拙ブログで、良寛ゆかりの地を訪ねた感懐を『良寛を歩く(その1)~(その7)』にまとめた。(2006.5月~6月)
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「柳津讃美! 良寛漢詩碑に思う」 【「良寛を歩く(その6)」(2006-06-16)】

 柳津・つきみが丘にブロンズの良寛像と漢詩の碑がある。
 よく温泉に入りに行くが、その都度像をながめていた。
最近この漢詩碑の内容を調べてみた。これは、良寛が「秋夜宿香聚閣」と題した、実に五言34句の長い漢詩で、荘厳な寺院と周りの景色を賛美している。この真筆の遺墨は出雲崎の良寛記念館にある。
 良寛は全国を殆ど行脚して回っていたというが、よほど柳津円蔵寺での眺めが良かったのだろう。 香聚閣(の円蔵寺)に泊まり、過ごした様子が細かく書かれ、特に麗しい周囲の自然風景に感動している。よほど気に入ったと思われる。
 良寛が訪れたのは秋と言われるが、詩の感動は春から夏の今の時期のような感じがする。いま、その漢詩に書かれた良寛の感懐を共有したいと思い、円蔵寺に参拝した。
 この詩で、良寛は立ち去りがたい思いを
「人間有虧盈 再来定何年 欲去且彷徨 卓錫思茫然 」と表現している。
当時と変わらないすばらしい景色を前に、そんな良寛の心境を思った。
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寮歌考

2009-12-15 | 文芸
        【ブルーベリーにうっすらと雪が】

  
 信州のブログ仲間「山裾の人」さんのブログ「田舎暮らし山裾の日々」で、雄大な浅間山の美しい写真を楽しみに見ている。
 煙のたなびく浅間山を眺めていると、その都度、信州での青春の歌が口をついて出てくる。
 ”朝霧に浮かぶ浅間山 煙の高くたなびけば~”、寮歌『ああ黎明』の一節だ。
また、”振りては 浅間の煙 熱血湧く 青春の意気 ~”と、応援歌も懐かしさとともに浮かんでくる。いずれも、遙か40年も昔、コンパや学校祭の折にしばしば歌っていた。そうそう、”春花香る信州の 吹雪く桜の花の下 ~ ”もあった。
 ”寮歌前誓友に告げぐ 玲瓏として高き吾妻の霊峰・・”の出だし、”いざや歌わんかな・・・ アイン ツバイ ドライ”、声高らかに歌ったものだ。みんなあまりに懐かしい、若かりし青春の歌だ。よみがえる美しく流れた日々は、なんと純粋であったことか。
桜の季節には、思誠寮の『春寂寥』をよく口ずさんでいる。”あわれ悲し逝春の 一片毎に落る涙”当時から、北杜夫も歌ったであろう(*)すばらしい寮歌に酔っていた。剣道部の全学合宿で教えられたと記憶している。

 ”春寂寥洛陽に 昔を偲ぶ唐人の 傷める心今日は我
  小さき胸に懐きつつ 木の花蔭にさすらえば
  あわれ悲し逝春の 一片毎に落る涙”

(*)北杜夫著『或青春の日記』には(昭和23年4月9日)”・・・長野の街を見下ろして、僕らは「春寂寥」を歌って山を下る。”とある。

 寮歌なるもの、そのメロデーは何とも言えない。また、その七五調の文語体の歌詞もすばらしい。先輩から後輩へ営々と口伝されてきたのだろう。世相の変わった最近の学生生活では、たぶん歌われていないのではないだろうか。
 
 寮歌といえば、旧制第一高等学校の『嗚呼玉杯に花うけて』 第三高等学校の『紅もゆる丘の花』などを知るが、『北帰行』 は旧制旅順高等学校の愛唱歌だったという。
ウィキペディア(Wikipedia)によると、寮歌の数は旧制高等学校の寮歌や、その影響を受けた他の諸学校の歌も含めると、3000曲以上はあるようだ。
バンカラ学生をあこがれたりしていた頃、コンパ等で酔って家へ帰る道すがら歌うのは、決まって『人を恋うる歌』だった。

  ”妻をめとらば才たけて ・
   顔(みめ)うるはしくなさけある
   友をえらばは書を読んで ・
   六分の侠気四分の熱 ・ ”

 作曲不詳の与謝野鉄幹の作ったこの三高寮歌は、数節しか知らなかったが長い詩歌であることがわかった。
http://www.fukuchan.ac/music/ryoka/hitookouru.html

 またときどきこれらの寮歌を歌いながら、過ぎし多感な若き頃を思い出すことだろう。



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富良野自然塾

2009-12-12 | 環境問題
                【冬そうび 咲けるだろうか】



文藝春秋の新年号で三井住友銀行(SMBC)の広告を見た。そこに「富良野自然塾」を支援している。とあった。
広告文(部分)に
  ・・・・・・・・
   日頃自然を感じることの大切さ。
風や音や光は自然界の信号だ。
   目覚めさせよう、今眠っている私たちの感覚を。
   自然の中で生きていくのだから。
  ・・・・・・・・

 確かにそうだ。人々は忙しすぎるからだろうか、なかなか自然を見つめることが少ないと思う。だから、5感で身近な自然にふれ、そのすばらしさに気づく機会もほとんど無いだろう。
 こんなにすばらしい風や音や光が、いつも身近にある幸せを感じている。

 富良野自然塾を検索してみると、案の定、あの「北の国から」の倉本聰氏が塾長を務める「SMBC環境プログラム NPO法人 C・C・C富良野自然塾」とあった。
この事業では、、閉鎖されたゴルフ場の跡地に苗を育て元の森に回復させる活動と、五感で自然を体感する環境教育を行っている。すばらしい事業だと思った。

環境教育の基本は、五感により自然に触れることだ。体験的な観察から自然への理解、関心が高まり自然保護の思想へつながると思う。
学校教育でも、もっと身近な自然や生き物を題材にして自然への正しい認識が生まれるに違いない。 親しむ → 学ぶ → 守るだ。教職にあったとき、これらを教材化して実践してきた。環境教育に夢中だった頃のことを懐かしく思い出した。



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感謝、感謝

2009-12-11 | 健康
        【寒さの中、木陰で咲き続けるサルビア】


 冷たい風雨の中、傘でよけながら短大の図書館へ向かった。梅雨を思わせる降りだが、木々の葉も落ち、枯れ色の芝生に間近な冬が感じられた。
閲覧する文藝春秋ももう新年号だ。今年もまた暮れるのか。

 掲載記事は、 『がんを詠う 歌人母娘の往復書簡 河野裕子 永田 紅
お母さん、なぜ自らの病を詠い続けるのですか── 』がよかった。
癌を患いその辛い歌人の母の闘病の日々を、同じく歌人の娘さんと往復の書簡を交わす。歌人なれば、それぞれに繊細なこころで辛かった日々を振り返っていた。今なお抗がん剤治療中だが、その都度、夫や娘の愛に支えられて生きたこころを詠っていた。

同じように大病から助けられた我が身に照らして、自分の入院や手術、闘病中のことをいろいろと思い出した。家族に心配をかけたことなどを、今の健康があることを今更のように感謝しながら振り返った。その頃元気だった母にも、あまり病状を知らせないままに、ずいぶん心配させた。
 大病から生還したすぐに闘病記を書いた。いつしか忘却の彼方へ忘れ去られることが辛かったからだ。闘病中の病状や心の動きとともに、いろいろと苦労、心配をかけた妻や子供たちへの感謝の気持ちを残したかったからでもあった。
今それなりに健康を取り戻したものの薬に頼りながら、月一度の病院通いを続けている。そして心身ともに失ったものは多かった。しかし、こうして生かされた現在、失ったもの以上に大切なものに気づかされたと思っている。その一つは一変した人生観だ。
 改まって、健康に感謝、人々に感謝の日々だ。残された老後、これまでいただいたご恩に報いたい。そして、家族に支えられ、穏やかに、楽しく過ごしていきたいと思っている。


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