エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

暮れの墓参り

2008-12-30 | Weblog

久しぶりにお墓参りをした。彼岸やお盆、また近くを通った折りにお参りしているが、暮れには数年は行かなかった。 お城の一角にあるお墓は、暮れの雑踏の街中をよそに雪の中に静まり返っていた。

線香を手向け手を合わせると、十数秒の瞬間に1年間の諸々が去来した。祖父母、父母の顔も浮かんできた。1年間健康で過ごせたお礼をした。いつものように、家内安全とこれからのご加護をお願いした。

お正月前の買い物ついでの娘や孫たちも同行したので、昼は幸楽苑で孫の大好きなラーメンを食べた。買い物廻りはごめんだったので、ひとり帰宅した。

雪も少なく穏やかな晦日のお昼、お参りを済ますことができ、新しい年をこころ穏やかに迎えられると思った。雨がぽつりぽつり落ちはじめたが、予報ではお正月の間は冬将軍が居座るようでしばらくは雪降りとなりそうだ。



ダイアモンドダストの実験

2008-12-27 | 自然観察


新聞の購読料集金のときASAの小冊子「暮らしの風」を戴いた。1月号の特集「冬の水ものがたり」があった。内容は、・雪の結晶を見てみよう ・水の姿は7変化 ・雪と氷の実験室 など、とても興味あることがわかりやすく書かれていた。その記事の監修に「神田健三:中谷宇吉郎 雪の科学館」とあった。いつか見た「ダイヤモンドダスト」の実験が懐かしく思い出された。

 5,6年前に、石川県加賀市にある「中谷宇吉郎 雪の科学館」を見学したことがあった。館長の神田さんは、当時の私の勤務先の同僚の義理の兄さんで、私と同じ出身大学であったこともありご挨拶をした。そのとき館内を案内していただいたことを思い出した。

科学館見学がきっかけで、その後中谷宇吉郎や寺田寅彦の随筆集を揃え、しばらく熱中して読むことになった。
まだ元気なころの春のはじまり、小さな冷凍庫の中でキラキラ輝くダイアモンドダストと共に、初めて訪ねた北陸、石川、福井への小旅行を懐かしく思い出した。

 以下は、そのころ北国新聞の読者欄に掲載された駄文である。
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感銘受けた 雪の科学館 
 先日、加賀市の雪の科学館で、雪の研究で知られる中谷宇吉郎の世界を垣間見た.
 神田館長さんじきじきに冷凍庫の中でダイアモンドダストをつくる実験をして下さった。後から、館長さんが高校時代の恩師の一言から宇吉郎に出会い、特別な思いを寄せながら雪の研究に関わり続け、いろいろな縁で現在に到ったことを知り、その劇的な人生に感動を覚えた。  これまで宇吉郎について学ぶ機会がなかったが、これを機に「中谷宇吉郎随筆集」を求め読み始めた。彼に多大な感化を与えた恩師、寺田寅彦の追憶の文章からは、同時に二人の自然観、科学観を学ぶことができた。「雪は天から送られた手紙である」と言った宇吉郎は、また雪について「何時までも舞い落ちてくる雪を仰いでいると、いつのまにか自分の身体が静かに空に浮き上がっていくような錯覚が起きてくる。」と書いている。まさにそんな体験をした覚えがあるが、私は大好きな雪景色にどれほどこころ癒されたか知れない。 科学館を訪れ中谷宇吉郎博士からさらに大きな感動を貰うことができた。(2003.4)

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 吹雪の止んだ庭に出た。愛用の30倍のルーペで雪の結晶を覗いてみた。溶け始めた結晶は美しく生き物のようだ。
ブルーベリーの紅い葉に雪が生き生きしている。チラチラ舞う雪のむこうに青い空が見えてきた。



会津を愛した早乙女貢さん

2008-12-26 | 文芸
             【磐梯朝霧:早乙女貢 画文集「会津の詩」より】

 今朝の新聞で、作家・早乙女貢氏の逝去を知った。ご本人は言葉に出して健康に自身があると言っておられたくらいで、元気に作家活動を続けておられると思っていたので、突然の訃報に驚いた。
 吉川英治文学賞を受賞した「会津士魂」「続・会津士魂」は全21巻、30年かかったと言い、現在も書いている続編の完成まではあと30年、百歳を超えるまで生きなければならないし、生きる自信があると語っていたそうだ。
 この秋にも、「会津まつり」で例年のように家老・西郷頼母になりきって馬上から颯爽と会津の町を眺めておられたのに。私が先生へ敬意を込めて頭を下げると、軽く会釈を返されたのが目に残っている。
 
 本棚に、早乙女貢 画文集「会津の詩」(新人物往来社刊)がある。発売と同時に求めたものだが、本人はあくまで趣味だと言っているが素晴らしい絵と文章である。

【月明鶴ヶ城:早乙女貢 画文集「会津の詩」より】


【長命寺土塀:早乙女貢 画文集「会津の詩」より】


その巻頭の「わが故郷会津」には、氏の故郷会津への思いを示す一文がある。
「会津に行くたびに、私は安らぎを覚える。 血が呼ぶ、というか、祖先の墳墓の地という思いが、一木一草にも親しみをおぼえ、川の流れにも、親しく懐かしい響きを感じるのだ。・・・・
 曽祖父は会津藩士であり、戊辰戦争で活躍した。その由緒が、私をこの地に導き寄せる。・・・・・明治維新の陰で、もっとも甚大なる被害を受けたのが、会津藩だった。歴史は常に勝利者によって改?される。そこには欺瞞の歴史しかない。明治維新がいい例だ。会津藩士の士道と頑なまでに正義を信じる武士の心は、非道な手段で政権の座を得た薩長土の連中にとって、憎くてならなかったろう。彼らは、おのれらの野望による悪事を隠蔽するために、会津藩を”逆賊”とし、”朝敵”として叩き潰さねば、枕を高くして眠れなかったのだ。・・・・・・」


会津藩への思慕の強い作家として有名であり、『會津士魂』に代表される幕末作品・考察における視点は一貫して会津・新撰組など幕府側に立っている。
歴史を敗者の側から書いてくれた早乙女さんの文章は、私にとってもこころ強い支えとなるものがあった。会津にとって大切な方を失ったと思う。ご冥福をお祈りします。

福満虚空蔵尊に詣る

2008-12-25 | 日々の生活


 昨日は、従兄弟たち宅へお歳暮廻りをした。すでに伯父、伯母もなく自分たちも歳を取り、代替わりした。線香を手向け、日頃の御無沙汰を侘び、来る年の幸せをお願いした。

 秋彼岸以来の柳津は雪もなく、昼下がりの西日が眩しい縁側には、温かいのだろうサクラソウが花芽を伸ばしていた。日頃私の健康を気遣ってくれる気持ちが有難い。冬至のころ、暗くなる前にとお暇し、虚空蔵尊に詣った。柳津に来たときは、帰りに虚空蔵尊、月見ヶ丘の温泉がお決まりのコースだ。

 人ひとりいない静まりかえった円蔵寺の境内を巡った。境内の灯籠は一つひとつ雪囲いがされていた。
撫で牛を撫でた。開運や病気治癒に霊験ありだ。大事なお腹、足や頭が健康でありますようにとお願いしながら撫でた。虚空蔵尊は丑虎の守り本尊、会津の「赤べこ」の由来ともなっている牛に馴染みが深い寺だ。境内には代毎に3つの撫牛が鎮座していた。
円蔵寺の御本尊は福満虚空蔵尊、御本尊福満虚空蔵尊は弘法大師の御作といわれ、凡そ1800年前、法相宗徳一大師によって開創されたと伝えられる。現在の建物は、火災後、江戸時代は文政年間に再建されたもの。
 本堂菊光堂裏の舞台から蕩々と流れる只見川を眺めた。眼下に夕闇せまる湖畔の灯りがチラチラ見えた。

 柳津温泉の泉質は塩化物泉,うっすら白く、塩味がする。なかなか湯冷めをしないのが特徴の最高の泉質だ。月見ヶ丘でゆっくり温泉に浸かり帰路についた。


 【本堂菊光堂】

 
 【古い撫で牛】
                         

門松を飾る

2008-12-22 | 日々の生活

 娘がミニ門松を一揃い、製造元から戴いてきた。日も良いので、早速、玄関前の風防室の温室に並べた。創業400年になる日新町の竹問屋 平出吉平商店のものだ。
 サイズは小さいが伝統的な門松、斜めにそいだ長さの違う3本立ての竹、その回りに松と梅があしらってある。根元はムシロで巻いて縄で縛ってある。外から見て左が雄松、右が雌松となる。
 正月飾りは、いつもは玄関にしめ縄を飾り、床の間に鏡餅を飾っているが、今年は門松が新しい年の神さまをお招きしてくれるだろう。何とかいい年にしたいものだ。

思い立って、神棚を掃除した。年1度の大掃除、いくつものだるまのほこりを払った。古いのは昭和50年代、新築の我が家に置いた神棚の脇に並んでいる。一つ一つ、裏書きされたその年の出来事を思い浮かべた。
 燈明を灯し、サカキ替わりのマサキを供えた。すがすがしい気持ちで1年間のお礼をし、新しい年の家内安全を祈った。また、一つ歳を重ねる。



悔いを残しつつも幸せな1年

2008-12-21 | 日々の生活
            【雪の積もる前に】



今日は冬至、冬至カボチャをいただき、ゆず湯に浸かった。湯船に浸かり、忘年会の温泉宿で風呂に浸かった気分になった。そう言えば、押し詰まった暮れの風呂では、いつもその年をふり返っていた。

今年も、無為に生きた悔いは消えず、さらに、相変わらず家族に迷惑をかけた1年を悔いている。いつも己を非難する慟哭が頭の中から聞こえてくる。
しかし、何はともあれ、私自身の健康を取り戻せた素晴らしい1年だった。また、長男に第1子を授かったこと、そして孫たちがたくましく成長したことが何より嬉しい。

 例年の今頃は何をしていただろう。ブログやスケジュールソフトでチェックしてみた。
 昨年4度目の入院が11月、約1ヶ月の本格的治療で暮れにようやく退院、その後外来でカテーテルが抜けた。一段落して新しい年を迎えようとしていた。
 思えば5年前の突然の大病、なんとか生かされるも、その後の体調はあまり思わしくなかった。入退院も10回を数え、日々が体調を気にしながらの生活だった。でも、今年1年は発熱も少なく、健康な日々を過ごすことが出来た。昨年末には、こんなに回復しようとは夢にも思っていなかった。

 つぎに、毎日大変な二人の孫たちの世話だが、幸せを実感している。
 午前8時、バス通園の孫を送り、ひととき妻と二人だけの静けさがおとずれる。午後2時には楽しみに迎えに出る。こんな規則正しい繰り返しの1年であった。幼稚園も今日から長い冬休みだ。また1日中賑やかな生活が始まった。賑やかで、ゆっくり身体を休める暇もないが、あらためてそれが幸せだと思っている。二人ともおばあちゃん子、つきっきりの世話で妻の疲労は大変なものだ。思えば我が家も核家族、親と離れていたし、私は仕事に夢中で3人子どもは妻一人で育てたような気がしている。少しでも妻を助け、せいぜい元気で孫たちの面倒を見てやりたいと思っている。

 年のあらたまる区切りに、幾度悔いを反省しながら新しい年を迎えたことか。
 今年もいくつもの悔いつつ、新しい年の生き方に活かしたいと考えている。



きけ わだつみのこえ  -文藝春秋「名著講義」-

2008-12-18 | 文芸
【布絵磐梯 かえる日もなきいにしえ】

文藝春秋の10月号から始まった新連載、藤原正彦の「名著講義」を楽しみにしている。
大学1年生を対象として開催しているた読書ゼミネール、毎週1冊の本を通して、学生との授業のエッセンスだ。
1回目は・新渡戸稲造「武士道」、2回目は・内村鑑三、3回目は・福沢諭吉「学問のすすめ」だった。
 それぞれかつて読んだ本だったが、新しく教えられることも多く、あらためていろいろ考えさせられている。

 連載の「名著講義」4回目の今回は、「新版 きけ わだつみのこえ」だった。
いまさらながら、戦争の愚かさ、死んでいった兵士の、親を、家族を思う気持ちに込み上げるものがある。戦後63年、風化しがちな戦争の悲惨さを忘れず、今、当たり前に生きている平和であることの幸せを再認識しなければならない。

この本は、多くの若者に読んで欲しいと思う。あらためて平和の意義を考える一つのよすがとなるだろう。
 「きけ わだつみのこえ」にみる多くの遺書から、自分を含めてその後の若者が当時の学生と比べ、如何に人間的に軟弱であることかと痛感している。

次回の「名著講義」が楽しみだが、渡辺京二著「逝きし世の面影」の予定、出来れば図書館で借りて読んで見たいと思っている。

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母へ最後の手紙 林市造(京大学生。昭和20年4月12日沖縄にて戦死。23歳)
『お母さん、とうとう悲しい便りを出さねばならないときが来ました。
 親思う心にまさる親心今日のおとずれなんときくらん、この歌がしみじみと思われます。
 ほんとに私は幸福だったです。わがままばかりとおしましたね。
 けれども、あれも私の甘え心だと思って許してくださいね。
 晴れて特攻隊員と選ばれて出陣するのは嬉しいですが、お母さんのことを思うと泣けてきます。
 母チャンが私をたのみと必死でそだててくれたことを思うと、何も喜ばせることができずに、安心させることもできずに死んでいくのがつらいです。
 私は至らぬものですが、私を母チャンに諦めてくれ、と言うことは、立派に死んだと喜んでください、と言うことは、とてもできません。けどあまりこんなことは言いますまい。
 母チャンは私の気持をよく知っておられるのですから。』
【「きけわだつみのこえ 日本戦歿学生の手記」(青年学生平和の会 発行:1949より)】

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(参)ネット:昭和毎日ニュースより
きけわだつみのこえ」刊行 1949年10月20日
1947年12月、東大の学生たちによって東大出身の戦没学生の遺稿集「はるかなる山河に」が出版された。この遺稿集が反響を呼び、全国から寄せられた戦没学生の遺稿75点からなる「きけわだつみのこえ」が刊行され、20数万部のベストセラーとなった。前途ある若者たちが戦争に疑問を抱きながらも押しつぶされ、迫りくる死をどう受け入れたか。本心をついに言えず死んでいった彼らの姿が読者の胸を打ち、戦後の平和運動に大きな影響を与えた。


清(すが)しい シクラメン

2008-12-17 | 日々の生活
          【シクラメンと愛犬ラック】

 玄関前の風防室に取り込んだシクラメンに、沢山のつぼみが見えてきた。

 何年も細々花を咲かせてくれるシクラメンだが、春まで、外がまだ雪の間咲いてくれる。
毎年、花が終わった株を庭の決まった日陰に移し夏を過ごしている。徐々に増えてきた株を秋に大きな鉢に上げている。

 部屋では今、大きなきれいなシクラメンが見事に咲いている。これは11月半ば、息子が持ってきてくれた大きな株のシクラメン2鉢だ。職場に売りに来た、岩瀬農業高校の生徒が育てたシクラメンを購入したものだ。一緒に岩農産の野菜も沢山もらった。
 昼間は射し込む陽に少しの時間でも当ててやっている。

布施明のヒット曲(小椋佳の作詞・作曲)「シクラメンのかほり」が思い浮かぶ。
子育て真っ最中の、少し遅れた青春のころ、冬の陽に咲いていたすがすがしいピンクのシクラメンが昨日のように思い浮かんできた。



 「真綿色した シクラメンほど
  清(スガ)しいものはない
  出逢いの時の 君のようです
  ためらいがちに かけた言葉に
  驚いたように ふりむく君に
  季節が頬をそめて 過ぎて行きました」


 見事に可憐に咲き誇るこのシクラメンを、来年も見事に咲かせたいと思っている。

カラスのねぐら

2008-12-16 | 自然観察

今日も気温の低い冬晴れの1日だった。夕方、ほのかに紅い空に、冷え冷えと聳える磐梯山を眺めていた。
  【磐梯夕景】

 目を西に移すと、暮れなずむ空にカラスの大群だ。
 2階の窓からは、北東に磐梯山、その手前に松長の低い丘陵が広がっている。北西には飯豊の山並みが見え、北の手の届く距離に大塚山が見える。いつころからか、夕方になると、ねぐらになっているのだろう、おそらく数千羽のカラスが大塚山に集まってくるのだ。 カラスは、我が家ではサクランボをつつきに来るくらいだが、街中のゴミをあさって散乱させるいたずら者だ。たぶん農作物への影響も沢山あるのだろう。
何年か前に駅前や中央通りに野生化したインコの大群が集まり、糞公害が問題になったことがあった。たしか、季節は夏だったと記憶しているが、最近はどうなのだろう。
 それに引き替え、猪苗代湖のハクチョウの大群などはとてもきれいで愛おしい。はるかに麗しの磐梯を望む湖はハクチョウが浮かび、ひときわ美しい眺めとなる。
 嫌われ者のカラスは気の毒だが、冬空に生きる糧を探し懸命に生きる鳥たちに幸あれと思う。


「まぼろしの邪馬台国」

2008-12-14 | 文芸
         【ネットより】


本棚にずっと眠っていた「まぼろしの邪馬台国」を引っ張り出して再読しはじめた。古びた昔のベストセラーは昭和42年第1刷とあるから、私の大学生活真っ只中だった。当時、その本の出版で邪馬台国ブームが起こった。

 昨日、最近封切りの映画「まぼろしの邪馬台国」を観てきた。主演は宮崎康平の妻、和子役の吉永小百合と宮崎康平役を演じた竹中直人だ。
 映画のネット解説によると、「悲運や貧苦を乗り越え、「邪馬台国」に情熱を捧げた夫婦を描いた感動作」とあった。なるほど、著書「まぼろしの邪馬台国」の、邪馬台国が島原にあたっと主張する学説的な内容だけではなく、そこに至るまでの、盲目の康平の目となり杖となった、妻との半生を描いた夫婦愛の物語であった。
 
 40年も放って置いた本を辿った。かつて文章の所々に引いた鉛筆の傍線が、あらためて心を打った。そして、かすかに記憶の引き出しに埋もれていた思いが浮かんできた。
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著書の「まえがき」には、恩師津田先生への思いから邪馬台国を自らの手で探し出そうとした決意が書かれ、妻と共に手探りで生き抜いてきた生活記録であると書かれている。 傍線個所のいくつかをしみじみ読んだ。
 ・「そうだ、失明は古代史のナゾを解くために天が私に与えた試練ではなかったのか。と、こう考えたとき、「邪馬台国」の四字は、ふたたび太陽のように暗黒の私の胸に輝きはじめた。」
 ・「戦死者や傷ついたより多くの人々の不幸を知るに及んで、不幸が自分だけではないことを知るようになった。」
・「暗い眼底に去来する白い雲の流れと、青く広がる有明海から天草灘の潮騒が、私を、ゆえ知らず仕事へかりたてるのである。」
・「目あきは不必要なものを見すぎる」「楽しかった病床生活」など、彼の、眼が見えないことからかえって本質的なことに気づき、病床にある苦しみも幸せに転化していく強靱なこころに気づかされる。また、それ以上に康平を支えた妻の強さ、立派さがこの上なくすばらしい。
 また、傍線の一つ、白秋詩碑の前で、詩の一節に涙した康平の気持ちを思った。
・「背後で妻が碑面の朗読をはじめた。
    山門は我が産土 
    雲騰がる南風のまほら
    飛ばまし今一度
    ・・・・・・
    盲(し)ふるに早やもこの眼
    見ざらむまた葦かび
    籠飼や水かげろふ─

  「盲ふるに早やもこの眼」と言う言葉が棘のようにグサリと喉につきささる。 こらえようとしたがわれ知らず熱いものがこみ上げてきて、不覚にも涙が出た。」
・「この地図には私の苦しかった半生と貧しい人生のすべてが秘められていた。指 先は、生きることを教え、触れてゆく凹凸の海や島は、限りない故郷の郷愁を誘 いゆくりなく病床に舞いこんできた木の葉に、たけてゆく季節を知るのだった。」
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「まぼろしの邪馬台国」の執筆は、康平の口述を和子が書き留めていく共同作業だった。共著と言っていいであろう作品は、第1回吉川英治文化賞を受賞した。1980年にその後の更なる研究内容が加筆された決定版が出版された。いずれも絶版だったが、映画化もあったのか、この8月に講談社より新装版が発売されているという。

 再読し終わった「まぼろしの邪馬台国」を「今日の風、なに色?」(辻井いつ子:アスキー)「盲目の科学者」(ヒーラット・グチャーメイ:講談社)の隣に戻した。
 これらの本にどんなにか力付けられたことか。


日記@BlogRanking

カネノナルキ

2008-12-13 | 自然観察


 
早々と縁側に取り込んだカネノナルキのつぼみがほころび始めた。
昔、芽の小さいうちに5円玉を茎に通したりした。「金のなる木」はそこから来ているのだろうか。図鑑では別名をカゲツ(花月)、学名はCrassula ovataといい、南アフリカ原産のベンケイソウ科の多肉植物だ。落ちた葉から根を出し、成長も早い。

 しばらく花を付けなかったが、陽当たりだろうと思い、昨年は1日中陽のあたる娘の家の庭にずっと置いてもらった。お陰で立派なつぼみが沢山付いて、薄ピンクの花が咲き始めた。
花は丁度センブリのような形で、5弁の花びらは徐々に反り返るように開き、雄しべの葯だろうか、紫色をしてきれいだ。ジャスミンのようなつぼみが少しずつ開き、しばらくの間、楽しませてくれそうだ。


化石に触れる

2008-12-12 | 教育を考える
                【小学生のころ集めた化石】
 

昨日、大阪の小学生が白亜紀前期の地層から、新種のエビの化石を発見したというニュースに触れた。また、夏には兵庫の丹波で、地元の小学生が肉食恐竜の歯を発見した事もあった。

 小学生のころ、自分の手で採取した化石を物置から見つけてきた。もう半世紀も前、私も化石に夢中になった一時期があった。そのころのこの宝物を、孫たちに触れさせたかった。
 この宝物はしばらくは親元に大切にしまってあったが、何度かの引っ越しや、離れていたこともありほとんどが何処かへ消えてしまった。手元に残っている黒っぽい泥岩に木の葉や二枚貝がくっきり見える。たぶん中世代三畳紀のころのものであろう。

 小学3,4年生のころ、担任のA先生が出身地の町に化石の採集に連れて行ってくれた。あれから50年ほどになるが、小さな手で熱中してハンマーでタガネを打っていた自分の姿が浮かんできた。また、今はなくしてしまった魚のウロコやウニの化石も鮮明に思い出された。この小学校のころの化石採集は幼い心に強く残り、実に貴重な体験となった。

 6才になった武琉君は、もう恐竜の化石を例に、その意義を十分認識しているようだ。今年は春に新潟の県立自然科学館、夏には「いわき市石炭・化石館」へ、そしてお盆には信州に帰省の折り糸魚川の「フォッサマグナミュージアム」へと、沢山の化石を見る機会があった。その都度、武琉君は目を輝かせて興味を示めした。
 まだまだ幼い世界、武琉君は、DSの恐竜キングで、見つけた化石をクリーニングしたりしている。いま幼子がこの化石を眼で見て、手で触れた体験が、やがて必ずや科学するこころの一端に育つことと思っている。



美しいもの はかない命

2008-12-08 | 日々の生活
              【青空に映える新雪 桐の枝】
 
今朝はこの冬一番の冷え込み、すべての緑の葉に霜が降りていた。
昨日は新雪の朝を迎えた。夜のうちに降った新雪が青空に映えこの上ない美しい世界だった。
 すでに葉を落とし枝先の桐の実が、美しい雪に縁取られ大空に伸びて素晴らしい。朝日に輝き、桐の枝から音もなく雪の粉が落ちる。
 紅いサザンカのつぼみに数センチ積もった新雪も、朝日に瞬く間に融けた。
 美しいもののいのちははかない、つかの間のいのちだった。
 背に朝日の温もりを感じながら、「北国の春」を思わせる錯覚を覚える朝だった。


  【散り残るモミジ】

心を静かに見つめる

2008-12-06 | 日々の生活
【サザンカ】

 今日は気温は低かったが、珍しく風もなく穏やかな日となった。
 なかなか消えなかった濃い霧も、昼を前にようやく晴れたてきた。久しぶりに、歩いて数分の大学の図書館へお邪魔した。
 新聞の訃報欄に、昔お世話になった先輩の名を見つけた。Y先生は年齢からして、退職されて30年、私はあの頃30才くらい、若い私に優しく指導して下さった。
 こうして先輩方が亡くなっていく。世の習いとはいえ、やはり寂しい。ご活躍のころのお姿やそのころのことが浮かんできた。

 1年をふり返る時期を迎えたが、なぜか我が半生を振り返えりたい心境である。
 生死をさまよい、生かされて5年が経つ。あらためて健康に気をつけて生活しなければと肝に銘じている。無理に長生きしたいとは思わないが、残された歳月を、良寛のように、すべて天真に任せたいと思っている。
 
 最近、妻に怒りやすくなったと言われる。大病後には、輸血で血がほとんど入れ替わったせいだなどと。たしかに自分でも、ときどき細かいことにイライラしたりすると思っている。もっといろいろに頓着せず、静かに傍観していればいいのだが。ストレスが良くない、「イツモシズカニワラッテイル」で良いではないか。

 とは言っても、何もぜず、ただ無為に1日1日が暮れていくようにも感じている。ゲーテは「生きることは悩み」と言った。悩みながらも、かつては「すべては無」「色即是空」、今は「求めない」と、一つの境地に心を導き安心しようとしている。ともかく、生きていること、当たり前に生活出来る「今を大切に」したいと思う。
 長寿の人には若いころ大病した人が多いと聞いた。数年と思われた余生が、すこし長く生きられそうな気がしているが、少しでも豊かな余生でありたいものだ。長ければ良いではない。健康年齢が大切。

図書館の静けさの中で数冊の本を手に取りながら、心を静かに見つめることとなった。 (2008.12.4)


感動の幼稚園発表会

2008-12-05 | 教育を考える

  幼稚園の一大イベント、フェスティバルがあった。娘が抽選で爺、婆の席を取ってくれた。半日、園児たちや孫のかわいい成長を見ることができた。
 
 年少組の出し物は、劇遊び「おおきなさつまいも」。萌香ちゃんはかわいい黄色いお揃いの衣装で「猫ちゃん」に扮し、歌い躍り、みんなで力を合わせて大きなお芋をぬいた。

 年長組の武琉君は、オペレッタ「ぬまのほうせき」と「白虎隊」剣舞を立派に踊った。武琉君の舞う、凛々しい白虎隊の姿には目頭が熱くなった。声を出して泣きたいくらいだった。こんなに素直に良い子に育つ孫たちの成長が嬉しかった。これから郷土・会津を背負って生きていく孫たち、そのけなげさや精一杯演技する姿などが複雑に絡み合い、涙が流れた。剣舞は年長3クラスから抽選で選ばれた12人、さぞかしずいぶん練習をしたのだろう、整然と、誰一人乱れることなく真剣に舞った。その姿に久々の感動を覚えた。隣の妻も同じ気持ちで見ていたのだろう。暗がりで頬に手をやる気配が見えた。続いて、女の子の「おんな白虎隊」の剣舞があった。



 霧島昇の「白虎隊」はもちろん素晴らしいが、斎藤京子の歌う「おんな白虎隊」はまた良い。流れる歌詞は実に切なく、悲しい複雑な気持ちが込み上げてきた。
くちびる噛んで眉上げて 花の乙女の白襷・・・
風生臭き城下口  そよぐ秋草何思う・・・
つきぬ思いを誰か知る・・・会津の山河 陽は悲し


プログラムの最後は「みんなで歌おう」、年少から、年中、年長組みの全園児による合唱だ。園児は何人いるのだろうか。それぞれに演じた衣装のまま、手話を交ぜ、動作を入れての合唱は壮観だった。

「私からあなたへ
 この歌をとどけよう
 広い世界にたった一人の 私の好きなあなたへ 」

 家でもときどき二人で手話を交えて披露してくれていた。ときどき聴いていた歌だったが、題名が「切手のない贈り物」であることを初めて知った。あらためて歌詞を見て、またじーんと来てしまった。

 

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切手のない贈り物』  作詞・作曲 財津和夫

私からあなたへ
この歌をとどけよう
広い世界にたった一人の 私の好きなあなたへ

年老いたあなたへ
この歌をとどけよう
心優しく育ててくれた お礼代わりにこの歌を

夢のないあなたへ
この歌をとどけよう
愛することの喜びを知る 魔法じかけのこの歌を

知り合えたあなたへ
この歌をとどけよう
今後よろしくおねがいします 名刺がわりにこの歌を

別れゆくあなたへ
この歌をとどけよう
淋しい時に歌ってほしい 遠い空からこの歌を


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白虎隊」 (作詞 嶋田 磬也  作曲 古賀 政男  唄 霧島 昇)

戦雲暗く 陽は落ちて 
孤城(こじょう)に月の 影かなし 
誰(た)が吹く笛か 知らねども
今宵名残りの 白虎隊

紅顔可憐(こうがんかれん)の 少年が
死をもて護る この砦 
滝沢村の 血の雨に 
濡らす白刃の 白虎隊

《詩吟》
南鶴ケ城を望めば砲煙あがる 
痛哭涙をのんで且彷徨す 
宗社亡びぬ我が事おわる 
十有九士腹を屠って斃る

飯盛山の 頂きに 
秋吹く風は 寒けれど 
忠烈今も 香に残す 
花も会津の 白虎隊

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