今朝の「毎日新聞(2007.21.6)」に、連載の【ネット君臨】の記事で「携帯なしで生きられますか・・・」を興味深く読んだ。
携帯を使わないで5日間実験をした。その実験での感想には、・必要なことを検索できなかった。・連絡が取れなかった と言った不便さもあったが、・時間にゆとりが持てた。・時間を有効に使える。・辺りが静かだった。・辺りに目を向ける機会や会話が増えた。 などの生活の変化もあった。また、一応に・電源を入れた時は安心した。であった。
もはや必需品になっている携帯にも、いろいろ問題があると考えさせられた。また、自分では携帯は使わないが、端から見ていて ・いかに依存しているか。・いかに時間を無駄にしているか。 と言う印象が残った。
同じ紙面に世論調査特集「ネット社会」の記事があり、作家・柳田邦男が『「負の側面」見る重要性』を書いていた。
そこでは、まずPCやネットについては、○急速な普及でアセスメントがなされなかった点 ○PCには自己中心的全能感の錯覚、バーチャルと現実の混同、生身の人間接触の希薄化、その社会に入らない時の疎外感、見ないでいられない依存感などをもたらす魔力がある。社会は、それらと毅然と距離を保てる知性豊かな人だけで構成されてはいない点 ○子どもの人格形成への影響 などが挙げられ、問題点がいずれもこころの形成、こころの持ち方をゆがめる影響にあり、公害などをもたらした21世紀型技術と異質だと述べてあった。
PCはメールのチェックとネットで新聞各紙の社説、コラムを読むのが日課だが、ブログを始めてからは、やはり結構長い時間使っていると思った。でも、何か本を読んだり、考えたりする時間が少なくなるようなので、日頃はなるべくは使わないように心がけてはいた。
テレビも同じだ。各家庭での視聴時間はどうだろうか。子どもへの影響を心配していた。まず時間の無駄だろう。また番組の内容も問題だと思う。
あえて、テレビを見ないようにしていると同じようなことに気づく。まず、惰性で見る、受け身人間になりものを考えることが少なくなる点。ときどき、見終わって何が残ったのかと振り返ることがある。心に残り、いろいろ考えさせられることもあるが、多くの場合、それは刹那的なある意味その時だけの花火のようなものである。テレビとはそういうものだとは割り切れないでいる。
時間がどんどんと流れていく。そんな中で、どんな風に時間を過ごすかが、これからの国民の命題だと思っている。余計なお世話かも知れないが、限りある時間をどうしても考えてしまうのである。
携帯を使わないで5日間実験をした。その実験での感想には、・必要なことを検索できなかった。・連絡が取れなかった と言った不便さもあったが、・時間にゆとりが持てた。・時間を有効に使える。・辺りが静かだった。・辺りに目を向ける機会や会話が増えた。 などの生活の変化もあった。また、一応に・電源を入れた時は安心した。であった。
もはや必需品になっている携帯にも、いろいろ問題があると考えさせられた。また、自分では携帯は使わないが、端から見ていて ・いかに依存しているか。・いかに時間を無駄にしているか。 と言う印象が残った。
同じ紙面に世論調査特集「ネット社会」の記事があり、作家・柳田邦男が『「負の側面」見る重要性』を書いていた。
そこでは、まずPCやネットについては、○急速な普及でアセスメントがなされなかった点 ○PCには自己中心的全能感の錯覚、バーチャルと現実の混同、生身の人間接触の希薄化、その社会に入らない時の疎外感、見ないでいられない依存感などをもたらす魔力がある。社会は、それらと毅然と距離を保てる知性豊かな人だけで構成されてはいない点 ○子どもの人格形成への影響 などが挙げられ、問題点がいずれもこころの形成、こころの持ち方をゆがめる影響にあり、公害などをもたらした21世紀型技術と異質だと述べてあった。
PCはメールのチェックとネットで新聞各紙の社説、コラムを読むのが日課だが、ブログを始めてからは、やはり結構長い時間使っていると思った。でも、何か本を読んだり、考えたりする時間が少なくなるようなので、日頃はなるべくは使わないように心がけてはいた。
テレビも同じだ。各家庭での視聴時間はどうだろうか。子どもへの影響を心配していた。まず時間の無駄だろう。また番組の内容も問題だと思う。
あえて、テレビを見ないようにしていると同じようなことに気づく。まず、惰性で見る、受け身人間になりものを考えることが少なくなる点。ときどき、見終わって何が残ったのかと振り返ることがある。心に残り、いろいろ考えさせられることもあるが、多くの場合、それは刹那的なある意味その時だけの花火のようなものである。テレビとはそういうものだとは割り切れないでいる。
時間がどんどんと流れていく。そんな中で、どんな風に時間を過ごすかが、これからの国民の命題だと思っている。余計なお世話かも知れないが、限りある時間をどうしても考えてしまうのである。