エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

年越し 初詣

2007-01-01 | 日々の生活
   《湯川村からの磐梯 元旦》


 大晦日、いつものようにTVで紅白を見ながらの年取りだ。恒例のすき焼き、静かに子どもや孫たちの成長を見つめながら1年の健康を感謝する。いつも飲み過ぎて紅白も終りまで見ることはまれったが、最近は、体調を心配しながら飲むので、目が冴えたまま、新しい年を迎えていた。
紅白も様変わり、年を取ったものだ。歌手の名もほとんど分からなくなった。やかましい歌は見る気にならず、隣の書斎で机に向かった。嘘のような静寂が訪れ、喧噪の世の中を、遠くから傍観するような感じだった。

 いつの年も、お祭り騒ぎの紅白の後の番組「行く年来る年」の静寂はいい。日本各地の除夜の鐘を聞くのが常だ。今年の初めは、会津喜多方の願成寺からの中継だった。雪の中の、落ち着いた会津大仏が全国中継された。他に、京都知恩院や北海道江差、柴又帝釈天などから、1年の無事を感謝し新しい年の幸せを祈る人々の様子が映し出された。

 年が明けて、年越し蕎麦をいただく。そして、守り本尊、町内のお八幡様へ詣でた。いつもは酔いつぶれ、子どもたち3人で行っているが、久しぶりに一緒に出かけた。
 近在の人々が、雪の参道、階段を上りお参りしていた。賽銭を上げ、1年の健康、幸せを祈った。

明けて元旦。今朝もいつもと何ら変わらず、犬と散歩に出る。こんな日が1年に何度あるだろうか。穏やかだった。雪の田畑がキラキラと朝日が輝いていた。


 今朝はお屠蘇は止めた。初詣は、今年の恵方(北北西)に当たる勝常寺へ行くことにした。湯川村の雪は、若松よりずっと少なく驚いた。夜中のにぎわいを想像しながら、静まりかえった雪の境内にお参りした。

 勝常寺の創建は807年に、名僧・徳一上人によって開山された。創建当時は七堂伽藍を備え隆盛時には12の坊舎と百余の末寺をもつ大寺院であったという。
 薬師堂は、会津中央薬師堂と呼ばれ、1398年の再建で和様、唐様式の手法を加えた堂。



 

 本堂の脇には「土井晩翠ウォーナー碑」を見つけた。これまで気づかなかった碑だ。
 その表は、土井晩翠の詩が彫られてあった。
         一千余年閲(けみ)したる
         仏像の数十三を
         伝へ来りし勝常寺
         尊き国の宝なり
         秋のけしきの深みゆく
         会津郊外勝常寺
         仏縁ありて詣できて
         十三像を拝みぬ
裏は記念碑で、太平洋戦争中、米軍の爆撃から勝常寺を守ったウォーナー博士について知ることができた。
『ラングドン・ウォーナー博士は一九〇三年ハーバード大学卒21歳の頃東京美術学校に留学中に同校教授にして勝常寺中尊寺国宝指定並修理委員六角紫水氏の愛弟子で太平洋戦争中は米軍の遺跡保護委員であった
 このウ博士のためその六角氏が横山大観画伯と終戦の翌一九四六年七月十日東京築地の旅舎川村で開いた歓迎宴の席上先にウ博士らの提言により三古都が爆撃から救済された話に及ぶと三人は鼎座して互いに手を握りあいしばし感激の涙にくれた
 この時またウ博士は六角恩師に対し爆撃しない遺跡のリストの中に東北では昔先生からよく教えられた勝常寺のある会津と中尊寺地方を入れておきましたと報告した
 我らは今は亡きウ博士の遺徳を永く偲ぶためここにこの碑を建てる
                 一九八一年夏 早川喜代次 撰並書 』

《いつか描いた薬師堂のスケッチ》


 2007年が、健康で穏やかな日々であることを祈る。