エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

真冬の牡丹雪

2009-01-31 | 自然観察

朝方の雨が雪に変わりしんしんと降った。
 土が見え始めた庭に、見る間に真っ白に降り積もった。今日の雪は気温が高いせいか、5,6センチもある巨大な雪だった。
 ネットの辞典で「ぼたんゆき」は【雪の結晶が多数付着し合い、大きな雪片となって降る雪。ボタンの花びらのように降るからとも、ぼたぼたした雪の意からともいう。綿雪。ぼた雪。】とあった。
雪の結晶がいくつも集まった綿のようなきれいな雪が掌で溶けた。しんしんと降る、このふわふわした雪の結晶のかたまりをなに雪と呼べばいいだろうか。
 太宰治の「津軽」の冒頭には、『津軽の雪  こな雪 つぶ雪 わた雪 みづ雪 かた雪 ざらめ雪 こほり雪 』とある。この呼び名からすると、今日の雪は「わた雪」だろうか。あまりにきれいな雪のかたまりや幻想的な降りを見つめながら、もっとふさわしい呼び方がないかと思った。
牡丹雪は春の季語らしい。暦の立春も近いが、粉雪の降る厳しい寒さが行ってしまう事が寂しい気もする。もう少しの間、雪の季節を楽しみたいと思っている。

【無限に降り落ちるぼたん雪】

見事な霜柱

2009-01-29 | 自然観察

今朝は霧がかかり、朝方は太陽が眩しくなく、満月のようにくっきり見えた。
今朝も寒かった。雪が消え始めいくらか春めいたいつも散歩道、緑の葉にきれいに霜がおりていた。折角の厳しい寒さならではの素晴らしい自然の贈り物だ。
ときどき、雪の結晶や車のガラスの氷の結晶などを観察しているが、せいぜい勉強してみたい。

数日前、庭に背丈が7cmもあるすごい霜柱を見つけた。霜柱の透明な針状結晶はとてもきれいだった。今までは雪があったため気づかずにいたのか。孫を呼んでしばらく観察し、霜柱についていろいろ説明した。霜は空気中の水蒸気が昇華し、物体の表面に針状の氷の結晶として伸びることはわかるが、霜柱についてメカニズムはいまいち・・・。
 あとから「霜柱」をネットで調べた。
 【地上の気温が0℃以下になると、地表面の水分が凍り、暖かい土の中で地中の水分が毛細管現象を起こし、次々と地表面に引き寄せらる。引き寄せられた氷は、次々と表面の氷を押し上げ霜柱が作られる】

本棚から中谷宇吉郎の随筆集を取り、「「霜柱の研究」について」を読んだ。
 これは、自由学園の生徒の「霜柱の研究」報告を読んでの感想で、この研究の素晴らしさを評価し、こうした研究が出来る条件と直観的な推理の重要性を上げていた。また、その研究は、霜柱の成長する最適条件として、土中の水分が多いこと、気温が低いこと、地中の温度が出来るだけ高いことを仮説として進められ、土の表面の性質によって決まることなどが書かれてあった。

ともかく、庭の見事な霜柱が、諸々の条件が揃って成長したことが素晴らしいと思い、同時にこれを観察出来ることが嬉しかった。
 


日記@BlogRanking


癒しの磐梯 春の気配

2009-01-28 | スケッチ
 
 気温は低いが、どことなく春の気配が感じられる日だ。久々にくっきり磐梯山が見えたので、買い物のついでに眺望を求めて、河東まで車を走らせた。
国道49沿いの小さな橋からしばしすがすがしい風景を眺めた。
盆地の丘陵に慈母観音様が見える。
 やわらかな土手に、小川の水面が輝きながら流れ、雑木の林のむこうに真白な磐梯の裾野が広々と広がっていた。四季折々に仰ぎ見る秀峰は心の癒しだ。


 
 流れる川には「大工川」の表示があった。川の名前の由来は?と考えた。
 ときどき歴史研究家・石田明夫氏のHP『考古学から見た「会津の歴史」』を覗いている。最近は、NHK大河ドラマ「天地人」の直江兼続関連の情報がたくさん書かれているが、興味ある郷土の歴史が鳥瞰出来る。
 身近な地名に興味がある。そのHPの「会津の地名の由来」の「木流(きながし)」には、《木流の馬頭観音堂か平塚の薬師堂を建てる時に、河東町藤倉の二階堂の余った材木を大工が流して運び、建てられたことから木流と呼ばれています。材木を流した川は「大工川」と呼ばれ、平塚の南を流れています。》とあった。昔ののんびりした豊かな生活の一端を想像した。
(2009.1.26)
 


 


偶然手にした 中村久子著「こころの手足」

2009-01-27 | 文芸
           【ケラー女史に贈った最初の人形とともに  ネットより】

 偶然に書店で手にした 中村久子著の「こころの手足」を読んだ。
 これまで62年間、中村久子女史の存在を知らなかった。もっと早くに知っていたなら、我が人生観に多大なる影響を及ぼしたに違いない。
両手両足の切断という重い障害を抱え、ひたむきに読書、裁縫、書道等に打ち込み、少しずつ自立していく。辛かった少女時代、厳しく優しく育てた両親、父や母の死、夫との別れ、弟や祖母の死と、波乱の人生にこれでもかこれでもかと次々に起こる不幸、また周囲の悪い人たち・・・ 時代的にも大変な辛い人生だが、それらが自分への試練だと言う。「天は何処まで試練を与えた給うか。」と書くように、かつてこれほど切ない人生を知らない。読み進み涙は止まらなかった。この苦闘の人生をみつめ、強く生き抜いた、強靱なこころに感動した。
 糾える縄のごとしと言うが、こんなにひどい神の仕打ちがあろうかと思いながら、後半生は、それまでの不幸せの数だけの幸せであったと思いたい。
 レンケラー女史と出遇い、口で作った日本人形を贈ったとき、ヘレンケラー女史は“私より不幸な、そして偉大な人”と呟いたという。
 後になり知る人々への感謝の念。「手足のないわたしが、今日まで生きられたのは、母のお陰です。生きて来たのではない、生かされてきたのだと、ただただ合掌あるのみです。」と語っている。
 読了して、《ちぎれ雲》の項にあるいくつもの短歌に、久子の美しい尊いこころを見つめている。
 ○母として母のつとめの足らざるを朝な夕なにわびつすごしぬ
○宿世にはいかなるつみををかせしやをがむ手のなきわれはかなしき
○手足なき 身にしあれども生かさる いまのいのちはたふとかりけり。


 この本との偶然の出会いが嬉しかった。これからも女史の心を「こころの手足」にしていきたい。


いのちをいただく

2009-01-24 | 日々の生活
 冬湖の底より来たる蟹味噌を惜しみつつ飲む雪降る夜を

 文藝春秋に佐々木幸綱の酒の歌を読んで、ふと、毎日いただく酒の肴を思った。蟹味噌などはめったに食べることはないが、いつも与えられる肴を美味しくいただいている。

  今晩はメインはおでんにサンマの塩焼き、山芋や野沢菜のカラシ漬け、ヒジキのしそ和え・・・と、ご馳走一杯だ。
当たり前にいただく食事は、そのすべてがかけがえのないいのちである。そして、命がどれだけ多くの手を経て食卓に並ぶかを思った。

 本当に長い間、少し飲み過ぎたと思う。漬物でもあればそれでよかった。突然の大病もいくらかそのせいもあったろうと反省している。
しばらくの間遠ざかっていたが、体調がだんだん回復するにつれ、また少しづついただくようになった。もう少し、と言えるほど体調がいい。

 蟹味噌と同じく、すべてのいのちを惜しみながら飲んでいきたい。すっかり忘れていた感謝の気持ちを持ちながら、しっかり味わいながら。


日記@BlogRanking

「ふるさと」 作詞家・高野辰之

2009-01-22 | 文芸
             【おぼろ月夜の館 ネットより】

 今朝の「こころの時代」で《 歌い継がれる”ふるさと”〜作詞家・高野辰之の功績(1)》を聞いた。
義母を見舞いに、晩秋の信州を訪ねたのはもう10年も前になる。その折、毎年宅急便で送ってもらっていた野沢菜の収穫体験をした。すでに霜が降り、多少収穫時期は遅れていたが、小春日の畑で紅い蕪を包丁で切ったことを思い出した。
 帰路、思い立って野沢菜の里、野沢温泉村に立ち寄った。そこで思いがけずに「おぼろ月夜の館」を見学し、高野辰之を知ったのだ。あの唱歌「故郷」の作詞者である高野辰之の業績や人間像に触れて、あらためて自分の知る世界がわずかなことに気づき、生涯学ぶことの意義を思ったことだ。
 そこには確かに「山は青きふるさと 水は清きふるさと」、清々しい豊かな北信州の風土があった。
久々に「おぼろ月夜の館」で求めたCD「信州ゆかりの日本の名歌を訪ねて」を聴いた。 そこに収録されている高野辰之作詞の「故郷」「朧月夜」「春がきた」「春の小川」などを静かに聴いて、あらためて高野辰之に思いをはせた。

日記@BlogRanking

癒しのテーマ音楽

2009-01-21 | 文芸
        【さわやか自然百景「北海道 クッチャロ湖 冬」より】
 
日曜の朝は、NHKのTV番組「さわやか自然百景」が楽しみだ。
 今週は「北海道 クッチャロ湖 冬」を観た。 北海道最北部のオホーツク海沿岸にあるクッチャロ湖では、湖が凍らない海の近くで、毎年約500羽のコハクチョウが越冬する。強いきずなで結ばれたコハクチョウの家族を見つめた。

 きれいな映像に流れる、坂本竜一作曲のテーマ音楽が何とも言えない。ほとんど欠かさずに見ている「新日本紀行」(現在は「新日本紀行ふたたび」)や「小さな旅」も、そのテーマ音楽にはいつも心の底から癒されている。

 ふと、5年前の闘病中のことを思い出した。ICUでの生死をさまよっていた約10日間、どう準備してくれたのか、いつまでも目ざめない私の耳元で、妻が繰り返し流してくれたのがこれらのテーマ音楽だった。あのときの幻覚は今も記憶に残っているが、懐かしの大好きなテーマ音楽は聴いた記憶がなかった。でも、思い出しても涙が出るほどの辛い病床で、意識の戻らない私の頭の片隅で繰り返し響いていたこの音楽が、私に生きる勇気を与えてくれたと今も信じている。
 テーマ音楽の裏には、種々の豊かな映像や語りがあった。そうしたテーマ曲にいろいろ教えられ、こころ揺さぶられてきた。今、生かされてふたたび聴くこれらテーマ音楽は、特別な音楽となった。辛かったころを思い起こし、周囲に助けられて運良く九死に一生を得たこの命であれば、まず健康を大切にしなければと思っている。

日記@BlogRanking

ときおりのタオイスト

2009-01-19 | 文芸
            【窓ぎわのベゴニア】

  夜、床について、今日の一日をふり返る。残された日々が、それなりに意義を持つよう期待しての日課となった。思い巡らす大事なことはメモをとるが、ほとんどが無為に過ぎ去る日々の反省で、時折焦りをも感じている。
 この焦りは、こうありたいとの願望、欲求だ。そんなとき、良寛や道元、そして老子の「求めすぎるな」と言う声を聞き、安寧を取り戻して眠りについている。

日中も、概ね孫と遊び、草木や小鳥を友に、庭で「閑」を楽しんでいる。我が家の庭の門柱は、人界への入り口である。いつでも行きたければ行けるが、日々、家族、愛犬以外にはあまり口をきく人はない。こころも住環境も世の中から隔離された、陸の孤島と言える。あえて、四季折々を小さな自然の中で過ごしたいと思う。その気持ちはここ数年変わらない。

 加島祥造のベストセラー、詩集「求めない」の原点は、老子の「足ルヲ知ル」だと認識する。そして、これが現代人に欠けるものと思っている。
 彼は著書「伊那谷の老子」で《ときおりタオイストであれ》と言う。その言葉を地で行く生活をして、こころの穏やかさを取り戻している。


【参】拙ブログ
・「閑」を求めて/ 2008-03-28 ・求めない すると- / 2008-03-09
日記@BlogRanking

厳寒の日曜日

2009-01-18 | 日々の生活
              【初めてのスキー】


朝の天気予報で若松の今朝の気温が零下9度とあった。早速庭に出たが、すでに朝日が差し始め、体感温度はさほど寒いと感じなかった。たしかに車のガラスの雪や氷の結晶が少し違う。アオキやジンチョウゲの葉が何となくしおれ気味で厳しい寒さを示していた。
夜のうちに積もった雪が朝日にすがすがしい。見上げる桐の木の枝の新雪が、青空に映えて美しかった。見上げていると、朝日に当たり雪のかたまりが落ちてきた。いくつもが粉々になりキラキラと落ちた。しばらく、きれいな、豊かな瞬間を何度も眺めていた。

 10時過ぎ、犬の散歩から戻り、散歩の続き、一人飯盛山へ向かった。何度も訪れる雪の飯盛山だが、ほとんど観光客はなかった。白虎隊士が仮埋葬された妙国寺の前を通り、滝沢本陣に出た。140年前の戊辰の歴史を心の隅に浮かべながら、凍てつく雪道を歩いてきた。
 厳島神社の手前に、これまで気づかないでいた霊牛神堂という社を知った。境内にある子育て地蔵には小正月の団子差しが奉納されていた。
  【霊牛神堂】                     【子育て地蔵】

 一人の足跡が残る戸の口堰水神社へも参拝し、新しい年の健康をお願いした。大杉の立つ境内、戸の口堰から流れる清らかな水にはいつも心が洗われる。新雪を踏み、さざえ堂を真上に見上げた。
久しぶりに、お城の見える白虎隊士自刃の地に立つと、はるかにお城が見え、南会津の山並みに囲まれる歴史の町が静かに広がっていた。
【南鶴ヶ城を望めば ・・・】


  帰宅後、家の中でDSで遊ぶ孫たちを、穏やかに陽の差す雪の庭に誘った。
 昨日孫たちに長靴をセット出来るプラスチック製の小さなスキーを買い与えた。ストック付きだ。我が家から市道までに頃合いの坂道があり、今朝の冷え込みでとてもよく滑った。ジイとバアは孫二人に付っきり、思うように滑れないが、何度も転びながらも工夫しながら楽しく遊んだ。初めてのスキーは、素晴らしい貴重な体験になったに違いない。 

少し動くとたしかに疲れるが、驚くほど健康になった。いつも、ほどよい運動を心がけたい。





雪踏み俵

2009-01-17 | 日々の生活
                   【乾杯! 雪踏み俵でゲレンデ完成】

 毎年、雪が積もると物置から雪踏み俵を持ち出してくる。今はほとんど使うことのない雪国の道具、もう30年も前に、伯父の引っ越し手伝いの折りにいだいたものだ。
 ほとんど使わないが無用の長物ではない。庭の奥に細い道を付けるのには、雪ハネやスコップより便利で、何よりも趣きある冬の楽しみな道具だ。
 孫たちが幼稚園の間に、娘の庭に妻と一緒にゲレンデを作った。
 雪踏み俵は名前の通り、雪を固めるにはとても便利だった。靴を履いたまま片方ずつ足を入れ、取っ手を持ちながら雪の上を歩く。踏み固まる雪の縄模様がきれいに浮かんだ。
 完成すると婆と娘は童心に返ってソリ滑りに興じた。音もなく落ちる雪、いっそうの静けさの中、笑い声が響いた。
(2009.1.16)


【孫の居ぬ間に初滑り】

静かに降る雪

2009-01-16 | 日々の生活

 しんしんと降る雪の中、孫の通園、ママとばばが付き添いで送迎のバスまで送る。じじはラックと朝の散歩、いつもの登園風景だ。
 今朝は風もなく、静かな落ち着いた雪降りで、気温は零下。明日一杯は降雪確率が高いようだ。暦の「大寒」はいつだろうか、これからが本格的な一番寒さ厳しい時期だ。

 この時期、いつも思い出すのは、生徒研究のまとめで夜遅くまで生徒に付き合っての帰り、暗い雪道を車を走らせる光景だ。かつて繰り返した真冬の思い出がだふと浮かんできた。
 今も続いているのだろうか、生徒それぞれが設定したテーマを数名のチーム編成で研究する「卒業研究」だった。そうした総合的な実習授業は受け身の授業でなく、生徒が主体的に創造的に課題の解決に取り組む、本当の生きた授業だった。その素晴らしい研究成果は地区や県で発表された。生徒が受けた表彰は、総合的な問題解決の力であった。

一人家に残り、静かに降り続く雪を眺めていると、つかの間に過ぎ去りし日々が走馬燈のように駈け巡った。あのときの生徒たちは何処に行ったのだろうか。


逝きし世の面影

2009-01-13 | 文芸
               【渡辺京二著 「逝きし日の面影」(葦書房)】

 渡辺京二著の「逝きし世の面影」を読んでいる。
 正月早々に、短大に暮れから借りていた本を返却に行くと、司書の方が「逝きし世の面影」を持参してくれた。暮れに検索し、書架を探したが見つからなかった本だ。有難かった。同時にかなりボリュームのある立派な本に驚いた。しばらく炬燵にあたり、じっくり読もうと思っている。

著者・渡辺京二氏は、著作の意図は「文化は生き延びるが文明は死ぬ。一回限りの有機的な個性としての文明が滅んだ。意図はただ、ひとつの滅びた文明の諸相を追体験すること。それは、古き良き日本の愛惜やそれへの追慕でもない。」と語っている。江戸文明と俗称される古い日本の生活様式である。「近代以前の文明が変貌しただけで、同じ日本という文明が時代の装いを替えて今日も続いているというのは錯覚で、このような日本の文明は、すでに逝ってしまった」と。
 
 この時代を見つめる欧米人の残した膨大な記述資料が丁寧にまとめられている。幕末から明治初期にかけて来日した欧米人が見た日本は、貧しくてもだれもが微笑み、楽しげで、子供をとても慈しむ完成された社会だったようだ。日本に来た外国人が日本人の暮らしを羨んだ実に多くの記述を見る。この国民がたしかに満足しており、幸福であると書かれている。それは、互いに助け合い、支え会い、ともに生きていこうとする「暮らし」だろう。

 かつて日本の地を踏んだ欧米人の鮮烈な印象だが、今を生きる我々がタイムスリップしても、同じ印象をいだくのかも知れないと思った。と同時に、今の時代の幸せ度を再点検したいと思った。多くの異邦人が見た日本の自然、人々の生活、文化はたしかに素晴らしかったのかもしれない。

 ある記述には、日本人は「貧乏人は存在するが貧困なるものは存在しない。」とある。貧しいが、人間らしい満ち足りた生活があったのだ。理解出来るような気がする。
「炉辺に一束の薪、嚢中に三升の米」で十分と詠った良寛を思う。家具ひとつない部屋で、しかも厳寒の山中での生活はどんなに辛いものであろうか。実は、多くの国民が同じであったと思う。その時代から、我々の失ったものを考えると、質素、忍耐、そして怠惰、贅沢などの言葉が浮かんできた。

 彼の意図するように江戸文明の、彼の言う「奇妙な特性」の諸相をしばらく見つめてみたいと思う。
 

歳の神

2009-01-12 | 日々の生活


町内の歳の神があった。夕飯前に炎を見に出かけた。回覧で廻った点火時間は6時半、すでに炎を囲む人の群が見えた。
 畦の雪道を進んで、踏まれてくちゃくちゃの田にはいる。しばらくぶりにお会いする方々と新年のあいさつを交わした。燃えさかる火に手をかざしながら、御神酒をいただき、新しい年の幸せを祈った。町内は結構の大所帯だが、ざっと3、40人か、炎を取り囲んだ。時折吹く風にけむりがなびいた。

 役員の方々の準備、後かたづけは大変だ。もうかなり前になる、組長で準備したころをを思い出した。短大裏の野原から萱を刈って運び、支柱にする竹を八幡様からいただいてきた。萱を積み上げ、濡れないようにブルーシートを撒いて年を越した。

 甘酒やココアも準備されていた。住宅近くの田なので、心配ないように消防車の出動も要請したのだろう。当番、役員さんのいろいろなご苦労に感謝して、雪のたんぼ道を家路についた。

 
  歳の神 穏やかな年 願いつつ

吹雪の十日市

2009-01-10 | 日々の生活
 
  娘の帰りを待って、夕方、若松の初市・十日市に出かけた。日中は晴れ間も覗いたが、時折チラチラ舞っていた雪が、出かけるころから吹雪いてきた。大町通りに着いたころは、ひどい吹雪になった。やはり荒れる十日市になった。
約一時間、孫たちの手を引き大町から神明通りを一周してきた。大町通りの漆器店は、ひどい雪が吹き込んで品物が見えないくらいだった。

 5時から6時は時間帯もいいのだろう、神明通りもさほどの混雑ではなかった。いつものコースだ、神明神社にお参りして風車と起きあがり小坊師を求めた。

 孫たちは寒さも限界だったが、よく泣かずに頑張って歩いた。

 十日市も何か年々風情がなくなってきているように思えるのはなぜだろうか。
 

冬のキノコ

2009-01-09 | 自然観察
                【凍ったキノコ】


暮れから正月にかけて積もった雪がほとんど消えた。明日は荒れるという十日市、予報どおり今夜から雪降りになりそうだ。
 庭にキノコを見つけた。
 枯れた桑の木にはオリミキだろう。雪の下にもひとかたまり。また、シダレヤナギの倒木の樹皮の剥がれからシメジのようなキノコが生えていた。このヤナギは2階の屋根ほど高かくなった太い枝を、何回かに分け切った大木だった。
 数年前に伸びた太い枝を払ったトウカエデには、幹一面に黒いキノコがびっしり生えていた。これはキクラゲだろうか、真っ黒なキノコは零下の厳寒に凍結状態だった。こんな寒さの中でも成長するのだろうか。いずれも鍋にでも入れて食べられそうなキノコに見えた。





日記@BlogRanking