エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

歌聖 斎藤茂吉を訪ねて

2007-01-28 | 文芸
《上山市金瓶宝泉寺歌碑
     のど紅き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり

 雪の季節にはなぜか茂吉に惹かれる。
春まだ浅い金瓶の茂吉の生家を訪ねてから3年になる。ふとその時のこころの高鳴りが甦ってきた。その後何度か上山や大石田を訪ねていたが、季節は春や秋だった。
 この冬は雪の最上川を旅してみたいと思っていた。雪の中に金瓶や最上川に茂吉の面影を追ってみたいと思っていた。どうもこの暖冬では、想像するその趣が失われそうで迷っている。
 今日も大寒過ぎの雨降り、水たまりに静かに落ちる雨をぼんやり見ていると、庭にわずかに残る雪がなければ、梅雨時と間違えそうな気がする。
 書棚から、斎藤茂吉記念館で求めた「茂吉の山河」、北杜夫の4部作「青年茂吉」「壮年茂吉」「茂吉彷徨」「茂吉晩年」を取り出した。
 あらためて人間茂吉の生き様や、こころの叫びに迫ってみたい。感動を求めて。


 以下は、かつての茂吉を訪ねた思い

○「茂吉の古里探訪 幼き日々しのぶ
 
 退職まで残りわずかとなった休日、はるかに蔵王連峰を望む、歌聖斉藤茂吉のふるさと山形の上山を訪ねた。
旅の前に「茂吉と上山」や「青年茂吉」を読み返し、茂吉の歌と共に生い立ちやふるさと上山をこころに描いていた。生家の前の細い坂道界隈には、正に百年も前に茂吉少年が遊び廻り、彼の生命とこころを育んだ金瓶村の当時の風景がそのまま残っているように思えた。茂吉の菩提寺宝泉寺の境内には、あの「のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり」の歌碑が建っていた。茂吉の歌集「赤光」の「死にたまう母」の連作に、改めて心に響く慟哭を聞く思いであった。歌碑の奥の「茂吉の墓」とだけ刻まれた墓に参った。寂寥感と満足感が胸一杯に広がった。
 この茂吉を巡る旅は、私のこれからの生き方を探る旅でもあった。退職後は大病後の身体を愛おしみながら、興味ある土地の歴史や文化、自然を学んで歩きたいと思っている。(2005.3)

○「歌聖茂吉の歌碑を巡る旅
 
 歌聖、斉藤茂吉ゆかりの地、山形県大石田町をたずねた。上山の金瓶に茂吉生家を訪ねたのは春まだ浅い雪解けの季節であった。その折りに知った大石田での彼の面影を訪ねたかった。
 彼が気に入り何度も登ったという虹ヶ丘山頂には、独特な彼の書になる「最上川の上空にして残れるは いまだうつくしき虹の断片」の歌碑が建ち、眼下には彼が数々の歌に詠んだ最上川の流れが静かに広がっていた。
 茂吉自らが命名し住まいした「聴禽書屋」の居間に座り、彼の晩年を偲んだ。また、その横に併設されている歴史民族資料館には「河畔の夕(ゆうべ)」と題する高嶋祥光画伯の油絵の大作があり、とうとうと流れる最上川河畔にたたずむ晩年の茂吉が描かれていた。絵に見入り、茂吉の心を静かに思った。
 茂吉の大石田移居のきっかけは、芭蕉の歌仙の実見にあったといわれる。近在の茂吉の歌碑の他、芭蕉や子規の句碑に立ち寄り、昔日の秋に思いを巡らせた。(2006.10)

《斎藤茂吉記念館で 2005.3》