合宿報告の続きです。
私が、高知合宿2日目の分科会で参加した、
「居場所・フリースクール」では、
多くは、全国各地でフリースクールやフリースペースを運営されておられる方々が
主で、ホームエデュケーション(家庭を中心に過ごす)の立場としては、なかなか
理解してもらえにくい現状があることを感じました。
こどもが「学校」へ行かないとなると、公教育機関である
「適応指導教室」が一般的で、現在では、「教育支援センター」「教育研究所」のような名称になっている地域が多いようですが、民間では、「フリースクール」「フリースペース」が、学校に代わる居場所である、という考えの方が多かったように思います。
「学校ではない居場所」が、適応指導教室やフリースクール以外の、
「家庭で過ごす=ホームエデュケーション」も、こどもたちの居場所の選択の一つであってもいいはず、と、HSの方々は声を大にして発言されていました。
HEの場合、とても苦しい時期はあるけれど、
「家で育つことは原点」であり、
「子育て(子育ち)の原点に戻れる」と、仰ってました。
・・・本当にその通りだと思ってます。
HSの方々と同様に、私たちの親の会メンバーも、家庭で過ごすことの意味を
深く理解しているからこそ、
子育て・子育ちの原点ともいうべき「家庭」というものを、大事にしてきたのです。
その「家庭」での生活を大事にしてきたからこそ、
不登校を経験してきたこどもたちは、次のステップに移れるのだと思っています。
私が参加した分科会以外でも、同じような話題が出たところもあったようで、
みなそれぞれ全国から参加された方々と熱く語れる機会を頂けたことに
感謝しています。
また、午後からの山下英三郎氏の講演「修復的対話というアプローチ」も、
とても関心のあるお話でした。
話の初めは、「司法の現場では、被害者と加害者が直接会って対話をし、
状況を共有して、刑罰ではなく解決策を話し合う」と言われ、一見私たちと子どもとの関係とどんな関連性があるの?と思っていました。
「お互いの思いがすれ違い、関係が崩れてしまったとき、その先どうしたらいいのか?」これは、司法上の被害者と加害者にかかわらず、不登校を経験した親子の間では
よく起こりうる状況です。
また、親子間にかかわらず、夫婦間でも同じ。
私は、今回このお話を聴いて、「関係がこじれてしまったとき」の修復的対話について、深く考えさせられました。
そして、高知からの帰る道中、参加した方たちと多くを語りながら帰ってきました。
私が、高知合宿2日目の分科会で参加した、
「居場所・フリースクール」では、
多くは、全国各地でフリースクールやフリースペースを運営されておられる方々が
主で、ホームエデュケーション(家庭を中心に過ごす)の立場としては、なかなか
理解してもらえにくい現状があることを感じました。
こどもが「学校」へ行かないとなると、公教育機関である
「適応指導教室」が一般的で、現在では、「教育支援センター」「教育研究所」のような名称になっている地域が多いようですが、民間では、「フリースクール」「フリースペース」が、学校に代わる居場所である、という考えの方が多かったように思います。
「学校ではない居場所」が、適応指導教室やフリースクール以外の、
「家庭で過ごす=ホームエデュケーション」も、こどもたちの居場所の選択の一つであってもいいはず、と、HSの方々は声を大にして発言されていました。
HEの場合、とても苦しい時期はあるけれど、
「家で育つことは原点」であり、
「子育て(子育ち)の原点に戻れる」と、仰ってました。
・・・本当にその通りだと思ってます。
HSの方々と同様に、私たちの親の会メンバーも、家庭で過ごすことの意味を
深く理解しているからこそ、
子育て・子育ちの原点ともいうべき「家庭」というものを、大事にしてきたのです。
その「家庭」での生活を大事にしてきたからこそ、
不登校を経験してきたこどもたちは、次のステップに移れるのだと思っています。
私が参加した分科会以外でも、同じような話題が出たところもあったようで、
みなそれぞれ全国から参加された方々と熱く語れる機会を頂けたことに
感謝しています。
また、午後からの山下英三郎氏の講演「修復的対話というアプローチ」も、
とても関心のあるお話でした。
話の初めは、「司法の現場では、被害者と加害者が直接会って対話をし、
状況を共有して、刑罰ではなく解決策を話し合う」と言われ、一見私たちと子どもとの関係とどんな関連性があるの?と思っていました。
「お互いの思いがすれ違い、関係が崩れてしまったとき、その先どうしたらいいのか?」これは、司法上の被害者と加害者にかかわらず、不登校を経験した親子の間では
よく起こりうる状況です。
また、親子間にかかわらず、夫婦間でも同じ。
私は、今回このお話を聴いて、「関係がこじれてしまったとき」の修復的対話について、深く考えさせられました。
そして、高知からの帰る道中、参加した方たちと多くを語りながら帰ってきました。