さて、 私たちは白河市の北部小峰城に来た。
小峰城は陸奥白河藩の居城であるが
今回の震災で周りの石垣がくずれ
(エーッ、 そうだったの?)
やっとやっと修復し先月から見ることができるようになったようだ。
まだまだ修復されていない部分が多く、
ため息がでる。
(実はここのバラ園を楽しみにしていたのだが
石垣が崩れ閉園になっていた。)
三重櫓から街を見下ろすと白河は小さな町だ。
この小さな町にこれだけの城跡が残っているのは驚きだ。
しかも町が手を入れて市民の憩いの場になっている。
すご~い。
1日も速い復興を願わずにはいられない。
私たちはそれから
小原庄助の墓がある皇徳寺(ごうとくじ)
ハリストス教会(ビザンチン様式)を周って町なかをウロウロ
爽やかな風の中 楽しい1日となった。
白河は小さいながら魅力ある町だね~。
帰ってから気になって
松平定信と田沼意次を調べてみた。
田沼意次イコール賄賂政治
とのイメージが強いが
従来 幕府財政は米などの年貢収入に依存していた。
それを運上金、 冥加金と言う形で
金を集め、 幕府財政の貨幣収入の道を開いたのは
田沼の業績であり
重農主義から重商主義へ転換
商業資本を重視した政策、
貨幣制度の確立など
今では研究者の中では高い評価を受けているらしい。
ふぅ~~ん! そうだったのか~~。
(今更ながら勉強することがいっぱいです~ぅ)