日曜の朝、4時起き。
5時前出発、6時半に西条。
8時前にホテル裏に到着。
ゴムボートをふくらませて、
いざ防波堤へ。
チヌ釣り、12時半まで。一匹も釣れず。でも、
釣りは、釣り。
帰りに、呉名物の仙八ラーメン。濃厚スープに、骨髄がとけだして、
天下一品的な、口ざわり。うまい。
家に着くと、16時15分。
急いで、公園に、息子たちと。
長男と、戦いごっこをしたり。
夜は、「現代思想のパフォーマンス」のフーコー編。
そうか、一望監視システムの起源が、ペスト対策など。フーコーは、歴史学的アプ
ローチでなく、
系譜学のアプローチである点は、混乱しそうだ。歴史で真理を明らかにするので
なく、歴史が真理であることを問題視するのかな?
構造主義の考え方に、フーコーが登場する意味が分かった気になれた。
一望監視システムをはじめとする制度は、主体がいなくても機能する点、
つまり、監視者がいなくても機能すると。社会が複雑になったり、多様化するほ
ど、制度設計者の意思と関係なく、「制度」が、機能し始める。
確かに、制度は、社会の混乱を防ぐために設けられるが、いつの間にか、
制度の「弊害」がうまれる。制度を「脱構築」するのは、反乱だったり、反乱までいか
なくても、対話だったり。でも、その対話のプロセスが、脆弱すぎて、「制度」に勝
てないのかな?マスコミも頼りないしなあ。
「会計制度」もそんな感じがあるだろうなあ?
環境経営(会計)において、ステークホルダー(利害関係者)が多様にいるのは、
誰でも分かる。だから、従来の財務会計のように、ステークホルダーを株主と債権
者中心に限定するのもまずいといっても、その両者は、資本主義において、パワー
を持ってて、どうしてもパワーバランスで、「消費者」の小さな声は制度に反映され
にくい。そのパワーバランスをどうするか?とかを考えるのに、社会学とか大事だ
ろうなあ。しかし、社会の枠組みに応じた、パワーバランスは、どうしたって、
なくならないとも考えられるなあ。