大前研一さんのDVDの内容と、三品先生の講演で
疑問を持ち始めたことであるが、
そもそも、なぜ『偏差値教育』が行われたのか?ということ。
大前研一さんのDVDによれば、それは国家の政策だったのでは
ないか?というニュアンスで、国家による『愚民政策』という
話もあった。
すんごいな、、、。
国家の政策でさえ、疑うべきであるし、
移民政策をはじめとして、国家が間違うことだってあるという前提
に立てば、『厚生労働省によれば・・・』という前提さえも、疑うべきである。
大学に入ってしまうと、自らが主体的に『学び』をストップしてしまうヒトが多すぎる。
『考える力』の重要性というのは、パラダイムレベルにさえ到達してしまうので、
考えることは、『生きること』そのものである。そして、『考える』力は、大げさな
パラダイムレベルの話に加えて、日常の、ささやかな『ライフタイムの効率的で豊かな過ごし方』
を、根本から変えてしまうものなので、とんでもない『生きる力』である。
社会科学に再現性、あるいは科学性が乏しい場合があるので、私自身、社会科学そのものに
失望していた面があったが、むしろ、白紙に、『いかに、自分の人生を描くか?』という点において
発揮されると思うので、『自分の人生の、大きな、大きな、大きな絵』を書いてみたいなあ?と
思う今日この頃。
そして、人生は、『出会いと偶然』でしか変わらない。つまり、今の仕事が、持続可能であると
思うことが、むしろ間違っているのではないか?
確かに、私自身も保守的になって、ヨメとか、実の親の思いに、自分自身が合わせている部分が
あるけれども、そろそろ『自分の思い通り』に失踪(疾走?)するかどうかはともかく、
疾走(失踪?)の心構えだけは、常にしておこうと思う。
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