週五日記

ボチボチがんばります

医療と教育

2010-09-27 08:40:56 | Weblog
教育は、

教えたいヒトが、まず最初にいて、

その人から学びたいヒトがいて、はじめて成り立つもの。

学びたいヒトありき、ではじまるものではない。

医療も同様。


それは、『情報の非対称性』の別のいいかたかもしれない。


特に、医療では、『ぼくが明日、治療しないと、大変なことになる』という

『緊迫感』は、お金や時間で、その代償を払いにくい。

にもかかわらず、『事業計画』とか、過度な『ペーパーワーク』

は、どうでしょうか?





ただ、一つ思うのは、弁護士等をはじめとする『士業』の世界は、

基本『営利』に、『社会公共的使命』を足してる感じで、

あまり問題がないような気もする。それは、『等価交換』に、医療・教育に比べて

なじみやすいからかもしれない。1時間いくら、の報酬体系が作り安い。

医療・教育は、その辺が難しいのか?でも、『体系』本もあるなあ。




内田先生が昨日のラジオで、メディアが教育・医療の崩壊を叫んだことに

よって、ずたずたになったというような趣旨で話していたが、

それは、崩壊したとはやしたてることで、『事件』にして、

紙面かせぎ?をしているのだろうか?



でも、『等価交換』、『営利』による効率性に、けっこう

毒されていて、『そっちが正しいかも』と思うこともあり、

『資本主義』が万能だと思っている『風潮』は、マズイよな、と思うこともある。

ただ、資本主義で教育・医療をやっても、『そこそこ』うまく

いってしまうので、なんとも、しようがないかもしれない。

ただ長期的スパンで見たときに、大きく問題が露呈するかもしれない。と思う。
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