自分の反省を含めて、
エスノグラフィー的に感じたことであるが、
学校や病院というのは、『生活』が一部行われる場所であり、
その結果として『生活の困難』も持ち込まれる場所になる・・・。
『生活の困難』は、言葉で言うと簡単であるが、
『周りのヒト』に困難を撒き散らさざるを得ないほどに、
『ツライ』場合もあり、学校や病院は大変である・・・。
確かに、生活者全員が自立、あるいは当事者性をもって
『生活の困難』に対応すれば問題ないだろうが、
『自立』や『当事者性』を持つことが困難なほどに、
『肉体的』にも『精神的』にも『貧困状態』ではないか?
生活環境、景気は20年も悪いし、これからも悪くなりそうだし、
その影響で、『学校』や『病院』は、大変なことになっているのではないか?
『大変なこと』が『大変なこと』であると当たり前に受け入れられていない社会
になっている気がするが、『誰か』が隠そうとしたり、『誰か』のせいにしようと
していないか?
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