連結の目的は、アメリカの企業において、
親会社の一事業部門にすぎない子会社を
ガッチャンするためだったのだと。
そうすると、連結財務諸表は、親会社の本来の
個別財務諸表の意味合いになると。
そうだとすれば、現在の多角化された企業の
連結は、その意味合いと異なるし、異なるとすれば、
どう考えればいいのだろう?経済的実体と、法的実体の区別では、
間に合ってないわな。だからといって、どうすればいいのだろう?
経済史入門。マルクスの没後の年に、ケインズと、シュンペーターが
生誕しているのが興味深い。
日本の経済は、社会の変化に応じて、受容可能な西洋の経済学を
うまく取り入れていったと。アダムスミス→マルクス→ケインズ→シュンペーター
なのかな?
あと、マルクス経済学、ケインズ経済学とか、名前がついているのは、
学者の主観から出発している表れだと。それが、もまれて、
理論となるのだと。
なんでも、最初は、自分本位でいいんだろうな?
環境への配慮だって、「個人の欲望」、すなわち、おいしい水を
飲みたい、とか、子供に、おいしい野菜を食べさせたいとか、で
いいんだろうな。坂本龍一さんの受け売りですが。
親会社の一事業部門にすぎない子会社を
ガッチャンするためだったのだと。
そうすると、連結財務諸表は、親会社の本来の
個別財務諸表の意味合いになると。
そうだとすれば、現在の多角化された企業の
連結は、その意味合いと異なるし、異なるとすれば、
どう考えればいいのだろう?経済的実体と、法的実体の区別では、
間に合ってないわな。だからといって、どうすればいいのだろう?
経済史入門。マルクスの没後の年に、ケインズと、シュンペーターが
生誕しているのが興味深い。
日本の経済は、社会の変化に応じて、受容可能な西洋の経済学を
うまく取り入れていったと。アダムスミス→マルクス→ケインズ→シュンペーター
なのかな?
あと、マルクス経済学、ケインズ経済学とか、名前がついているのは、
学者の主観から出発している表れだと。それが、もまれて、
理論となるのだと。
なんでも、最初は、自分本位でいいんだろうな?
環境への配慮だって、「個人の欲望」、すなわち、おいしい水を
飲みたい、とか、子供に、おいしい野菜を食べさせたいとか、で
いいんだろうな。坂本龍一さんの受け売りですが。
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