疑わしきことについて、
疑っていいのだろうか?という疑問。
疑われるのが悪いのか、それとも、疑いが生まれるような
前提があること自体が問題なのかがよく分からない・・・。
ただし、「疑われている」という事実は、疑われる方々
に影響を与えているのも事実。
疑っている人も、「疑う人だ」という目で見られていることを
内面化しているし、「疑う人」であるということは、さぞかし世間の目も厳しいだろう・・・。
疑われたくないし、疑いたくない。
のほほん、と生きたい。ほんとに。