トリCのブログ

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日本人の本質にせまる代表サッカー

2010-12-08 23:39:00 | サッカー

 ジーコがサッカー後進国である日本に肩入れしたのは女子バレー日本代表の影響が多分にある。ブラジルはサッカーは別としてバレーも人気があるわけでジーコも好きなようだ。バレーやバスケは競技の傾向からして高さとパワーが基本となる。なのでいち早くそれの本質に気がついた欧州、アメリカは普通の人とは思えない人間がズラーっと並ぶ事になる。もちろんブラジルも同じだが。


 


一方でサッカーではどうか。そういう状況にはかろうじてまだなっていないが微妙な状況だ。欧州ではFW、それに対するCBは既にバレーやバスケと同じパワー合戦になっている。才能が若干低くてもパワーと高ささえあればなんとかなってしまう一歩手前とでも言うか。これを何とかして食い止めているのがブラジル、アルゼンチンの天才型南米選手だ。


 


日本人的に言えば相撲や柔道で精神的にも技術的にもハイレベルにある高レベルの人間がパワーと体格だけの奴に圧倒されるのは納得出来ないだろう。サッカー南米勢、ジーコのサッカーに対する思いはこれなのだ。


 


そんなジーコからすれば好きなバレーでパワー合戦に母国ブラジルも参戦したのはサッカー的観点からも納得がいかないだろう。そんな時に見たのが日本の女子バレーだ。体格的に圧倒されながらもチームワークの良さ、守備の徹底から相手の巨人女が打てども打てども拾いまくる。しまいに疲れた相手に僅差でも勝利してしまう努力と団結力。欧州のパワー合戦にそのうち迎合しそうなブラジルサッカーよりも「あのバレーの様な一体感に」可能性を感じたジーコの心情は鹿島に、そして日本代表に移行する事になる。


 


しかしながら文化レベルの高い相撲や柔道でならジーコのそういった思いは理解されたとしてもことサッカーにおいてはまだまだ鹿鳴館レベルの日本。全ては欧州のサッカー理論が正しい、という評論家とファンの思い込みは強く、ジーコの日本女子バレーを代表サッカーにという思いは一蹴される。


 


この流れはオシムという欧州理論家の重鎮を招聘するも本人が倒れ協会はその意図を汲みそうな理論家岡田監督に託す、そしてイタリア人監督招集まで続いている。


 


 


W杯では岡田監督が結果としてオシム理論を最後の最後で維持出来なくなった。理由はもとから日本人の体格と体力では無理な戦術だったうえに蓄積された疲労がレギュラーメンバーに襲いかかりチームとして成り立たなくなった為だ。


 


しかしこれが結果としてジーコが憧れた「日本女子バレー」の拾っては拾うを実践する事になる。体格でも体力でも負ける。しかし団結力と気合とチームとしての一体感は他の国には真似出来ないものを生み出す事になった。


 


トルシエは以前日本サッカーは守備よりも攻撃が好きだ(得意だ)、と言った。しかし日本人としてこれは感覚的に違う。日本人はシステマチックな守備に関してならどこまでもやれる自信はあるが個人の才能や臨機応変な機敏が求められる攻撃に関しては才能が無いし自信もない。岡田監督が計算通りではなかったにせよ結果的に日本人の本質を引き出したのは確かだろう。