トリCのブログ

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一体感だけで1.5倍の強さになる日本

2018-06-25 16:06:06 | サッカー

日本代表には戦術、先発メンバー、フォーメーションなどよりもずっと大事なものがある。


月並みな言葉で言うと、みんなで一致団結、力を一つにして、だ。

 

この昭和初期の標語が使われなくなって久しいが、その価値観が失われたわけではなく、空気がそこにあるように、見えない常識になっている。少なくとも日本では。


日本人は、よく海外の人に、この標語の手本の様に言われる民族性がある。それは、長い事先人たちがどうすれば安定した社会になるのか、試行錯誤して作り上げてきたものだ。


西野さんが監督に就任した時に、真っ先に選手に伝えた言葉は「競争ではなく、共存」。


代表の中から日本社会の見えない空気が失われていた、という認識からの言葉だろう。


代表選手も特別な人間ではない。海外で働いていてもやはり日本社会の一員なのだ。代表のマイナスイメージを植え付けるメディアは、彼らを他国の内紛と同様に「エゴの強さ」同士がぶつかった、と書きたがるがこれは、日本人の本質を理解していない。


サッカーの話でもあるが、日本の企業や学校のクラブ活動の話にも当てはまる。


日本の場合、集団が同じ方向を目標に向けてまい進する時は、サブの人材でも能力値が二段階は上がる。その一体感に乗じてメインの人材も能力を発揮する。誰かの天才的なプレーで取っただけの結果は、本人も含めて誰も喜ばず、全員で戦った場合には、敗戦しようが大いに沸く。


ハリル前監督は、日本のパスサッカーを逃げのプレーとみなして、実質禁止令を出し、個々人が自分のエリアを断固として死守せよ、とやった。勝った時には、一部の活躍した人間を高評価し、負けた時には、明確に誰々のせいで負けた、とやったわけである。


会社でこんな上司がいたら、すごく嫌じゃないだろうか。日本人なら直感で分かる事だが、こういう上司は集団から疎外され、出社しても仕事を進めない実質ストライキに突入する。結果を出さない様にして上司を追い込み、何となくどこかに飛ばしてもらう様、上層部に「何とかしてほしい」空気感を出す(表立って言う事はしない)。


だから次にやってきた西野さんは、持論の戦術、フォーメーションを叩き込むよりも、まずストライキ状態にあった職場の一体感を取り戻そうとした。敗戦したら監督、スタッフ、レギュラー、サブ全員が敗戦を悔しがり、勝利したらもちろん全員で喜ぶ。誰が活躍したとか誰が戦犯だ、という空気を一掃させた。


日本人には「競わせて結果を出した人材には、多大な報奨と名誉が待っている」は、むしろ集団から孤立してしまうのではないか、一体感がなくなってしまうのでは、とマイナスに感じる人は多いだろう。


サッカーでは、よくエゴを出せ、そんなんじゃゴール出来ない、とは言われるが、それは日本国外の(一般的な)考え方だ。一部のエリート(多大な報酬)が大多数の一般人(やる気なし)を引き連れる国ではそうでないとならないだろう。しかし日本はエリートが不在で大多数の一般人がやる気を出しまくって成り立つ国なのだ。そういう国にはそれに見合ったサッカーがあるのではないか、などと感じる今回の代表だ。


RADWIMPSの反徳川思想()

2018-06-17 20:34:38 | 政治

RADWIMPSのHINOMARUの歌詞がどうとか、騒ぎ立てる連中がいて、なまじかファンの多いバンドだけに過剰反応が起こり作詞した本人が謝罪を行った。部外者が作り、部外者が騒ぎ、部外者が過剰反応し、再び最初の部外者が関係者の立場になりきって勝手に謝罪した、という


なんだかとってもモヤモヤする(苦笑)


ちなみにこの場合の関係者とは、戦前の右翼思想を未だに持っている人、という意味だ。


ひとつ整理をすると、戦前の右翼思想とは、どういうものだったか。よくドイツのナチス思想を話題にすることもはばかられる、って事で日本でもこれを真似してちょっと何か言うと、大騒ぎするパターンが出来上がっている。


だから言論の自由なんか関係なく、ちょっとでも戦前臭のするものは、すべてダメ、ってのが左翼系の人々の主張なわけだ。戦前臭のするもので身近なものでは、坊主で全員整列で組織の為に身を粉にして勝利を目指す、ただし栄冠はたった一校だからその他は栄誉ある玉砕が必須、滅びの美学が気持ちいい高校野球あたりがソレだ。


じゃあHINOMARUの歌詞に興奮する人は、何でこれに噛みつかないのか、といえばスポンサーの新聞社が思想的身内だからだ。ちなみにこの身内の新聞社の社旗も韓国人辺りは卒倒するやばいデザインだが問題なしだ、身内だから(笑)


話がずれたが、戦前の右翼思想。これは「徳川家康」を倒す為に作られた。


徳川家康は400年前の人で、武力による拡張政策の競争を止めさせ、自分が神になる事で、神に仕える幕府に誰も逆らえない様にして、日本国内から軍拡競争をなくした人だ。ちょっと言い回し的に突っ込みが入りそうだが、分かりやすく言えば、各都道府県の国会議員が自分の県の軍事費に使っていた金を、国会に召集するたびに県職員と議員が遠方から旅をしてくる。その旅費に化けさせて、軍事費を減らす方向に持って行き、軍縮を実現させた。ついでにこれのせいで街道沿いの経済が活性化された。江戸(=東京)から離れれば離れるほど、いまだに経済的に貧相なのは、これの影響が結構残っている。


軍縮ついでに徳川家康を絶対の権威と強調し、家康の子孫(将軍)とそれを支える幕府には絶対に従うという思想を国民に徹底した。


1800年代中期、迫りくる列強の軍事圧力を日本の危機として利用して、幕府から政権を奪取したのが明治政府だったが、神である徳川家康と子孫の権威を奪取するのに使ったのがそれよりも格が高い皇室だった。権威に絶対服従の洗脳を徳川家→天皇家、幕府→天皇を支える政府として再利用したわけだ。


RADWIMPSのHINOMARUの歌詞はこれらの歴史的諸事情を作詞した本人が意味も分からずイメージだけをトレースしたものだ。本来、こういう歌詞を作る人は「欧米の覇権主義はやがて日本にも迫りくる。それに打ち勝つには1にも2にも軍事力である。我々の魂は守護者である天皇が守り、たとえ玉砕しようともそれは靖国に祀られるから、安心して死んでこい」という政治的主張がある。


今時、イギリスやフランス、ロシア、アメリカ辺りが日本を植民地にするのを防ぐために、我が身を銃身に変えたい人間がいるとか?徳川幕府を何としても復活させない為に、日本国民はこうするべき、という強い信念で情報を発信する人間がいるのかと。


徳川家康とその血を受け継いだ将軍の権威を失墜させるための右翼活動が、明治から昭和の敗戦まで何となくだら~っと続いていただけの話であって、昭和に入った頃は、すでに元の意図は忘れ去られ、天皇を持ち上げさえすれば、勝ち組安泰、という「今だけ何とか凌げれば」的な話だったのだ。今の憲法9条を守れ、安倍の暴走を許すな、の老人達のこだわりが若い人にはさっぱり分からないのと一緒だ。


部外者が作り、部外者が騒ぎ、部外者が過剰反応し、再び最初の部外者が関係者の立場になりきって勝手に謝罪した


と冒頭に書いたが、その意図が分かってもらえたはずだ。

 

今や戦前の歌詞を本気で作る人間など、異世界転生ものの主人公(「特攻かけて目が覚めたら73年経ってて有名人になったので本気出して書いてみた」KADOKAWA)でなければ無理だろう。関係者なんてこの世にいないっての。


俺たちのサッカーはまだまだ続く(完)

2018-06-10 21:19:30 | サッカー

サッカー日本代表が低迷している。今回はダメだろう、という共通認識が、珍しく盛り上がらなければ商売にならないメディアにまで蔓延している。


本来、どの対人スポーツでも大事な要素に、相手を見る、考えを知る、対策を練る、といったものがある。これらをやるにはそれと同等の、自分のレベルを知る、欠点を知る、考え方を整理しておく必要がある。


順番があるのだ。


その順番で言えば、サッカー日本代表は、自分のレベルをようやく悟ってきた辺りだ。ハリルが日本の欠点を覆い隠すパスサッカーを封印して大不評を招いた様に、自身の欠点を痛感するまでは至っていない。もちろん考え方も整理しきれずにいる。


「日本サッカー」を具現化している本田がバッシングの対象になっているのは、ある意味皮肉だ。ハリルはサッカーの本場から見て対人恐怖症からパスに執着する日本(こう見える)、をやめさせようとした。対する本田は日本サッカーのベース(帰るべきところ)はパスサッカーにあると確信してそれを封印しようという監督に×を出した。


日本サッカー界は、ずっと本田がベースと感じているパスサッカーが本物のサッカーだと思い込んできた。本来、キーパー以外手を使ってはいけないのがサッカーだが、それを足だけを使うスポーツがサッカーだと誤認識した歴史がある。


その結果、足技だけが異常に上手な曲芸師の様な選手が増え、ピッチの中央で変幻自在なパスを出せるMFばかりがスターと呼ばれる環境になった。


先に書いたように、サッカーは手を使ってボールを扱ってはいけない、は、手さえ使わなければ他に色々な事が出来ると解釈しなければならない。


分かりやすく言えば、全世界で武力を使った外交を禁止、というルールがあったとしよう。


そうなれば経済(貿易)、世論操作、移民、などを使って相手国を弱体化させようと各国は手を尽くす(実質現代の国同士の外交はそうなっている)。


日本サッカーは武力を使わない=話し合いで平和外交をするのか、と勝手に解釈してしまったサッカーだ。


そうなれば、政治家や外交官は、話し合いを愛するハト派ばかりが選出されるわけだから、様々な手を尽くす相手国に振り回されるわけである。


言ってみれば本田は、周辺国に圧力を加えられても対抗策が出せず右往左往するハト派首相の様なものであり、多くの人が、日本の外交に不満を持ち、他国と同様に、色々な外交圧力を模索した方が良い、と話し合い外交に見切りをつけてもなお、日本本来の話し合い「だけ」で解決しようと「おれたちの外交」に固執している人なわけだ。


最初に戻るが、日本サッカーはスピードとパスに偏重しすぎていて、空中に浮かび上がったボールの争奪戦には非常に弱く、ボディコンタクトを受けるとそれを嫌って適正なポジションを放棄してしまう。1億3千万もいる国なのに、ゴールを決めるFWと土壇場で防ぐキーパーは、常に人手不足だ。

 

20年以上前から世界大会に出場すれば決まって敗因は同じ様なものなのに、相変わらず次世代のスター候補生は、天才パッサーばかり。


今回のW杯だけではなく、いい加減、あらゆる要素に目を向ける文化を作らなければいけないのではないか。