“天才”太宰と駆けぬけた著者の青春回想録
作家・檀一雄は太宰治の自死を分析して、「彼の文芸の抽象的な完遂の為であると思った。文芸の壮図の成就である」と冒頭から述懐している。
「太宰の完遂しなければならない文芸が、太宰の身を喰うたのである」とまで踏み込んでいる。
昭和八(1933)年に太宰治と出会ったときに「天才」と直感し、それを宣言までしてしまった作家・檀一雄。
天才・太宰を描きながら、同時に自らをも徹底的に描いた狂躁的青春の回想録。作家同士ならではの視線で、太宰治という天才作家の本質を赤裸々に描いた珠玉の一編である。
東京大学 安藤 宏 名誉教授
「優しさと含羞(はにかみ)」
太宰治の河盛好蔵あての書簡(昭和21年4月30日付)の中で、太宰は「優しさ」について興味深い発言をしている。
「優」という字には人に優れる、という意味で、「優良可」の意味で使ったりもする。
けれども大切なのは人偏に「憂う」と、書いて「優しい」と読む点だ。
人の身を憂うこと、つまり人の淋しさや悲しさに敏感であることが「優しさ」の条件であり、それが人間として「優れて」いることの証でもあるのである。
このように考えと、この言葉は日常には簡単に使えそうもない気がしてくる。
本当にその人の立場を考え、「優しく」ありたいと思うなら、時には気まずさを恐れず進言しなければならないことだってあるだろう。
単に温厚に接するとか、そんなうわべの問題ではないのである。
同じ太宰治の河盛好蔵あての書簡の中で太宰は、「優しい」人の表情にはいつも「はにかみ」が表れている、という意味のことも書いている。
そのうえで「含羞」[がんしゅう]という字に「はにかみ」とルビを振ることを提唱するのである。
自己主張には本来「含羞」「はにかみ」が伴うはずだ、という太宰の考え方には、何か、とても大切な真理が含まれているように思う。
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