小説 太宰治

2024年07月10日 12時09分11秒 | 社会・文化・政治・経済

“天才”太宰と駆けぬけた著者の青春回想録

作家・檀一雄は太宰治の自死を分析して、「彼の文芸の抽象的な完遂の為であると思った。文芸の壮図の成就である」と冒頭から述懐している。

「太宰の完遂しなければならない文芸が、太宰の身を喰うたのである」とまで踏み込んでいる。
昭和八(1933)年に太宰治と出会ったときに「天才」と直感し、それを宣言までしてしまった作家・檀一雄。

天才・太宰を描きながら、同時に自らをも徹底的に描いた狂躁的青春の回想録。作家同士ならではの視線で、太宰治という天才作家の本質を赤裸々に描いた珠玉の一編である。

 

東京大学 安藤 宏 名誉教授

「優しさと含羞(はにかみ)」

太宰治の河盛好蔵あての書簡(昭和21年4月30日付)の中で、太宰は「優しさ」について興味深い発言をしている。

「優」という字には人に優れる、という意味で、「優良可」の意味で使ったりもする。

けれども大切なのは人偏に「憂う」と、書いて「優しい」と読む点だ。

人の身を憂うこと、つまり人の淋しさや悲しさに敏感であることが「優しさ」の条件であり、それが人間として「優れて」いることの証でもあるのである。

このように考えと、この言葉は日常には簡単に使えそうもない気がしてくる。

本当にその人の立場を考え、「優しく」ありたいと思うなら、時には気まずさを恐れず進言しなければならないことだってあるだろう。

単に温厚に接するとか、そんなうわべの問題ではないのである。

同じ太宰治の河盛好蔵あての書簡の中で太宰は、「優しい」人の表情にはいつも「はにかみ」が表れている、という意味のことも書いている。

そのうえで「含羞」[がんしゅう]という字に「はにかみ」とルビを振ることを提唱するのである。

自己主張には本来「含羞」「はにかみ」が伴うはずだ、という太宰の考え方には、何か、とても大切な真理が含まれているように思う。

 


言葉が綺麗でどんどん読み進められました。小説だけではわからない、友人だけに見せる太宰の姿を見せてくれます。
傑作だと思います。
 
 
太宰愛たっぷりの壇一雄の文章は滑らかで読みやすく、あの時代が手に取るようにわかる。お金はないし、多くの人が短命だったのだろうけど、活気のある、おもしろく、できないことなどはない時代だったのだろうと思う。この文豪たちと同時代を生きていてみたかったなと思ったりもする。
 
少し表紙に傷はありましたが、中は問題ありませんでした。まだ読み終わっていませんが、これからゆっくり読んでいきたいと思います
 
とても勉強になりました。太宰さんと檀さんの思い出に触れることが出来、たいへん幸せな時間を過ごすことが出来ました。
 
 

おもしろかったです。
読み応えもあります。
深み、エピソード、満載でした。
 
 
 
 
友遠方より来るまた楽しからずや、と呼べる真の友をどれだけの人が持っているだろうか?
この書はその意味で貴重な真の友情の記録となっている。
太宰のもう一人の親友であった山岸外史の「人間太宰治」がいかにも評論家らしい概括の書であるのに比して、壇一雄の「小説太宰治」は、本書の中でも筆者のその詩人的気質が十分にうかがえるものとなっており、人間太宰の声色や息づかいが聞こえてきそうな、生き生きとした描写が魅力だ。
「そうだ、檀君。男は、女じゃねえや。ワァひでえ。意味をなさん。」最初の妻初代さんと別れたころの、太宰の酒間の饒舌の一こま。
初めての出会いのとき、壇は太宰に、「君は─天才ですよ。たくさん書いてほしいな」と話しかけ、太宰はただ「書く」とだけ答えたそうだ。
壇の太宰への直接的な思いは、この書ではこれだけしか描かれていない。だがそれだけ筆者の友人太宰への思いは強烈に伝わってくる。
 

檀一雄が盟友太宰治について書いた本。いい文章だ。面白い。
檀が太宰にひどい待ちぼうけを食わされ(経緯は省略)、檀が「ずっと待ってたんだぞ」と太宰に詰め寄ったとき、太宰が発した言葉がいい。
「待つ身がつらいかね。待たせる身がつらいかね」
たしかにキミはボクをずっと待っていた。ボクはそれを知っていながら、待たせることしかできなかったのだ。そのボクの気持ちがキミにはわからないのか。
これほど太宰らしい表現はないように思う。決して太宰は、待たせていることをひとときも忘れず、気に病んでいたというわけではないのだ。でも、問い詰められると、ついこんな言葉が出てくる。こういうズルイ太宰にファンはころっとやられてしまう。いやー、太宰って、やっぱりいいな。
タイプは違えど、檀も「火宅の人」である。「どうしようもない自分」を知っている。そんな檀の書いた次の文章がいい。
「(太宰は)例のそのチャーミングな微笑を口許に浮かべながら、自分が招来した運命の背に、ちょうど曲馬団の玉乗りのふうに乗っていた。乗りながら、足許を掻きさらいそうな、頼りない自分自身を静かにねぎらい合っていた。あれが青春というものだ」
 
 
 
壇は、太宰は彼の芸術が完成したので自殺したと指摘している。
これは太宰の天敵である川端康成の自殺と同じ動機ではなかろうか?皮肉な巡り合わせである。

 

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