冤罪か真犯人か、今なおくすぶり続ける事件にNHK取材班が挑んだ話題作を、自身もNHK出身のジャーナリスト・相澤冬樹氏が絶賛する。

死刑執行の寸前まで「自分はやってない」

 正義の行方? そげんこと、わかりきっちょぉ。「オレはやっちょらせん」ち言い続けたとばい。ろくな証拠もなかったやろが。ばってん警察はいっちょん話を聞きゃせん。新聞も犯人扱いしよる。どげんもこげんもないと、裁判で死刑にされたとよ。この国の司法に“正義”やら、なかろう!

 久間三千年(くま みちとし)さんが映画を観たら、さしずめこのように語るだろうか。1992年、福岡県飯塚市で小学1年の女児2人が誘拐され殺害された「飯塚事件」。

 逮捕された久間さんは無実を訴えるが、裁判で死刑判決が確定。しかし死刑執行の寸前まで「自分はやってない」と訴え続けた。

 捜査に自信を示す警察、いや無実だと裁判のやり直しを求める弁護団。冤罪事件の典型的な構図だ。

当時の担当記者が率直に語った迷いや反省

 斬新なのは、そこに「事件を報じた新聞社」の視点を加えたことだろう。福岡の地元紙、西日本新聞による検証報道が陰の“立役者”になっている。その報道に着目したNHKの木寺一孝ディレクターが関係者へのインタビューを重ね、ドキュメンタリー番組を制作。文化庁芸術祭大賞を受賞し映画化された。

 新聞・テレビという旧来の“オールドメディア”が自分たちの報道を検証するのは極めて珍しい。取材状況や記事化の判断について、当時の担当記者や報道幹部が実に率直に迷いや反省を語っている。そこが最大の見ものだ。

「とにかく警察取材で特ダネをとること、それだけ」

 事件当初から現場で取材にあたった宮崎昌治さんが語る言葉は、そのまま私の経験に重なる。NHK記者としてサツ回り(警察担当)で取材のイロハを学んだ。他のマスコミ記者も同じだった。

 そこで何より重視されたのは捜査情報をつかんで特ダネを出すこと。そのためには捜査員や警察幹部と信頼関係を築かねばならない。

 映画には当時の福岡県警捜査一課長が登場する。

「一課長」という文字を画面に見ただけで胸が騒ぐ。殺人などの凶悪事件の捜査を指揮する“警察の華”が、引退後とはいえ当時の捜査状況を説明し、判断に誤りはなかったと語る。

 ここまで話を聴けるなんて凄い。私が警察担当だった頃、一課長とこれほどの関係は築けなかった。

「♪好きだったのよ 一課長 胸の奥でずっと

 もうすぐわたしきっと あなたをふりむかせる」

 石川ひとみさんのヒット曲「まちぶせ」(作詞作曲はユーミン)の「好きだったのよ あなた」を「一課長」や捜査幹部に置き換えて替え歌にしたあの頃を思い出す。昭和の記者だった私。

「DNA型鑑定結果」スクープの内幕は、記者として脱帽もの

 映画の前半では、宮崎さんをはじめ西日本新聞の記者たちが、いかに警察から情報を聞き出していたかが丹念に描かれる。中でも久間さん立件の柱となったDNA型鑑定結果をいち早く特ダネで報じた内幕は、記者として脱帽だ。

 捜査にあたった多数の警察官の証言でも、久間さんが真犯人だという確信はみじんも揺るがない。それを見ると、久間さんを逮捕した警察の“正義”、それを報じた記者の“正義”にも一理あると感じられてくる。私も現場の記者ならそうしただろう。

 だがこれは、記者が取材先である警察に“同化”してしまっていることを意味する。その一方で、取材現場から一歩引いた報道幹部の見方はかなり違うのが新鮮な驚きだ。

「腑に落ちないというか、本当に犯人か、もしかして違うという思いもありました」

警察に同化していた記者の“正義”が検証報道で別の“正義”に

 特に再審請求でDNA型鑑定の証拠価値が事実上否定されたことが大きかったという。

 事件から25年、当時の報道幹部が編集局長に、若手記者だった宮崎さんが社会部長になったのを機に、飯塚事件の検証報道がスタートした。事件当時の報道に関わっていない手練れの記者2人を担当にして。宮崎さんが語る。

「彼らの取材で、僕は被告だと。警察取材だけで書き続けた僕の事件記事報道自体も、彼らに裁かれていった」

 こういう判断を新聞社として行ったのが本当に素晴らしい。警察に同化していた記者の“正義”が、検証報道で別の“正義”に置き換えられていく。本来すべての報道機関がこうあらねばならないと思う。

 宮崎さんが最後に自戒を込めて語る言葉が突き刺さる。ぜひ映画で確かめてほしい。こんな言葉を語ることができる人こそ、報道現場に必要だろう。

緊迫感に満ちた、あっという間の2時間38分

 私自身は、この映画を観て久間さんが「無実」だとは確信できない。だが同時に、久間さんが「犯人」だという確信も持てない。それを疑わせる事実が次々と明らかにされるからだ。真実はどこに?

 そんな場合、「疑わしきは被告人の利益に」というのが刑事裁判の原則だろう。にもかかわらず久間さんは裁判で死刑にされた。検証取材をした記者が語る。

「司法は信頼できると呑気に思っていたけれど、そうではないと」

 この国の司法(justice)に正義(justice)はない。正義の女神(Justice)もいない。

久間さんならずともそう言いたくなる。実は隠れた主役、というか“主犯”は、画面に登場しない裁判官ではないか。

 2時間38分の作品だが、あっという間に時が過ぎる。その秘密は構成にある。

 冒頭のナレーション。「ヘタクソな語りだな」と思いながらふと気づく。これ、ナレーションじゃない。事件を伝えるニュースの記者リポートだ。だから拙いけど、その分臨場感がある。

 映画は全編ノーナレ(ナレーションがない)で、当時の音声と映像を駆使して描いている。これが緊迫感とドライブ感を生み、事件の渦中に入り込む感覚をもたらす。そこはさすがNHK、長年の蓄積が生かされている。そんなところにも“オールドメディア”の底力を見る思いだ。

 

『正義の行方』
STORY
1992年に福岡県飯塚市で2人の女児が殺害された「飯塚事件」。DNA型鑑定などによって犯人とされた久間三千年は、2006年に最高裁で死刑が確定、2008年に福岡拘置所で刑死した。“異例の早さ”だった。

 翌年には冤罪を訴える再審請求が提起され、事件の余波はいまなお続いている。本作は、弁護士、警察官、新聞記者という立場を異にする当事者たちに取材、時に激しく対立する〈真実〉と〈正義〉を突き合わせながら事件の全体像を多面的に描き、やがてこの国の司法の姿を浮き彫りにしていく。

STAFF
監督:木寺一孝/特別協力:西日本新聞社/協力:NHKエンタープライズ/テレビ版制作・著作:NHK /制作:ビジュアルオフィス・善/ 製作・配給:東風/2024年/158分/4月27日公開

 

〈飯塚事件〉「真犯人目撃」の男性を証人尋問、死刑執行後の再審実現のカギに/第2次請求審で初の事実取調べ

小石勝朗 ライター

1992年に福岡県で起きた「飯塚事件」をめぐり、死刑を執行された久間三千年(くま・みちとし)さん(執行時70歳)の妻が申し立てた第2次再審請求で、福岡地裁(鈴嶋晋一裁判長)は5月31日、久間さん側の弁護団が新証拠と主張する目撃をした男性Aさん(74歳)の証人尋問をした。

 Aさんは、殺害された小学1年生の女子児童2人(ともに当時7歳)が連れ去られた当日、2人とみられる女児を乗せた軽自動車と遭遇し、久間さんではない男が運転していたと証言した。死刑判決では、Aさんの目撃と同じ時間帯に遺留品の発見現場そばで久間さんの車を見たとする別の証言が証拠の柱になっており、Aさんの証言への評価が、前例のない死刑執行後の再審が実現するかどうかのカギになりそうだ。

証拠リストの開示勧告を検察は拒否

 地裁が今年3月に証拠リストの開示を勧告したものの、検察が5月に拒否していたことも分かった。

弁護団によると、検察は「裁判所にそうした勧告をする権限はなく、事案の解明に意味がない」と理由を挙げているという。弁護団は久間さんに有利な証拠が隠されていたり埋もれていたりする可能性があるとして、地裁に開示命令を出すよう申し立てるなど引き続き証拠開示を強く求める。

 「大きなヤマ場を越えつつある。今日の証言で再審請求は前進した」。第2次請求審で初めての事実取調べとなった証人尋問を終えて、弁護団共同代表の徳田靖之弁護士は強調した。地裁の対応について「それなりに弁護団の主張に耳を傾けている。証拠開示勧告と合わせて、正面から取り組んでくれている」との感触を示し、死刑執行後の再審開始決定に期待を寄せた。

DNA鑑定は実質的に証拠から排除

 飯塚事件の発生は1992年2月20日。福岡県飯塚市の小学校へ登校中の女子児童2人が行方不明になり、翌日正午ごろ、同県甘木市(現・朝倉市)の山中を走る国道沿いの崖下で、ともに遺体となって見つかった。首を絞められたのが死因とされた。

 殺人と誘拐、死体遺棄の罪に問われた久間さんは捜査段階から一貫して犯行を否認しており、直接的な物証もないため、死刑判決は状況証拠を積み重ねて導かれた。しかし、そのうちの1つのDNA鑑定は、鑑定結果の誤りが判明して再審無罪になった「足利事件」と同時期に同じ機関が同じ手法で行っていたため、第1次再審請求審で実質的に証拠から排除された。現時点では、2月20日午前11時ごろに、のちに児童の遺留品が発見される現場のそばで久間さんの車と特徴が一致する車を見た、とするX氏の証言が状況証拠の核になっている。

 死刑判決は2006年に最高裁で確定し、久間さんは2008年に刑を執行された。妻が2009年に申し立てた第1次再審請求は2021年4月に最高裁で棄却され、同年7月に第2次請求を起こした(第1次再審請求の最高裁決定についてはこちら、第2次再審請求の申立てについてはこちらの記事をご参照ください)。

小学生の女児2人を乗せた白い軽自動車

 証人尋問を受けたAさんの目撃証言は、こんな内容だ。

 1992年2月20日の午前9時40分~10時40分ごろ、児童2人が行方不明になった場所に近接した国道・八木山(やきやま)バイパスを車で走行中、後部座席に小学生の女子児童2人を乗せた白いワンボックスタイプの軽自動車を見た。

 運転していたのは30~40歳くらいの色白の男で、5分刈りほどの短髪、細身の体形。児童のうち1人はオカッパ頭で、ランドセルを背負ってAさんの方を見つめており、恨めしそうな、うら寂しそうな、今にも泣きそうな表情だった。もう1人は横になっていて、そばにランドセルがあった。平日の午前中なのにおかしい、と直感した。

 軽自動車は片側1車線の道路を時速40km以下で走行。後ろについたAさんはイライラしながら2車線になったところで右側から追い越した際に「こんな迷惑な運転をするのはどんな奴なのか」との思いで軽自動車を凝視し、女児と男を目撃した。Aさんが運転していた車は左ハンドルだった。

 集金に行って売掛金を回収できなかった帰りだったので、日にちを特定できる。その後、久間さんの初公判(福岡地裁・1995年2月)を前から2列目の席で傍聴し、自分が見た男とは全くの別人で驚いた。二十数年後に被害者の写真を見たが、自分が目撃した女児の顔とよく似ていた。

早くから警察は久間さんをマーク

 証人尋問は非公開で行われ、終了後に久間さん側の弁護団がAさんとともに記者会見をして概要を説明した。法廷では、弁護団の主尋問(約50分)でAさんが目撃内容を説明し、その後、検察による反対尋問(約45分)が行われた。

 新たな事実も明らかになった。

 Aさんはニュースで2人の女児が行方不明になったことを知り、目撃の翌朝に警察へ通報しており、2月26日か27日に警察官が事情を聴きに来た。その際、Aさんが軽自動車の特徴を説明すると、警察官は「紺色のボンゴ(ワンボックスカー)ではないのか」と問い返したという。紺色のボンゴは、犯行に使われたとされた久間さんの車だ。

 遺留品発見現場そばで久間さんの車と特徴が一致する車を見たという、前述したX氏の証言が最初に出たのは3月2日だ。つまり、警察はその数日前から、捜査の対象を久間さんに絞っていたことがうかがわれる。Aさんはバイパスに設置された監視カメラの映像を調べるよう求めたが、その後、警察から連絡はなかった。

 ちなみに、X氏の目撃証言は3月2日の「紺色のワンボックスカー」から次第に詳しくなっていき、3月9日の警察官調書では「(車種は)トヨタやニッサンではない」「車体にラインがなかった」「後輪がダブルタイヤ」「タイヤのホイルキャップの中に黒いライン」「ガラスにフィルムを貼っていた」と久間さんの車の特徴と細部まで一致する内容になる。

 しかし、第1次再審請求審で証拠開示された捜査報告書によって、調書を作成した警察官がその2日前の3月7日に久間さんの車を見に行っていたことが判明。X氏の目撃はカーブが続く山道を時速25~30キロメートルで運転中のことでもあり、弁護団は「警察官が証言を誘導した」と主張している。

検察は「記憶が曖昧」との印象づけを狙う

 弁護団はAさんの証言によって「X氏の証言は本件とは関係ないことが明らかになった」と自信を見せている。

 一方の検察はAさんの証言が「曖昧で信用性がない」と反論しており、この日の反対尋問でも細かい点を突いてきたという。たとえば、Aさんは軽自動車を目撃した時刻を午前9時40分~10時40分ごろと証言したが、再審請求時に出した陳述書には午前11時ごろと記載されており、そのズレを執拗にただしたそうだ。弁護団は「31年前のことで記憶が不確かだと印象づけようとした」と受けとめている。

 裁判官もAさんに「女児のランドセルは見えなかったのでは」などと問うたが、弁護団によると、どんな問題意識を持っているかを推測できるような内容ではなかったそうだ。

 証言を終えたAさんは「女児と男の顔はしっかり見えた。女児のこわばった表情が脳裏に焼き付いていて忘れられない。私が見たのは真犯人の車だと今も確信している」と感想を述べ、「早く再審が始まることだけを願っている」と力を込めた。

再現実験で「連れ去りは不可能」

 弁護団が第2次再審請求審でもう1つポイントに据えるのが、女児2人が連れ去られたとされる「三叉路」での目撃証言だ。

 死刑判決は、「登校中の2人の女児を車から見た」とする証言の約3分後に同じ場所を車で通った人は女児を見ていないとして、この3分の間に2人が連れ去られたと認定した。だが、弁護団が他の証言も踏まえて車の動きなどの再現実験をしたところ約20秒しかないことが分かり、「20秒間での連れ去りは不可能」とする報告書を今年2月に新証拠として提出している。今後、現場検証をするよう地裁へ要請する方針だ。

◎著者プロフィール
小石勝朗(こいし・かつろう) 
 朝日新聞などの記者として24年間、各地で勤務した後、2011年からフリーライター。冤罪、憲法、原発、地域発電、子育て支援、地方自治などの社会問題を中心に幅広く取材し、雑誌やウェブに執筆している 。主な著作に『袴田事件 これでも死刑なのか』(現代人文社、2018年)、『地域エネルギー発電所──事業化の最前線』(共著、現代人文社、2013年)などがある。

(2023年06月13日公開)

 

正義の行方
(著:木寺 一孝)
2024.05.20

1992年、福岡県飯塚市で二人の小学生女児の遺体が発見される。DNA型鑑定などで犯人とされた久間三千年は、逮捕から一貫して無罪を訴えたが2006年に最高裁で死刑が確定。2008年、判決から刑の執行まで2年という異例の早さで福岡拘置所で久間三千年は刑死。翌年には冤罪を訴える再審請求が提起され、一般に「飯塚事件」と呼ばれるこの事件の余波は今も続いている。
本書は、この飯塚事件に関わった福岡県警、久間三千年の無実を信じた弁護団、それを報道した西日本新聞社のジャーナリストを追った同名のドキュメンタリー映画および、NHK BSスペシャルとして放送された番組の書籍化である。著者は元NHKのディレクターで、先の映画の監督でもある。

「久間三千年という人物が冤罪により命を奪われた」
「いや、久間三千年が犯人だった」
そういう白か黒かという視点で本書は書かれていないし(多分、映像もまたそうなのだと思う)、
「判断は読者に委ねる」
みたいな濁した書き方もしない。が、それは読者に付きまとう。

かつて、映画監督の大島渚は「カメラは決して中立性などは持ちえず、常に加害者なのです」と、“カメラで撮影すること”の暴力性を指摘した。ときに「ドキュメンタリーは中立で真実を描く」と誤解される場合がある。でも、そんなことあるわけがない。アングル、照明、そして編集によって、カメラを持つ側は、いかようにも「これが事実だ!」と主張できる(真実はさておき)。不都合なものは最初から素材として使わなければいい。映像は嘘をつき、ドキュメンタリーは常に視点によって支配されているものだ。

しかし本書は、冤罪か否か、意見がぶつかる「警察」「報道」「弁護士」のすべての声が、都合良きところも、都合悪きところもバランスよく(ほぼ)出揃っている。つまり、中立性を持っているように見えるのだ。これは稀有なことだ。それが可能だったのは、すでに判決が下され、刑が執行された事件であること。当時の当事者(特に警察関係者)の多くがすでに引退し、組織に縛られず自由に発言できた外的な要因があると思う。そして本書が(誤解を恐れずに言えば)面白いのは、この「飯塚事件」からの20年という時間が、歴史として捉えるには生々しく、現在進行形で考えるには時間が経ち過ぎている点にある。どっちつかずのスリリングさと、死者のことを考えると「面白い」とは言えない後ろめたさ。

ノンフィクションとドキュメンタリー

久間三千年は、四つの証拠をもって殺人犯だとされた。死体遺棄現場近くでの目撃証言、DNA型鑑定、車に残っていた血痕、繊維鑑定。そのどれもが直接的に久間三千年の犯行であることを指し示すものではない。しかし全部ひっくるめると久間三千年が犯人だと断定できる。それが裁判官の判断だった。しかし、当時のDNA鑑定の精度は低く、死刑執行後の再審請求時にはDNA鑑定で改竄、捏造の疑いが浮上する。さらには警察のDNA鑑定とは逆の鑑定結果を出した大学教授に、警察庁の幹部が圧力をかけた疑惑もある(その幹部とは、警察庁長官銃撃事件で撃たれた國松孝次である)。

ここまで来れば「冤罪確定ではないか」と思う。「疑わしきは被告人の利益なり」という推定無罪が正しいのではないか? 警察も裁判所もおかしいではないか。スクープを取るために先走った報道を行った西日本新聞も同罪だ。のちに西日本新聞は、真摯にその姿勢を問い直す調査報道を行うが、そうだったとしても死刑が執行された後に行っても意味がないじゃないか……。

そう思ったところで、はたと自分に問う。
それが私の正義か? と。

久間三千年の妻
私も警察のなかにまだ正義はあると思っているのでね、心の隅には、警察のなかにはまだ正義があると思っているので、それが私たちをいつか助けてくれると思っています。
──信じたいという部分がある?
警察に対して? それはありますよね。やっぱり生まれてからずっと大きくなるまで警察を信じてきましたもんね。警察は私たちの味方だと思っているから。信じてきたのでね。
個人的にはね、ウチに来られた刑事さんたちもすごく話していていい方なんですよね。警察の本当の正義の声がほしいです。私たちが警察を頼らなくてね、誰に頼ったらいいのか分からないじゃないですか。
警察はいつも弱いものの味方をしてくれてたんだから。

NHKでスペシャル番組が放送されたのち、事件を担当した元福岡県警捜査一課長は、番組を観たという知人から「あんたは無実の人を捕まえたとか?」と訊かれたという。そのとき、彼はこう答えたという。

「あの番組はどちらの側にも立っとらんと私は思うとる。やけん、知り合いにも、あんたが裁判員のつもりで番組を観て久間が無罪と思ったら、それはそれで良いんやないねと言うてやったよ」

「あの番組はどちらの側にも立っとらん」
その言葉は、実は、私が最初に感じたことそのものだ。そもそも「真実」は捜査、報道、裁判の過程でどんどん削ぎ落とされて失われてしまった。カメラが記録として残せたのは、それぞれの立場の「正義」ゆえの行動と判断だけだった。本書は(そして多分、映画も)それぞれの「正義」がどんなものだったのかを、ゆで卵から黄身だけを取り出すように差し出している。著者の視点、目的はそこにあったのだ。
その黄身だけを食べて、私たちが正義を叫ぼうものなら、私たちもその「正義」が何に拠って立つのか問われる。それでもあなたは、「正義」の危うさを重々承知の上で、「正義」を口にできるだろうか? それを突きつけてくる、恐ろしい本だ。

  • 電子あり
『正義の行方』書影
著:木寺 一孝

文化庁芸術祭賞大賞、ギャラクシー賞選奨を受賞、映画化も決定した映像ドキュメンタリーの名作を書籍化。芥川の名作『藪の中』のような、圧倒的な読書体験。
1992年2月21日、小雪の舞う福岡県甘木市の山中で、二人の女児の遺体が発見された。
現場に駆け付けた警察官が確認したところ、遺体の服は乱れ、頭部には強い力で殴打されたことを示す傷が残っていた。
二人は、約18キロ離れた飯塚市内の小学校に通う一年生で、前日朝、連れ立って登校している最中、何者かが二人を誘拐し、その日のうちに殺害、遺棄したものと見られた。
同じ小学校では、この3年3ヵ月前にも同じ1年生の女児が失踪しており、未解決のまま時が流れていた。
福岡県警は威信を懸けてこの「飯塚事件」の捜査にあたることになる。わずかな目撃証言や遺留物などをたどったが、決定的な手がかりはなく、捜査は難航する。そこで警察が頼ったのが、DNA型鑑定だった。遺体から採取した血液などをもとに、犯人のDNA型を鑑定。さらに、遺体に付着していた微細な繊維片を鑑定することによって、発生から2年7ヵ月後、失踪現場近くに住む久間三千年が逮捕された。
「東の足利、西の飯塚」という言葉がある。栃木県足利市で4歳の女児が誘拐され、殺害された足利事件は、DNA型鑑定の結果、幼稚園バスの運転手だった菅家利和さんが逮捕・起訴され、無期懲役判決が確定したが、発生から18年後にDNA型の再鑑定が決まり、再審・無罪への道を開いた。
その2年後に起きた飯塚事件でも、DNA型鑑定の信頼性が、問題となった。
DNA型、繊維片に加え、目撃証言、久間の車に残された血痕など、警察幹部が「弱い証拠」と言う証拠の積み重ねによって久間は起訴され、本人否認のまま地裁、高裁で死刑判決がくだり、最高裁で確定した。
しかも、久間は死刑判決確定からわずか2年後、再審請求の準備中に死刑執行されてしまう。
本人は最後の最後まで否認したままだった。
久間は、本当に犯人だったのか。
DNA型鑑定は信用できるのか。
なぜこれほどの短期間で、死刑が執行されたのか。
事件捜査にあたった福岡県警の捜査一課長をはじめ、刑事、久間の未亡人、弁護士、さらにこの事件を取材した西日本新聞幹部に分厚い取材を行い、それぞれの「正義」に迫る。
「ジャーナリストとして学んだことがあるとすれば、どこかひとつの正義に寄りかかるんじゃなくて、常に色んな人の正義を相対化して、という視点で記事を書くという考えに至ったんです」(西日本新聞・宮崎昌治氏)
いったい何が真実なのか。
誰の「正義」を信じればいいのか――。

本書は2022年4月23日初回放送NHK BS1スペシャル『正義の行方~飯塚事件 30年後の迷宮~』及び2024年4月公開の映画『正義の行方』を書籍化したものです。