なぜ仏法哲学は卓越つしているのか

2024年07月01日 23時20分44秒 | 沼田利根の言いたい放題

釈迦は、あくまでも、人間に焦点をあてたことです。

ここに、西洋の宗教哲学との究極的な相違があるのです。

西洋哲学における神の存在は、人間とは次元が異なる崇高な存在です。

一方、仏法哲学は仏、つまり仏性の存在は、人間の生命の内部に存在していると説いているのです。

これほど、人間そのものを肯定する哲学・理念は、西洋などの宗教の究極的な教えには存在しません。

つまり、あくまでも仏法は人間中心主義なのです。

しかも、男女はあくまでも平等な立場です。

慈悲や智慧を説いたことも、「人間の善性」に焦点を当てている証なのです。

そして仏法は、対話をあくまでも重要視しています。

これは、不戦の思想に通じるものなのです。

人間肯定(善性)は、自分の無限の可能性と他者の可能性、そして共の幸福の実現を示唆するものです。

 

 

 

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今こそ、「青年の育成」が期待されている。

2024年07月01日 11時57分33秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

分断が際立つ現代において、対話が大切であるということは論を待たない。

その対話主義を貫くには、宗教的、哲学的な人間観が必要ではないだろうか。

これまでの伝統的な枠組みが崩壊し、国家間のパワーバランスが悪化の一途をたどっている。

やがて地球規模の大惨事が起こるだろうと、終末論的な考えを抱いている人もいる。

だが、世界中で起きてている事柄に対し、決して、自己中心的で悲観的な論調に傾いてはならない。

歴史をひもとけば、今以上に讃嘆たる時代は存在した。

20世紀前半の悲惨な世界大戦の時代も、その一例だ。

だが、その中から、国連が誕生し、多くの平和行動も生まれた。

歴史上、最も暗い時代であったとしても、光を見いだし、前へと進んでいく道を見つけることができた。

人々が絶望的になり、悪が善を上回ると感じる時も、そこには人間同士の交流のチャンスがある。

その交流こそが、物事を前に進め、事態を好転させていくのである。

<最も困難な時でも対話への挑戦を続ける>という基本的な理念は、本質的に善の哲学であり、誰もが分かち合えるものだ。

ウクライナやガザを巡る紛争について付言すれば、現在は対話の回路が非常に狭く、試みは続いているものの多くの障害がある。

しかし、歴史上の多くの紛争は、最後は何かしらかの議論や歩み寄りによって終結を迎えている。

ゆえに大事なのは、ともかく何があろうと、対話のアプローチを重ね続けることだ。

現在、世界は数々の試練に直面している。

多くの物事が楽観視できない方向へ流れているのも事実だ。

では一体誰が、こうした問題を解決し、私たちを未来へと導くのか。

それは、まじれもなく、学生たちや青年たちである。

今こそ、「青年の育成」が期待されている。

 

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人間の善性とは、慈悲と智慧

2024年07月01日 09時48分11秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼労苦と使命の中にのみ、人生の価値は生まれる。

大きな困難に直面した時、どう生きるか―そこに人間の真価が現れる。

▼遠大な理想をいだき足元から実践を。

▼ここを去って、どこけへ行くのではない。

今いるところが、人生の舞台なのだ。

▼友情は順境をより輝かせ逆境を軽減する―キケロ

マルクス・トゥッリウス・キケロ(ラテン語: Marcus Tullius Cicero, 紀元前106年1月3日 - 紀元前43年12月7日)は、共和政ローマ末期の政治家、弁護士、文筆家、哲学者 ...アントニウスと対立し、前43年、暗殺された。

▼人間の善性とは、より具体的に言えば、慈悲と智慧である。

それは尊厳な生命の境涯である「仏性」が、万人に備わると釈尊は説いた。

どんな人間でも、内面の変革によって善性を顕していくことができる。

ゆえに<触発の対話>を重んじのである。

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創作 彩音(あやね)との別離  9)

2024年07月01日 09時25分57秒 | 創作欄

例年5月に開かれる天神祭が終わり、7月の上野夏まつりが行われる時節には、不忍池畔は赤と白の大輪の蓮の花が見事な彩をそえる。

だが、 彩音の心は沈んでゆくばかりとなった。

彼女が住むマンションの2階に住む10歳の少女が行くへ不明となったのだ。

疑惑の目が北朝鮮出身者たちに向けられる。

そして、行方不明の少女のポスター写真が街に掲載され、目撃情報が呼びかけられた。

団扇を持つ浴衣姿の彼女は長い髪をアップにしていた。

昭は彩音に惚れ直す思いがした。

「浴衣姿もいいね」

「そうなの」彩音の笑顔のない素っ気ない反応であった。

「何か、元気ないね」

「そうなんの、いろいろあってね。あなた、私を支えてね」彩音は右手の薬指に指をしていた。

「指輪しているんだ」

「そうなの。もしも、あなたと別れる日が来たら、この指は外すつもりよ」

彼女はその指輪に口づけをする。

2人は水上音楽堂での納涼演歌まつりへ向かった。

彩音とは3度、上野のカラオケ店へ行っていた。

彼女は、テレサテンの歌を好んで歌った。

時に、感情を移入し「別れの予感」を涙を浮かべて歌唱した。

 

参考

上野公園不忍の池の近くにあり、学問の神様を祀っていることで知られる湯島天満宮の例大祭で別名「天神祭」とも呼ばれています。
毎年5月25日に祭典が行われ、その週の土曜日には本宮神輿渡御が開催。

神社正面鳥居から三組坂上まで、片道約300メートルを往復します。
境内では江戸里神楽や和太鼓が奉納され、生花の展示もあります。

露店も立ち並び、お祭りムードに。

上野夏まつり

7月16〜7月31 うえの夏まつり

氷の彫刻 不忍池畔でのとうろう流し

骨董市や猿回し、納涼ゆかた撮影会、水上音楽堂での納涼演歌まつりなどの音楽ステージ等が催さる。

うえの夏まつりパレード

 

 

 

 

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創作 彩音(あやね)との別離  8)

2024年07月01日 03時03分41秒 | 創作欄

北朝鮮による日本人拉致問題は、朝鮮2世の彩音に大きな心の衝撃をもたらした。

彼女自身に責任が及ぶ問題ではなかったが、彼女は朝鮮2世であることへの引け目や負い目を感じ始める契機となったのだ。

彼女の父親は、上野でのパチンコ店や、朝鮮料理店の商売で得た金で、北朝鮮を経済的に支援していたのである。

彼女は昭という日本人男性を深く愛し始めていた。

彩音の元の彼は、北の朝鮮2世でヤクザであり、女好きで自分を裏切ってきた、でも愛し始めた昭は日本人男性であり、如何にも誠実そうな男であったのだ。

彩音がひた隠しにしておきたかった背中の観音菩薩の入れ墨を彼は受け入れくれた。

彼女はしかも、情欲のなかで背中への昭による口での愛撫を執拗なまでも求め続けていた。

「こんな私でも愛してくれるの」彩音は何度も昭に問うのである。

一方の昭は、彩音の体から離れられなくなっていた。

その詳細は省くが、いわゆる彩音の性器は、俗にいう名器の持ち主と形容されるものであったのだ。

 

参考

北朝鮮による日本人拉致問題とは、1970年代から1980年代にかけて、北朝鮮の工作員や土台人、よど号グループなどが、日本人の人権や日本や欧州の国家主権を無視して、数十人から数百人の日本人を日本や欧州から北朝鮮に拉致した問題である。

北朝鮮側主張の問題点

内閣官房拉致問題対策本部事務局

北朝鮮側は、次のように主張しています。

  • (安否不明の拉致被害者12名のうち)8名は死亡、4名は北朝鮮に入っていない。
  • 生存者5名とその家族は帰国させた。死亡した8名については必要な情報提供を行い、遺骨(2人分)も返還済み。
  • 日本側は、死んだ被害者を生き返らせろと無理な要求をしている。

8名のほとんどが、20代~30代の若さで、ガス中毒、交通事故、心臓麻痺、自殺により、自然死とは言い難い状況で死んだとされており、これ自体不自然ではあるが、さらに、以下(1)(2)のとおり、これら死亡の事実を裏付ける客観的な証拠がまったく提示されていない。

図:8名についての北朝鮮側説明(氏名、死亡したとされる年齢、死因)

1.北朝鮮による日本人拉致問題

 行方不明事案に対する当局の捜査や、亡命北朝鮮工作員の証言によって、北朝鮮による拉致の疑いが濃厚である複数の事案が明らかになってきたことを受けて、1991年以来、政府は、機会あるごとに北朝鮮に対して拉致問題を提起したが、北朝鮮側は頑なに否定し続けた。

しかし、北朝鮮は、2002年9月の第1回日朝首脳会談において、ようやく初めて拉致を認め、謝罪し、再発防止を約束した。同年10月には、5人の拉致被害者が24年ぶりに帰国した。

 しかしながら、残りの安否不明の方々については、2004年5月の第2回日朝首脳会談において、北朝鮮側から、直ちに真相究明のための徹底した調査を再開する旨の明言があったにもかかわらず、未だに北朝鮮当局から納得のいく説明がなされていない。さらに、日本政府は、いわゆる特定失踪者(注)も含め北朝鮮による拉致の可能性を排除できない事案に係る関連情報の提供についても繰り返し要求してきている。残された拉致被害者たちは、今なお全ての自由を奪われ、長きにわたり北朝鮮に囚われたまま、現在も救出を待っている。

 日本国内では、1997年に拉致被害者の御家族により「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)」が結成されるなど、被害者の救出を求める運動が活発に展開され、2024年1月現在で1,722万筆を超える署名が総理大臣に提出されている。

 北朝鮮による拉致問題は、我が国の主権及び国民の生命と安全に関わる重大な問題であり、国の責任において解決すべき喫緊の重要課題である。 日本政府は、これまでに、帰国した5名を含む17名を北朝鮮当局による拉致被害者として認定しているが、この他にも、日本国内における日本人以外(朝鮮籍)の拉致容疑事案や、いわゆる特定失踪者も含め拉致の可能性を排除できない事案がある。日本政府としては、北朝鮮側から納得のいく説明や証拠の提示がない以上、安否不明の拉致被害者は全て生存しているとの前提に立ち、引き続き、拉致被害者としての認定の有無にかかわらず、全ての拉致被害者の安全確保及び即時帰国のために全力を尽くす。また、拉致に関する真相究明、拉致実行犯の引渡しを引き続き追求していく。政府としては、引き続き、日朝平壌宣言にのっとり、全ての拉致被害者の一刻も早い帰国を実現し、「不幸な過去」を清算して国交正常化を実現すべく全力で取り組んでいく。

(注)特定失踪者についてはこちらを参照。


北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(「家族会」)の結成

2.拉致問題をめぐる日朝間のやりとり

1. 第1回日朝首脳会談(2002年9月)

 2002年9月17日の第1回日朝首脳会談において、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)国防委員長(当時)は、長年否定していた日本人の拉致を初めて認めて謝罪し、当時日本政府が北朝鮮による拉致の疑いがあるとしていた13名のうち4名は生存、8名は死亡、1名は北朝鮮入境が確認できない旨伝えた(注)。また、日本側が調査依頼をしていなかった曽我ひとみさんについて拉致を認め、その生存を確認した(他方、北朝鮮側は、その後の調査において、同時に行方不明となった母親の曽我ミヨシさんについては、入境の事実はない旨主張した。)。その上で、関係者の処罰及び再発防止を約束すると同時に、家族の面会及び帰国への便宜を保証すると約束した。

 これに対し、小泉純一郎総理(当時)は、金正日国防委員長(当時)に対し強く抗議し、継続調査、生存者の帰国、再発防止を要求した。

(注)北朝鮮は、地村保志さん、地村富貴惠さん、蓮池薫さん及び蓮池祐木子さんの4名については生存を確認する一方で、横田めぐみさん、田口八重子さん、市川修一さん、増元るみ子さん、石岡亨さん、松木薰さん、原敕晁さん及び有本恵子さんの8名については死亡している、久米裕さんについては未入境である旨伝えた。なお、日本政府は、2003 年 1 月に曽我ミヨシさんを、2005 年 4 月に田中実さんを、2006 年 11 月に松本京子さんを政府認定の拉致被害者として認定している。


第1回日朝首脳会談

2. 事実調査チームの派遣(2002年9月~10月)

 2002年9月28日から10月1日にかけて、政府派遣による事実調査チームが生存者と面会し、安否未確認の方についての情報収集に努めた。しかし、北朝鮮提供の情報がそもそも限られていた上、内容的にも一貫性に欠け、疑わしい点が多々含まれていた。松木薰さんのものと思われるとして提供を受けた「遺骨」については、法医学的鑑定の結果、別人のものであることが確認された。同年10月29日及び30日にクアラルンプールで開催された第12回日朝国交正常化交渉においても、政府は150項目にわたる疑問点を指摘するとともに、更なる情報提供を要求したが、北朝鮮側からのまとまった回答はなかった。

3. 5人の被害者の帰国(2002年10月)

 2002年10月15日、拉致被害者5名(地村保志さん・富貴惠さん、蓮池薫さん・祐木子さん、曽我ひとみさん)が帰国し、家族との再会を果たした。

 日本政府は、帰国した5名の拉致被害者が、北朝鮮に残してきた家族も含めて自由な意思決定を行い得る環境の設定が必要であるとの判断の下、同年10月24日、5名の拉致被害者が日本に引き続き残ること、また、北朝鮮に対して、北朝鮮に残っている家族の安全確保及び帰国日程の早急な確定を強く求める方針を発表した。


24年ぶりの拉致被害者の帰国

4. 第2回日朝首脳会談(2004年5月)

 2004年5月22日、小泉総理(当時)が再度訪朝し、金正日国防委員長(当時)との間で、拉致問題をはじめとする日朝間の問題や、核、ミサイルといった安全保障上の問題等につき議論が行われた。拉致問題に関しては、この会談を通じ、以下の諸点が両首脳間で申し合わされた。

●北朝鮮側は、地村さんの御家族と蓮池さんの御家族の計5名が、同日、日本に帰国することに同意する。
●安否不明の拉致被害者の方々について、北朝鮮側が、直ちに真相究明のための調査を白紙の状態から再開する。

 この申し合わせに基づき、地村さんの御家族と蓮池さんの御家族の計5名は、小泉総理(当時)と共に帰国した。また、曽我ひとみさんの御家族3名については、その後7月18日に帰国・来日が実現した。


第2回日朝首脳会談

5. 日朝実務者協議(2004年8月及び9月:北京、同年11月:平壌)

(イ) 2004年8月(第1回)及び9月(第2回)にかけて日朝実務者協議が開催され、北朝鮮側から、安否不明者に関する再調査の途中経過について説明が行われたが、情報の裏付けとなる具体的な証拠や資料は提供されなかった。

(ロ) 2004年11月の第3回協議は50時間余りに及び、北朝鮮側の「調査委員会」との質疑応答の他、合計16名の「証人」からの直接の聴取、拉致に関係する施設等に対する現地視察、横田めぐみさんの「遺骨」とされるもの等の物的証拠の収集が行われた。
 なお、同協議では、日本政府として拉致被害者とは認定していないが北朝鮮に拉致された疑いが排除されない失踪者(特定失踪者等)の問題について、北朝鮮側に対し5名の氏名を示して関連情報の提供を求めたが、北朝鮮側からは、当該5名について入境は確認できなかったとの回答があった。(日本政府は、その後の協議等の場においても、北朝鮮による拉致の可能性を排除できない事案に係る関連情報の提供を繰り返し要求してきている。)

(ハ) 日本政府は、第3回協議において北朝鮮側から提示のあった情報及び物的証拠に対する精査を直ちに実施したが、「8名は死亡、2名は入境確認せず(注)」との北朝鮮側の説明を裏付けるものはなかった。また、これまでに提供された情報及び物的証拠には多くの疑問点があり、横田めぐみさんの「遺骨」とされるものからは、めぐみさんのものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。日本政府は、これらの点を北朝鮮側に申し入れ、強く抗議した。

(注)久米裕さん及び曽我ミヨシさんの2名を指す。

6. 日朝包括並行協議(2006年2月:北京)

2006年2月の日朝包括並行協議における拉致問題に関する協議は合計約11時間にわたり、日本側から改めて、生存者の帰国、真相究明を目指した再調査、被疑者の引渡しを強く要求した。これに対し、北朝鮮側は、「生存者は既に全て帰国した」というこれまでと同様の説明を繰り返した。また、真相究明については安否不明者の再調査の継続すら約束せず、被疑者の引渡しは拒否した。

7. 日朝国交正常化のための作業部会(2007年3月:ハノイ、同年9月:ウランバートル)

2007年2月の六者会合で設置が決まった「日朝国交正常化のための作業部会」第1回会合が同年3月に開催された。日本側から、全ての拉致被害者及びその家族の安全確保と速やかな帰国、真相究明、被疑者の引渡しを改めて要求したが、北朝鮮側は、「拉致問題は解決済み」との従来の立場を繰り返すなど、拉致問題の解決に向けた誠意ある対応は示されなかった。9月の第2回会合においても、拉致問題については具体的な進展は得られなかった。

8. 日朝実務者協議(2008年6月:北京、同年8月:瀋陽)

(イ) 2008年6月の日朝実務者協議では、拉致問題に関し、日本側から、全ての拉致被害者の帰国、真相究明、被疑者の引渡しを改めて要求するとともに、北朝鮮側が拉致問題を含む諸懸案の解決に向けた具体的行動をとる場合には、我が国としても現在北朝鮮に対してとっている措置の一部を解除する用意がある旨を改めて説明し、北朝鮮側の具体的行動を要求した。その結果、北朝鮮側は、「拉致問題は解決済み」との従来の立場を変更して、拉致問題の解決に向けた具体的行動を今後とるための再調査を実施することを約束した。

(ロ) 同年8月の協議では、同年6月の協議で双方が表明した措置、特に北朝鮮による拉致問題の調査のやり直しの具体的態様につき、突っ込んだ議論がなされた。その結果、北朝鮮側が、権限が与えられた調査委員会を立ち上げ、全ての拉致被害者を対象として、生存者を発見し帰国させるための全面的な調査を開始すると同時に、日本側も、人的往来の規制解除及び航空チャーター便の規制解除を実施することが合意された。

(ハ) しかし、2008年9月4日、北朝鮮側から、先の日朝協議の合意事項を履行するとの立場であるが、突然日本での政権交代(注:福田総理(当時)の辞任)が行われることになったことを受け、新政権が協議の合意事項にどう対応するかを見極めるまで調査開始は見合わせることとした旨の連絡があった。

9. 日朝政府間協議(2012年11月:ウランバートル)

2012年11月、4年ぶりの北朝鮮との間の協議である日朝政府間協議が開催された。同協議では、拉致問題について突っ込んだ意見交換が行われ、これまでの経緯やそれぞれの考え方についての議論を踏まえた上で、更なる検討のため今後も協議を継続していくこととなった。また、日本側から、拉致の可能性を排除できない事案についても北朝鮮側に対し提起し、議論を行った。

 第2回目の協議は、12月5日及び6日に開催することが決まったが、同月1日に北朝鮮がミサイル発射を予告したことから、延期せざるを得なくなった。

10. 日朝政府間協議(2014年3月:北京)

2014年3月3日並びに同月19日及び20日に瀋陽で開催された日朝赤十字会談の機会を利用して、1年4か月ぶりに日朝政府間(課長級)で非公式な意見交換を実施し、政府間協議再開を調整することで一致した。

 それを受けて、3月30日及び31日に北京にて開催された日朝政府間協議では、双方が関心を有する幅広い諸懸案について真摯かつ率直な議論を行い、今後も協議を続けていくことで一致した。拉致問題については、これまでの協議の議論を踏まえつつ、日本側の基本的考え方について問題提起を行った。

11. 日朝政府間協議(2014年5月:ストックホルム)

2014年5月にストックホルムにて開催された日朝政府間協議では、北朝鮮側は、拉致被害者を含む全ての日本人に関する包括的かつ全面的な調査の実施を約束した(ストックホルム合意)。日本側としても、北朝鮮側のこうした動きを踏まえ、北朝鮮側が調査のための特別調査委員会を立ち上げ、調査を開始する時点で、我が国独自の対北朝鮮措置の一部を解除することとした。

12. 日朝政府間協議(2014年7月:北京)

2014年7月1日に北京にて開催された日朝政府間協議では、北朝鮮側から、特別調査委員会の組織、構成、責任者等に関する説明があり、日本側からは、この委員会に、全ての機関を対象とした調査を行うことのできる権限が適切に付与されて いるかといった観点から、集中的に質疑等を行った。

7月4日、北朝鮮側は、「国」営メディアを通じ、特別調査委員会の権限、構成、調査方法等について、日本側の理解と同趣旨の内容を「国」内外に公表し、拉致被害者を含む全ての日本人に関する調査の開始を発表した。一方日本側は、人的往来の規制措置並びに支払報告及び支払手段等の携帯輸出届出の下限金額の引下げ措置を解除するとともに、人道目的の北朝鮮籍船舶の入港を認めることとした。

13. 日朝外交当局間会合(2014年9月:瀋陽)

2014年9月29日、北朝鮮から調査の現状について説明を受けることを目的として、日朝外交当局間会合を開催した。同会合では、北朝鮮側から、今の段階では日本人一人ひとりに関する具体的な調査結果を通報することはできないが、日本側が平壌を訪問して特別調査委員会のメンバーと面談すれば調査の現状についてより明確に聴取できるであろうとの説明があった。

14. 特別調査委員会との協議(2014年10月:平壌)

2014年10月に平壌で行われた特別調査委員会との協議では、日本側から、拉致問題が最重要課題であること、全ての拉致被害者の安全確保及び即時帰国、拉致に関する真相究明並びに拉致実行犯の引渡しが必要であること、政府認定の有無にかかわらず、全ての拉致被害者を発見し、一刻も早く安全に帰国させることを求めていることを繰り返し伝達した。また、調査を迅速に行い、その結果を一刻も早く通報するよう、北朝鮮側に強く求めた。

 北朝鮮側からは、委員会及び支部の構成といった体制や、証人や物証を重視した客観的・科学的な調査を行い、過去の調査結果にこだわることなく新しい角度からくまなく調査を深めていくといった方針について説明があった。また、調査委員会は、北朝鮮の最高指導機関である国防委員会から特別な権限を付与されており、特殊機関に対しても徹底的に調査を行うとの説明があった。拉致問題については、個別に入境の有無、経緯、生活環境等を調査している、被害者が滞在していた招待所跡等の関連場所を改めて調査するとともに、新たな物証・証人等を探す作業を並行して進めているとの説明があった。

15. 北朝鮮による一方的な特別調査委員会の解体宣言(2016年2月)

北朝鮮による2016年1月の核実験及び2月の「人工衛星」と称する弾道ミサイル発射等を受け、同月に日本が独自の対北朝鮮措置の実施を発表したことに対し、北朝鮮は拉致被害者を含む全ての日本人に関する包括的調査の全面中止及び特別調査委員会の解体を一方的に宣言した。日本は北朝鮮に対し厳重に抗議し、ストックホルム合意を破棄する考えはないこと、北朝鮮が同合意に基づき、一日も早く全ての拉致被害者を帰国させるべきことについて、強く要求した。

16. その後の動き

その後も、我が国は北朝鮮に対して繰り返し我が国の基本的な考えを伝えてきている。例えば、2018年2月、平昌冬季オリンピック競技大会の開会式の際の文在寅(ムン・ジェイン)韓国大統領(当時)主催レセプション会場において、安倍総理(当時)から金永南(キム・ヨンナム)北朝鮮最高人民会議常任委員長(当時)に対し、拉致問題、核、ミサイル問題を取り上げ、日本側の考えを伝えた。特に、全ての拉致被害者の帰国を含め、拉致問題の解決を強く申し入れた。また、米国のトランプ大統領(当時)は、安倍総理(当時)からの要請を受け、2018年6月及び2019年2月の米朝首脳会談において金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長(当時)に対して拉致問題を直接提起した(詳細は後述)。

3.国際社会における取組

拉致問題の解決のためには、我が国が主体的に北朝鮮側に対して強く働きかけることはもちろん、拉致問題解決の重要性について各国からの支持と協力を得ることが不可欠である。政府は、あらゆる外交上の機会をとらえ、拉致問題を提起している。

 北朝鮮による拉致の被害者は、韓国にも多数いることが知られているが、帰国した日本人拉致被害者等の証言から、タイ、ルーマニア、レバノンにも北朝鮮に拉致された可能性のある者が存在することが明らかになっている。このほか、北朝鮮から帰還した韓国人拉致被害者等の証言では、中国人等の拉致被害者も存在するとされている。

 このように、拉致問題は、基本的人権の侵害という国際社会の普遍的問題である。

1. 国際連合

(イ) 国連においては、拉致問題への言及も含む北朝鮮人権状況決議が、人権理事会では16年連続16回、国連総会では19年連続19回採択されている(2024年1月現在)。2023年12月の国連総会で採択された決議は、拉致被害者及び家族が高齢化している中、深刻な人権侵害を伴う国際的な拉致問題及び全ての拉致被害者の即時帰国の緊急性及び重要性を深刻な懸念をもって改めて強調し、拉致被害者及び家族が長きにわたり被り続ける多大な苦しみ、特に2014年5月の日朝政府間協議に基づき、北朝鮮が全ての日本人に関する調査を開始して以降、北朝鮮が何ら具体的かつ前向きな行動をとっていないこと、並びに、強制的失踪作業部会からの複数回の情報提供要請に対して同一かつ実質的な内容がない回答をしていることに対し深刻な懸念を表明し、北朝鮮に対し、全ての強制失踪の申立てへの対処に当たり、拉致被害者及びその家族の声に真摯に耳を傾け、速やかに被害者の家族に対する被害者の安否及び所在に関する正確、詳細かつ完全な情報の誠実な提供、全ての拉致被害者に関する全ての問題の即時解決、特に全ての日本人及び韓国人拉致被害者の即時帰国の実現を改めて強く要求する内容となっている。

(ロ) 2013年3月の人権理事会においては、新たに北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)を設置することを含む決議が無投票で採択され、国連調査委員会(COI)は、日本、韓国、米国、英国、タイを訪問するなどして拉致問題を含む北朝鮮の人権状況の調査を行い、2014年2月に最終報告書(COI報告書)を公表している。

(ハ) また、国連安保理においても、2014年12月、人権状況を含む北朝鮮の状況が包括的に議論されて以降、「北朝鮮の状況」に関する国連安保理会合が、累次開催され、我が国から拉致問題の一刻も早い解決を求めてきている。2022年12月には、安保理非公式協議において北朝鮮の人権状況について協議が行われ、その後、日本を含む有志国は、拉致問題等の解決及び拉致被害者等の即時帰国を強く要求するとの内容を含む共同ステートメントを発出した。また、2023年8月には、拉致問題を含む北朝鮮の人権状況について協議するための安保理公開会合が、2017年以来6年ぶりに開催された。本会合後に行われた、同志国によるプレス向け共同発言には安保理内外の52か国等が参加し、拉致問題にも言及しつつ、北朝鮮による人権侵害の責任を追及するよう、全ての国連加盟国に呼びかける等の旨を発信した。

(ニ) さらに、日本政府は、国連本部等において政府主催の国際シンポジウムを開催するなど国際社会に向けた情報発信と連携強化に取り組んでいる。2023年6月には、日本、米国、豪州、韓国及びEUの共催により、拉致問題に関するオンライン国連シンポジウムを開催し、日本の拉致被害者家族連絡会及び特定失踪者家族会(北朝鮮による拉致の可能性を排除できない失踪者家族有志の会)の方々を含めた当事者からの「生の声」を国際社会に訴えていただくとともに、英国の元駐北朝鮮大使及び韓国の前北朝鮮人権問題国際協力大使によるパネル・ディスカッションを行い、拉致問題の一刻も早い解決に向けて国際社会の理解と協力を呼びかけた。

 

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12R GIII 取手競輪 能登半島支援 水戸黄門賞

2024年07月01日 02時59分50秒 | 未来予測研究会の掲示板
S級 決勝
 
 
枠番 車番 選手名 着差
(個人情報)
上り SB
1着 1 1
吉田拓矢
吉田拓矢
茨城 29歳
107期 S1
  11.3  
2着 6 9
守澤太志
守澤太志
秋田 38歳
96期 S1
1車身1/2 11.3  
3着 2 2
山口拳矢
山口拳矢
岐阜 28歳
117期 SS
1/4車輪 11.1    
4着 4 5
坂井洋
坂井洋
栃木 29歳
115期 S1
1車身 11.7   B
5着 6 8
吉澤純平
吉澤純平
茨城 39歳
101期 S1
1/4車輪 11.4    
6着 4 4
松本貴治
松本貴治
愛媛 30歳
111期 S1
2車身 11.2    
7着 5 6
芦澤辰弘
芦澤辰弘
茨城 36歳
95期 S2
大差 12.5   S
8着 3 3
脇本雄太
脇本雄太
福井 35歳
94期 SS
3/4車身 12.1    
9着 5 7
小林泰正
小林泰正
群馬 29歳
113期 S1
8車身 12.9    

払戻金

枠複 1-6 270円 1人気
枠単 1>6 340円 1人気
2車複 1-9 1,960円 6人気
2車単 1>9 2,190円 8人気
ワイド 1-9 470円 4人気
1-2 570円 7人気
2-9 1,080円 16人気
3連複 1-2-9 4,980円 18人気
3連単 1>9>2 23,100円 64人気
本紙予想/並び想定
7小林泰
5坂井洋
1吉田拓
8吉澤純
6芦澤辰
 
 
4松本貴
 
 
9守澤太
 
 
3脇本雄
2山口拳

3連単ユーザー支持率

 
 
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  組み合わせ オッズ
3連単
1番人気
1着
1吉田拓
2着
8吉澤純
3着
5坂井洋
9.9
支持率 51.8% 24.1% 16.4%  

※結果・成績・オッズなどのデータは、必ず主催者発表のものと照合しご確認ください。

決勝 メニュー

コメント
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